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読書履歴#23_現代哲学の理解に挑む!

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8月1日〜8月9日
文字数 約8,500

はじめに(所感)

倫理/哲学を教えてもらったのは、もう20年近く前のことです。
当時はそれなりに面白いと思いながら、やはり印象は

「複雑でよく分からない」

というのが正直なところでした。
とは言え全ての学問は基本的に哲学から始まっていると思っています。

あらゆる事象に「なぜ?」という視点を持ち、自分なりの解釈を得ることは一種の哲学と思います。
特に今の時代は「なぜ」という視点がとても重要で、そこに今までにない発見(イノベーション)が隠れている事もあります。

この歳(37歳)になって、腰は重かったですが哲学についてかじってみようと思いました。

大人気の著書で非常に読みやすく、今風な例え話を盛り込んでくれているのでわかりやすさをありました。

たださすがは哲学!
最終的な哲学への印象は

「複雑でよく分からない」

のままです。
この本は気付いた時に何度も読み直して、その都度その都度理解と解釈を得る、そんな深い本にもなると思います。

序章

現代思想を学ぶと複雑なことを単純化しないで考えることができるようになる(世の中は単純化したら台無しになってしまうリアリティがあり、それを尊重するという価値観)

・構造主義とは1960年代にフランスで流行した学問の方法論で、簡単に構造とは「Aという映画と、BというマンガとCというドラマが同じ構造になっている」というときの構造
構造とはパターンと同じような意味であり、具体的には異なっていても、抽象的に同じパターンが繰り返している見方
・構造主義に対して、パターンの変化やパターンから外れるものなど逸脱をテーマにダイナミックに変化していく世界を論じようとしたのがポスト構造主義(構造主義は静的で、世界をパターンの反復として割り切った)
脱構築を簡単に説明すると物事を二つの概念の対立(二項対立)によって捉え、良し悪しを言おうとすることを一旦保留すること
・人は分かっていても正しさを維持して生きることは出来ず、時にはよからぬことをしてしまう
・そもそも二項対立のどちらがプラスなのかは、絶対的に決定できないので、非常に厄介な線引き問題を伴い、この線引きの揺らぎに注目するのが脱構築の思想の思考

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P11〜P29

第一章 デリダ、概念の脱構築

二項対立の脱構築という考え方を打ち出したのがアルジェリア出身のジャック・デリダ(1930〜2004)
・デリダの著書はAとBどっちつかずのところを巧みに書いており、一見はっきりしない読みにくいもの
・フランス現代思想を捉えるには「差異」が重要
差異は同一性(アイデンティティ)と対立し、同一性とはこれはこういうものであるとする固定的な定義で、差異は定義に当てはまらないズレや変化を重視する思考
・差異の哲学=同一性を崩す思想ではなく、何か仮固定的な状態とその脱構築を繰り返されていくようなイメージ
同一性は悪いものでなく必要なものだが、絶対ではないというマインドを持つことが重要
二項対立においてマイナス側に置かれているものをマイナスと捉えることが本当に絶対だろうか、と考えるのが脱構築の基本的思想(これをデリダは転倒と呼んだ)
・脱構築とは
①二項対立において一方をマイナスとしている暗黙の価値観を疑い、マイナス側に味方するような別の論理を考える
②対立する項が相互に依存し、どちらが主導権を取るのでもない、勝ち負けが留保した状態をつくる
③プラスでもマイナスでもあるような二項対立の決定不可能性を担うような第三の概念を使うこともある
・例えばゲームばっかりしてないで勉強しなさい。という文には勉強とゲームという対立がありそれを抽象化すると「真面目なこと/遊び」→「本質的/非本質的」といった二項対立が背後にある
・本質的なことが非本質的なことよりも大事なことは当たり前だから、この常識を本気で掘り崩そうとした点で、デリダは画期的だった
・本質的=重要とは何かを考えると、二項対立におけるプラスは「本来のもの」「本物」「オリジナル」であり直接的であるものであり、これを現前性と呼ぶ
・現前性に対してマイナスとなる、偽物で間接的なものを再現前と呼ぶ
この現前性(本物)と再現前(偽物)が本質的と非本質的の対立の根っことデリダは主張している
・デリダは二項対立は話し言葉と書かれたものの対立に言い換えることができるとも説いた
・直接的な現前性、本質的なもの:パロール
 間接的な再現前、非本質的なもの:エクリチュール
パロール対エクリチュールという対立はいろんな場面に当てはめることができる
・二項対立でマイナス側は「他者」側
・脱構築の発想は余計な他者を排除して自分が揺さぶられずに安定していたいという思いに介入する
・自分が自分に最も近い状態でありたいということを同一性といい、自分の内部を守ることで、デリダの脱構築は外部の力に向け「自分は変わらずこのままだ」という鎧を破って他者のいる世界に身を開こうと言っている
・本書では差異や他者からの訴えの重要性を説明した上で、しかし決断や同一性はそれはそれでせざるを得ないものであり、他者性との向き合いが拮抗する中で人は生きていくしかないということを強調する

