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保護者支援には、時宜に即した「ショートメッセージ」


 貧困を研究しているノーベル経済学賞を受賞した行動経済学の研究者による、農業生産性向上のための介入施策の研究から、保育者による保護者支援のあり方について考えてみました。


発展途上国農業におけるSMS

出典:Harnessing ICT to Increase Agricultural Production: Evidence From Kenya


ケニアにおける実証実験

 2019年のいわゆる「ノーベル経済学賞」は、アビジット・バナジー氏、エステール・デュフロ氏、マイケル・クレマー氏の3人に授与されると発表された。デュフロ氏とバナジー氏はマサチューセッツ工科大学教授で、クレマー氏はハーバード大の教授を務めている。
 彼らの受賞理由は、「世界の貧困を改善するための実験的アプローチに関する功績」とされており、貧困問題を解決する介入施策の効果検証に、無作為化比較対照法(RCT: randomized controlled trial)という手法を適用し、貧困問題の解決策の有効性に関する知見を多数生み出してきた。代表的な著作は、バナジー氏とクレマー氏の「貧乏人の経済学」だろう。

 さて、上の表は、同時に受賞したマイケル・クレマー氏の「ICTを活用して農業生産を増やす:ケニアからの証拠」というディスカッション・ペーパーからの引用である。
 この論文のabstractは、次のようなものだ(筆者による訳)。

 ケニアの小規模サトウキビ農家に、農業に関するアドバイスが含まれたSMS(携帯電話でやり取りされる短いメッセージシステム)メッセージを送信すると、そういったメッセージを送っていない比較対象グループと比較して、収穫量が11.5%上昇する。この効果は、初期状態において、農学の訓練を受けたことがなく、サトウキビ会社のスタッフとの情報交換のほとんどない農民に集中的に現れている。


ショートメッセンジャーによる知識伝達

 要すれば、正規の農業教育を受けていない農家に、時宜にかなう農業知識(今、どのような作業をするべきか)の情報を、SMSという日常生活に入り込んだ、低コストの情報通信技術を用いて、臨機に提供すると、1割ほど収量が増えるという結果になっているのだそうだ。1ヘクタール当たりで3.3トンほど増加する。
 ちなみに、2018年の沖縄のサトウキビの収量は1ヘクタール当たり56.7トンほどなので、この論文の研究対象となったケニアのサトウキビ農家の収量は、沖縄の農家の収量より少ない。

 昨今では、スマート農業、アグリテックといった言葉も、人口に膾炙するようになっているが、農業へのICTの活用は、必ずしも農業に関する知識が広まっているとは言えない発展途上国でこそ進んでいくのかもしれない(これに加えて、有線電話インフラの整備されていない発展途上国では、携帯電話等の新しいデバイスの普及が一足飛びに進んでおり、そのような「新しい」ICTインフラ上のサービスが盛んだという事情も影響しているかもしれない)。


介入施策:時宜に即したナレッジの提供

 この実証結果を一般化すれば、SMSのような、簡便な情報通信技術を用いて、時宜に適った知識(ナレッジ)を、それを必要としている人に低コストで提供するという「介入施策」に効果があるということになるだろう。

 翻ってみると、核家族化、近所付き合いの希薄化から、子育てについての知識、情報の受け渡しの有り様が変化しているし、必要とされる知識、情報の多様化も進んでいる。
 そのため、近時の日本では、育児情報をネットで調べる保護者も多いと思うが、なかなか探している情報にたどり着けず、時間ばかり浪費したということも多いことだろう。
 であれば、この論文で実証されているような簡便なプッシュ型のICT手法で、「小粒」だが「今必要な」知識を入手できるサービスがあれば、子育てにおいても有用なのではないだろうか。

 また、ここで言う「今必要な」情報とは、それぞれの子どもの状況を表すデータの分析に基づいて取捨選択されたものであることが必要である。
 というのも、この論文の実証研究では、農家に農業に必要な資材を提供し、サトウキビを買い上げる企業が、農家の資材購入状況や周囲の農地区画の状況を踏まえて、特定の農家に必要な情報を選択するという仕組みになっていたからだ(このケースでは、企業が、収量が増加するので、適時の情報提供へのインセンティブを持っている)。
 つまり、漫然と一般的なナレッジが送信されていた訳ではなく、個別に最適化されたナレッジが送られていたからこそ、効果が生じたと言えるのである。


一人ひとりの合わせた保育と保護者支援

 これを踏まえると、子ども一人ひとりの状況をデータとして蓄積し、そのデータ分析とICT手法に基づいた時宜に即した育児アドバイスを提供できるようになれば、育児の負担感を下げることになるだろう。この育児アドバイスの提供サービスは、いわば「ナニー」の破壊的イノベーションとなって、お手軽価格で、すべての悩める「親業の初心者」に、メリー・ポピンズの知恵を届けることになろう。

 ちなみに、保育所保育指針解説によれば、

「児童福祉法第18条の4は、『この法律で、保育士とは、第18 条の18 第1項の登録を受け、保育士の名称を用いて、専門的知識及び技術をもつて、児童の保育及び児童の保護者に対する保育に関する指導を行うことを業とする者をいう』と定めている。子どもの保護者に対する保育に関する指導とは、保護者が支援を求めている子育ての問題や課題に対して、保護者の気持ちを受け止めつつ行われる、子育てに関する相談、助言、行動見本の提示その他の援助業務の総体を指す。」
(厚生労働省「保育所保育指針解説」第4章 子育て支援 【保育所における保護者に対する子育て支援の原則】より、強調は筆者によるもの)

とされている。
 つまり、保育所の果たす社会的役割として、保育所起点の保護者に対する保育に関する指導(相談、助言、行動見本の提示など)が求められていることになる。

 ということは、時宜に即した育児アドバイスを提供する簡便なICTサービスは、保育所保育指針のいう「保護者支援」にもつながり、さらには保護者との相互理解の元で行われる、子ども一人ひとりに合わせた保育にまでつながることも期待されるだろう。
 であれば、保育所で日々記録される園児のデータの分析を進め、ナレッジの適切な選択のメカニズムへのトライアルを進めることで、保育所を起点とする「子ども一人ひとりに合わせた保育のためのICT活用」の突破口を見いだせるのではないかと思っている。