見出し画像

「21世紀の戦争論 昭和史から考える」

はじめに

連日ロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースが飛び交っている。
ロシアの暴挙とも取れるこの侵攻は、核爆弾という抑止力によってある程度均衡を保っていた20世紀後半からの「常識」を覆すもので、世界各国の行動いかんによっては、第三次世界大戦を誘発させる危機感を持っている。

そんな折、Kindleの書棚で埃をかぶっていた本のことを思い出した。
「21世紀の戦争論 昭和史から考える」(文春新書/2016年)である。
著者は、昭和史研究の大家であり「歴史探偵」、昨年惜しくも鬼籍に入られた半藤一利氏と、今やその名を目にすることが格段に増えた元外交官でロシア通の作家、佐藤優氏である。

温故知新」「歴史は繰り返す」の言葉通り、毎日流れる報道に翻弄されるのではなく、現在の世界情勢の元となった先の大戦を振り返り、そこから今起きていることを今一度見てみようという気持ちで、この本を開いてみた。この記事はその読後の感想・記録である。

世界は何も変わっていない

戦後日本に生まれ、戦争とは無縁に育った私にとって、「戦争」とは過去のものである。私が物心付くころには東西冷戦も終結し、何となく世界は平和に向かっているものと思っていた。「イスラム国」など国家の形を成していない組織によるテロ行為などはあるものの、国家、特に大国が一方的にその版図を拡げる20世紀型の戦争を始めるとは思っていなかった。
しかし本書を読むとその認識も変わってくる。

今も生き続ける化学兵器

本書は半藤氏と佐藤氏の対談形式でまとめられており、第一章では第二次大戦中に細菌戦に使う生物兵器を研究開発していた七三一部隊について語られるのだが、佐藤氏は現代においても細菌戦は終わっていないという。

彼ら(ソ連の軍医)に聞いたのは、毎年新型のインフルエンザが流行ると、それが自然変異の範囲内で起きたのか、人為的につくられたウイルスなのかをまず確認するという。インフルエンザひとつとっても、彼らは生物兵器である可能性を常に頭に入れていました。七三一部隊の情報のうち、アメリカに流れたものは、朝鮮戦争で使われたといわれています。ソ連側に流れたものもあるでしょう。それらが、いつ、どこで息を吹き返すかわかりません。

「第一章 よみがえる七三一部隊の亡霊」より

本書によれば日本軍の細菌兵器使用は、ギリギリのところで昭和天皇の「聖断」により実戦では使用されなかったが、当時の研究記録(特に人体実験の記録)はアメリカ・ソ連両国とも欲しがった。
化学兵器や生物兵器の使用禁止は1925年のジュネーヴ議定書で定められており、その非人道的な兵器は過去のもののように思われるが、開発・生産・貯蔵はその後も続き、今回のウクライナ侵攻でも化学兵器の使用が疑われている。

また、七三一部隊の非人道的な行為をソ連は「ハバロフスク公判書類」という形でまとめており、佐藤氏は以下のように指摘する。

つまり、七三一部隊の問題が、現在のロシアの引き出しに入っているということなのです。日ロ関係に何か問題が生じた場合、「細菌兵器に関する日本の責任はこういう学術論文で明らかになっていますよ」と、ロシアの新聞やテレビで報じることができる。いつでも反日プロパガンダを展開できるわけです。

「第一章 よみがえる七三一部隊の亡霊」より

仮に今回のウクライナ侵攻で化学兵器が使用されており、日本がロシアを非難した場合、このような方法でロシアが逆襲をしてくる可能性があり、先の大戦が過去のものでないことを感じさせる。

ロシア人の国境感覚

本書で最も得心したのは、佐藤氏の言う「ロシア人の国境感覚」である。

実は、ロシア人の国境概念はわれわれとはちょっと違うんです。
国境線があっても、その外側に緩衝地帯がないと安心できない。
その地帯は自分たちの領土ではなくていいんです。しかし、いつでも自由に動ける地域でなくてはいけない。つまり、線ではなく、幅のある「面」の国境をつくりたがる。

「第二章 「ノモンハン」の歴史的意味を問い直せ」より

なぜ今回隣国の主権国家に侵攻したか、これは当初から疑問に思っていた一つだが、佐藤氏の説明で合点がいった。
ウクライナがNATOに加盟すると、国境面は自国と対立する組織の側になってしまう。これはロシア人にとっては均衡を破る行為に等しい。

1939年に発生したノモンハン事件もまさにこれで、当時日本の傀儡国家であった満州国とソ連の衛星国だったモンゴルの国境で起きたこの紛争は、ソ連の緩衝地帯を侵す行為だったということだ。
本書ではこの国境紛争を契機に、独ソ不可侵条約、ドイツのポーランド侵攻と、第二次世界大戦の導火線となったという視点が語られる。
東はアジア、西はヨーロッパと接するソ連はその隣接する国々と上手く調整を取りつつ、自身の思惑を周到に進める。
現在ウクライナ侵攻に集中できるのも、アジア圏では中国・インド・モンゴルと現状ロシアに敵対していない国家が緩衝地帯となっているからに他ならない。
また、隣国同士の紛争だからと言って侮ることは出来ず、各国絶妙な均衡で保たれているものが、ちょっとしたバランスの崩れで世界規模の戦争になってしまうことを、歴史は教えてくれる。
そして、この国境感覚からすると、ロシアは北方領土を返還する気などさらさらないことが理解できる。

