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自分以外の解像度の高い視点をどれだけ作れるか

想像力。顧客視点・相手目線で考えることは、日々のコミュニケーションでも重要である。

日々の仕事で培われると思っていたこの能力は、意外にもそうでもないと最近感じる。

例えば、自分が進めている事柄を相手に説明しなければならない場面を想像してみよう。
説明するのは本来手段ではなく、まず相手に正しく理解してもらうことこそが手段であり、さらにいえばその理解の先にあるアクションをしてもらうことが重要である。
しかし、実際には説明者側の論理で、その人が説明するというタスクを消化することが目的化してしまう場面をよく見る。

どういったところからそれが見えるか?

もし相手のアクションにフォーカスしていれば、相手の置かれている状況やアクションする際に障害・邪魔になりそうな課題などを取り除くことをサポートすることが重要になる。
だから、実は説明するよりも、相手のコンテキストを確認することに重点を置くべきで、そのコンテキストを質問しやすくするための理解しやすい説明をすれば良い、ということが言えるだろう。多くの場合、何かお願いする必要があるときは、相手にとってはそれまでに想定していないこと、もっと言えば手間がかかることをお願いすることになるはずだからである。

従って、対話を重視しているかという姿勢の有無に、説明者側の価値観が見えると言っても良い。さらには、相手に関心を持っているかというのも大切である。そこにさまざまなスキルセットがあると望ましいが、それを培うには時間がかかる。まずはマインドセットや行動に表れていれば、ポテンシャルが高く、後天的な育成により成長が期待できるのではないかと感じるものである。

もう一つ大事なことがある。
自分の説明することをどれだけ深く考えているかであり、理解しようとしたかである。理解できている深さは能力になるが、ここもまた姿勢である。
基本的には誰かから示されたものを説明することが多いだろう。それを自分なりに考える時、違和感を持つのは自然なことである。なぜなら、異なる視点やコンテキストを持っているからである。そして、それは説明をしようとしている相手にとっても同じだからである。もしかすると、違和感を持つ点は同じかもしれない。説明相手は自分と違うところに気付くが、実はその理由や背景は似ているかもしれない。だとしたら、自分が違和感に直面した時に思案したことが、対話やコンテキストの理解に活かせそうだ。

説明することを任された担当者にとって、何かをちゃんと理解するというのは容易ではない。また、対応期限もある。
説明をうまくするための準備は手段にすぎないのではないか。対話の準備であるというのが本質ではないか。

同質的なコミュニケーションばかりしていたり、ハイコンテキストな気の知れた仲間や近しいセグメントのメンバーとばかりと居ることは、今日の記事に書いたような基礎を鍛えることができなくなるのではないかと思う。
しかし、それに気づいていたとしても残念ながら実践するとなると、心も体も思ったようにいかないと言ったことに気づく。また、この私自身、こうした問題点を人してしていてコーチングを試みているが、なかなかうまくサポートできていない自分に直面している。

年初に立てた人材育成の目標達成のために、私自身がこの課題解決において、ブレークスルーしなければならない。

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