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ねじまき鳥クロニクル(舞台)観覧録

今日はねじまき鳥クロニクルの舞台を東京芸術劇場で観てきましたので、そのことについて少しまとめておこうと思います。先に申し上げておくと、オチはなく、本当に感想の垂れ流しです。

前置き

そもそも私自身はそれほど「舞台」という芸術・エンターテインメントへの造詣が深いわけではないことを最初に明言しておきます。

村上春樹作品の中ではねじまき鳥クロニクルに対して、作品単体として特別お気に入りというわけではありませんでしたが、村上春樹さんの何らかのインタビューでねじまき鳥クロニクルの作成過程や作品について深く語っているものがあり、そこで作中に出てくるノモンハンのことなどを深く語っていたことの方が印象に残っている(といってもこの程度の記述しかできず、具体的にどの書籍でこのことが語られていたかを覚えていない程度)。

今回、妻からこの作品の情報をもらってみに行くことになったのだが、どうやらバレエの中でもコンテンポラリーな演出やダンサーが出演されているとのことで、先日も妻に同行して観に行ったクラシカルなバレエとは違った演出がなされているだろうとのことでした。

私としては、舞台とバレエがうまく結びつかない中でこの作品を見ることになりました。

舞台本編に関する感想

まず全体として超長編と思われる小説を約3時間(幕間含む)によくまとめられていて、細かい描写を気にする人でなければ、その作品の主題やキーポイントを押さえられる演出になっていて驚きました。細かい演出や好きなシーンなどがある方にとってはもしかするとそうしたものがスキップされている可能性はあるかもしれませんが、全体感という意味では良かったと思いました。

そして、席の間近で生演奏のBGMが演奏され続けていることも私にとっては初めての体験でした(大袈裟に言えるほどたくさんの舞台を見てきたわけではありませんが)。生演奏ということで、心理的な描写を考慮した繊細な演奏による空気の振動が印象的でした。また、この演奏に合わせてバレエをベースとしたダンサーがセリフや歌に合わせて踊ることで、村上春樹作品内の主人公の歪んだり、捻れたり、迷ったりといった心理描写を表現されていて、うまく理解できていたかは分かりませんが、それをぼんやりと感じることができていたのではないかと考えています。この作品は、闇(悪?)との対峙を描写している作品とされていると思うが、どちらかというと舞台の演出から感じたのは、主人公の心理的な描写であり、私(このエッセイの筆者)個人としては村上春樹作品の2つの世界を行き来する作品全般に対して、異世界での異常な体験などを通じて、結果的に内面的に振り返りを行なったり、閉じていた世界が広がり他者の気持ちがわかるようになるといった「プロセス」として捉えていたから、この舞台での演出をそのような視点で見た時、全く違和感を感じないものだったと思う。

また、この2つの世界を行き来する主人公がダブルキャスティングされていて、地上でのトオルと井戸の底から壁抜けをしたトオルが別の役者によって演じられているのだが、それにすら意味があったのではないかと感じている(ちなみに綿谷ノボルも二人で演じておられるが、こちらは演じる回によって交代するキャスティング)。

小説の別媒体での二次創作について

村上春樹作品の映画はどうしても見に行く気になれなかったし、いまだに見ていないが、今回のような舞台版は抽象度が高く、観客の想像力にかなり補完を委ねる側面があるのではないかと感じました。小説が映像化されることが嬉しい人もいるかもしれないが、私にとって本当に抽象的に受け入れることができた作品を、具体的な姿で見ることによって、せっかく元の作品で作っていた想像が棄却されたように感じてしまうのが怖いのです。実際に否定しているわけではないが、具体的なイメージが強過ぎて、そのイメージがこびりついてしまうことが怖いのです。

ある方がある本で言っていたが、行間とは文字通り小説の行と行の間の空白で人が想像力を働かせることをいうと言っていたが、私もその通りだと思う。想像力で補完するという行為は行間を読み想像力を働かせる行為と似ているのではないでしょうか。


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