ロシアは不実の国か

第二次世界大戦において日本の降伏の決定打となったのは、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦したことである。
これによりソ連軍は南樺太・千島列島まで侵攻し、現在に至る北方領土問題の原因を作った。この事実から、ソ連は条約を守らない火事場泥棒的な不実の国という印象がある。
今回のウクライナ侵攻でも停戦協議は何度か行われているが、ゼレンスキー大統領は「信用ならない」と発言するなど、ロシアへの不信感を募らせているのを見ると、その印象はさらに強まる。
ロシアは国際法や条約など決めごとを守らない国なのだろうか?
佐藤氏はソ連の条約観を以下のように説明する。

「合意は絶対に拘束する」のではなく、それが進歩的なものである限りにおいて、合意は拘束する。だから国際法を完全に守るという発想はありません。

「第四章 八月十五日は終戦ではない」より

ここでいう「進歩的」というのは、ソ連のためになるということである。つまり日ソ中立条約で言えば、日ソの間で利害が一致している間は守られるが、ソ連がヤルタ会談の密約において連合国側で南樺太や千島列島の権利回復の約束を取り付け、5月9日にヨーロッパ側の大戦が終結した時点で、日本と中立を守る意味は無くなっていたのだ。
ソ連の継承国であるロシアもこのような条約観を持つ国であるという認識を持つ必要がありそうだ。

それにしても1946年4月24日まで有効であるはずだった中立条約を破ったには違いないので、ソ連を戦争終結の仲介役にしようとしていた日本からすれば「裏切られた」という思いがある。
これについて佐藤氏は以下のように説明する。

ソ連の立場にたってみれば、昭和二十年四月の時点で、日ソ中立条約を延長しないと申し入れています。(中略)不延長を通告した意味は、あなたがたにもわかるでしょう?と、このとき暗示的な言葉を強く言っていたんです。

「第三章 戦争の終わらせ方は難しい」より

また、この条約が、「不可侵条約」ではなく「中立条約」であることに日本がこだわった時点で、日本側も「自分の判断で自衛のために戦争を行うことはあるという道」を残したかったのであり、条約の破棄は必ずしもソ連だけが考えていたわけではないことを示唆している。

それでもソ連は、日本の大使が外務省本省に対して打電したソ連対日参戦の報を日本に送信せず、結果、日本がソ連の参戦を知るタイミングが遅れ、ソ連に不意打ちを食らう結果となったことは厳然たる事実である。

対ロシア制裁が求められる中で

現在日本はNATO加盟国とともに対ロシア制裁を国際社会から求められている。当然、今ロシアが行っている侵攻は武力によって版図を拡大するという非道な手段であり、これを容認するわけにはいかない。
しかし、この戦争の後もおそらくロシアという国は存在し続け、国境を接する隣国として付き合わなければならない以上は、佐藤氏が語るロシアの特性に耳を傾ける必要もある。

ロシア人の場合は、土地にこだわる領域的ナショナリズムが強い傾向にあります。

「第三章 戦争の終わらせ方は難しい」より

ロシアの報復は、「目には目を、歯には歯を」では、ないのです。
そんなハムラビ法典のような生ぬるいものじゃありません。「目には、目と鼻だ」と、取られた以上のものを取り返さなければならない。

「第四章 八月十五日は終戦ではない」より

先日、ロシアの議員が「ロシアは北海道の権利を有している」と発信したことは記憶に新しいが、彼らは1945年の対日参戦時も、日露戦争で取られた樺太どころか北海道の領有も連合国に認めさせようとしている。
日ロ間の関係が悪化すると、北方領土の返還交渉の停止どころかこういう主張をしてくる国である。
また、先ほど紹介した「ハバロフスク公判書類」など反日プロパガンダとなる情報をいくつも所有しており、仮にウクライナ危機が去ったとしても、ロシアの恨みを買うと、日ロ間の「日本危機」が起こる可能性も十分にある。

彼らの非道は許容できないが、彼らの性質や価値観、やり方を歴史から学び、日本が不利な状況や戦争に巻き込まれないように対処していく必要があるのだと感じた。

おわりに

2016年に出版された本書では、半藤氏も佐藤氏も、この対談から6年という短い期間で、ロシアが今起きているような軍事行動を起こるとは思っていなかったようである。
しかし、それでも両氏の言葉ははっとさせられるものがあったので、最後にそれらを紹介したい。

スターリンが対日参戦を宣言したのが、ウクライナ南部に位置するクリミア半島のヤルタだったことは象徴的です。二〇一四年にプーチン大統領はこの地をロシアに併合しましたが、戦後七十年を迎えた二〇一五年の二月、リバディア宮殿の前にはスターリン像が建てられています。(中略)プーチンがスターリンの帝国主義を二十一世紀に蘇らせようとしていると、私は疑っています。

「第三章 戦争の終わらせ方は難しい」より佐藤氏

「無敵陸海軍」とさかんに言われていたが、無敵どころの話ではなかった。強烈な表現の軍国主義があれば、何か精強な軍事力があるように錯覚してしまう。ほんとうに奇妙なことと思うのですが、今の日本人にも存在する錯覚のように思えてならないのです。「持たざる国」日本は、昔も今も同じです。

「第六章 第三次世界大戦はどこで始まるか」より半藤氏

重要なのは、旧日本軍がひどかったという話で終わらせるのではなく、われわれが一所懸命やったときには、どうしても同じような組織をつくってしまうし、責任をとらない体制をつくってしまうと考えるべきなのです。認識の仕方も評価システムも戦後になって変わっていないし、教育の評価の仕方も変わらない。だんだん第三次世界大戦に近づいていくと、知らず知らずのうちに戦争に巻き込まれて、また同じことが繰り返される。同じことを二度繰り返すのは、本当に愚かです。

「第六章 第三次世界大戦はどこで始まるか」より佐藤氏

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?