【生い立ち (ストーリー1)】
目次・まとめ
(幼少期編)
・出生
・書との出逢い
・病気の経験
(学生・成人編)
・葛藤する学生時代
・自分は何のために生まれてきたのだろうか ・自問自答と内観を経て
(書道家として編)
・出逢いが人生を変える
・使命・人生を最高に旅せよ・可能性は無限大
(未来へ)
・これからのこと
随時更新・変更するかもしれません。現在までの経歴を簡単に書きます。
ストーリー1
(幼少期編)
【出生】
1988年8月9日 大阪府吹田市の病院で生まれる。
本当の出産予定は8月8日で88年の8月8日、
4つ並んでゾロ目だねえ!と家族で話していたそうなのですが、
陣痛が来てもおさまって・・を繰り返していたらしく、
なかなか生まれずに、日をまたいで約2時間を過ぎた
8月9日 夜中の1:53に生まれる。
その頃から、舞はマイペースだったんだね、とよく母から言われます。笑😂
(でもきっと、8日に生まれていたら、全く違った人生、
また、人間になっていたのだろうと思うので、きっと意味があったのだろう。 実際、のちに不思議な縁を感じることも・・)
【書との出逢い】
4歳の時、家から5分のところにあった書道教室に親の勧めで、近所のお友達・幼馴染たちと一緒に通い始めにいく。のち、20年以上お世話になる佐々木夕楊先生との出逢いである。
小さな頃から、書道、絵を描くこと、美術や工作といった自分の感性で表現する・ものを作る、といったことが大好きで、練習すれば上達して、段級が上がっていく、賞が取れるなど、どんどん表現する書の楽しみに触れていきました。ポピー教室・子供会・エレクトーンなどにも通っていましたが、書道だけは、ずっと好きで続けていました。
【病気の経験】
4歳のとき、幼稚園の健康診断で、不整脈が出ていることが発覚。
(生まれつきではなく、突発的なものだったみたいです。。)
後日、総合病院に再検査に行ったところ、再検査に行った総合病院で、
「突然死するかもしれません、今すぐ入院してください。」
と告げられ、入院することに。
循環器系の総合病院小児病棟の4人部屋で、
同じような年頃から、中高校生くらいまでの方たちが心臓の病気や治療で
入院しており、
入院生活では、心電図をつけ、毎日検査を受けながら
不整脈を抑える(整える)・自分の身体に合う薬を試していきながら
入院生活を送ることになりました。
(当時、脈拍が三桁を超えていて、ビックリですが車椅子で
院内を移動していた時期もありました。。🙇♂️🙌)
しかし、両親や周囲の心配とは対象的に、
本人(私)には自覚症状があまりなかったため、
寂しい想いや辛さ・検査の怖さはとてもありましたが、
本人目線での心身はいたって元気で、
病院内で友達をつくって遊んだり、看護師さんとナースルームで遊んだり
することが子供なりに楽しかったりしていました。
弟を保育所に預けることになり、突然のことでとても大変だったと思うが、
母は毎日病院に会いに来てくれた。
慣れない検査も、母がきてくれていたおかげで心に負担なく過ごせていたんだと思います。夜中、眠れずに起きてしまって、
眠れない時は、病室を抜け出して、テレホンカードで母に電話をしたなあ。
毎日を過ごすなかで、同じように元気な子供もたくさんいましたが、
病気の種類や病状は子供によってさまざまで、
ある日は手術を終え身体に手術跡をつけて担架で運ばれ部屋に戻ってくる子、隔離された個室で、管を通し、寝たきりの子、
病室が変わったなと思っていたら、のちに亡くなったと聞かされた子もいました。
小児病棟で、同じ病室だった子供たちや一緒に遊んでいた子がなくなるのを目の当たりにし、
〟なぜ生きる子と死ぬ子がいるのだろうか〟
そんなことを考えていた。
病院で出来た友達たちとは、退院してからも何年も文通したり、
年賀状を送りあったり、疎遠になってしまったりもしたけれど、大人になって再会する機会があったり、とてもありがたいと感謝しています。
時間が経て、さまざまな薬を試した結果、
不整脈を抑え整える・効き目ある自分の身体に合う薬が見つかったため、
約三ヶ月の入院生活ののちに、退院することが出来た。
その後、大きくなるにつれて、
生きていくなかで、
〟なぜ生きる人と死ぬ人がいるんだろう〟
〟人は何のために生きているんだろう〟
〟なぜ自分は生まれてきたのだろうか〟
〟なぜ地球・宇宙は存在しているんだろうか〟
〟宇宙ってなんだろう〟
そんなことを時々思い、考えるようになっていました。
続く・・・
生い立ち / ストーリー2はこちらから
https://note.mu/yasudamai0809/n/n65259731783d?creator_urlname=yasudamai0809
安田 舞
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