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懺悔ナイト

2020.01.15@直七法衣店

京都、西本願寺近くの法衣店。直七法衣店でのイベントです。
宗旨宗派の異なった5名の講師が懺悔について語りました。

初期仏教 天野信 師

懺悔(さんげ)とは辞書によると「自ら犯した罪を仏や比丘に告白し認容を受けること」
仏教の戒律。戒は生活規範・モラルで、律は僧侶集団が円滑に活動するためのルールで破ると罰がある
比丘(男性僧)は250条、比丘尼(女性僧)は350条の律がある
→律は不具合があるごとに追加された。比丘の律がある程度出来上がった段階で比丘尼が誕生したので、比丘の律に上乗せされて比丘尼の律のほうが多くなった

布薩は、半月に一度、出家者たちが一同に会して自己の行為を反省する集まりで、そこで罪を告白し、罰を受けることで罪が許される
→一番重い罰は僧伽(さんが=僧侶集団)からの追放

天台宗 吉田慈順 師

仏教では輪廻転生があるとされ、三世(過去世、現世、来世)の因縁を説く
医療が未発達だった時代、病気は悪い業の報いと考えられ、ハンセン病を業病(ごうびょう)と呼んだりした
→現世をより良く生きるためにも、来世でよりよく生まれ変わるためにも、滅罪(悪い業を滅すること)は必要かつ重要な行為

四種三昧(天台宗の基本的な四種の修行法)
1 常坐三昧。2 常行三昧。3 半行半坐三昧。4 非行非坐三昧 
→半行半坐三昧に法華三昧が含まれる

朝題目夕念仏
朝課(一日の始まりのお勤め)は題目=法華三昧、晩課(終わりのお勤め)は念仏=常行三昧

法華懺法(ほっけせんぼう)天台宗の重要な法要で、略式のものを日常的に行う
→次第の前半は自らを清浄にする作法で、後半は功徳と回向の作法

伝教大師がはじめた大乗戒は「梵網経」にある十重四十八軽戒を受持するもので、初期仏教ほど多数の戒律はない

現在の天台宗では、布薩の経本はあるが特別なときだけ行うもので、初期仏教の時代のように半月一回は行っていない

東アジア圏では「他懺悔」が行われる。三悪道(地獄、餓鬼、畜生)に落ちた親や先祖の罪障を滅するために子が行ったのがはじまりだが、やがて僧が国や国王のために代わりに懺悔することを行うことで国の安定・仏教興隆を願うようになった←東アジア独特の習慣で初期仏教にはみられない(by天野先生)

浄土真宗(本願寺派) 四夷法顕 師

浄土真宗は絶対他力が基本的立場なので、自力である懺悔することはない

ただ、阿弥陀仏を信心し念仏することが懺悔することになると考える

浄土真宗における懺悔とは、滅罪のために自発的に行うものではなく、他力のもよおしによって生じた信心の内容として止揚されているところにその特徴がある

キリスト教 藤原健久 師

講師は日本聖公会 聖マリア教会の牧師
日本聖公会はイギリス国教会の系統で、カトリックとプロテスタントの中間的な教義を持つ

仏教では(さんげ)だがキリスト教では(ざんげ)と読む。一説には、耳で聞いたとき散華(さんげ)との混同を避けるため(ざんげ)と読み分けたとされる

「懺悔室」(電話ボックスのような小部屋)のイメージが強いが、聖公会の教会にはほぼ無い

キリスト教では神(イエス)が絶対善なので、人間は相対的に悪を持った存在と考える

懺悔により罪を神から赦してもらい、神と繋がりたい、神に少しでも近づきたいというのがキリスト教徒の願い

懺悔は日常生活を整える作業

懺悔で罪を許されることで、最後の審判のときに天国に行けるというわけではない→最後の審判は、その人の生前の行いで決まる

神道 村上浩継 師

神道には懺悔の習慣はないが、近いものとして罪穢れ(つみけがれ)を祓う習慣がある

日本では仏教が滅罪を担っていたので、神道では懺悔の必要がなかったのではないか(by吉田先生)

神道は「明浄正直」を理想としている

神道は霊肉二元論で、神であっても肉体的な死は避けられない=神も死ぬ
ただし、霊魂は不滅

感想

講師が5名で盛りだくさんすぎて、2時間では足りないと思いました
第二回も企画を考えていますとのことなので、期待しています

懺悔を「自ら犯した罪を仏や比丘に告白し認容を受けること」と定義するとき
1 罪とはなにか?(どんな行為か?)
2 告白の対象は誰か?
3 認容の代償(罰と引き換えetc)や認容の証拠はあるのか?
4 懺悔しないとどうなるのか?

ここらへんを整理すると、宗旨宗派による違いが理解しやすくなるのではないかと思いました

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