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P32〜P54

第二章 ドゥルーズ、存在の脱構築

ジル・ドゥルーズ(1925〜1995)は固定的な秩序から逃れ、より自由な外部で新たな関係性を広げていくこと、自分の殻を破って飛び出していくことを発した哲学者と言える
・1980年代のバブル期に注目され、従来の支配層、資本家vs抑圧された労働者が対立する二項対立でなく、より多方的な社会への介入の仕方が求められた
・バブル崩壊と合わせてドゥルーズブームも収まり楽観的に新たな外部を目指すより、微細な対立や衝突を発見し二項対立のジレンマのような思考が前面化した(ドゥルーズからデリダ的思考)
・インターネットが普及し、またドゥルーズ的思考が注目され、ドゥルーズは横のつながっていく多方的な関係性をリゾームと呼んだ
・インターネットによって発言権を持つようになったが同時に管理社会も到来した
ドゥルーズ哲学のキーワードは「世界は差異でできている」(同一性よりも差異の方が先)
同一性は二次的なもので、原理として存在する(本書著者はこれを仮固定と呼ぶ)
・ドゥルーズは世界は複数の独立した現働的(アクチュアル)に存在しているが、実はこれらはあらゆる方向に複雑に絡まり合っている潜在的(ヴァーチャル)な次元があって、それこそが世界の本当のあり方だと考えた
一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っているという世界観を哲学的にはっきり示したのがドゥルーズ
・同一的なものは、永遠不変に一つに固まっているのではなく、諸関係の中で一時的にその形をとっていると捉えることができる(仮固定)
・重要な前提は世界は時間的であってすべては運動の只中にあるということで、ものを概念的抽象的に永遠に存在するかのように取扱うのはおかしいということ

・ドゥルーズ+ガタリは1972年に精神分析に対する挑発的な批判大著を書きセンセーションを起こした
・簡単に言えば、人間の振る舞いは小さい頃の家族のことだけで決まるわけでなく、自分自身をごく狭い範囲(家族における同一性)だけで考えるのはリアルではないという内容
・動物は本能的にとれる行動のバリエーションはかなり定まっていて、何を食べるかが決まっていたり、繁殖期も決まっている。しかし人間は脳が過剰に発達し本能から自由に多様な行動を取れるように進化してしまった
この自由度に対してなんらかの制限がないと何をしていいかわからなくなってしまうのが不安の根源
・自己啓発的なアドバイスは、ある種の決めつけを提供するものとして安心させるものが多い(早起きが良い、メモを取るとよいなど行動は規定するが長続きせず、また別の自己啓発本を買う)
・改めてリゾームとは、中心のない関係性のことであり、あちこちに広がっていくと同時に途切れることもある(非意味的切断)、これはすべてがつながり合うと同時にすべてが無関係でもあり得る
・この一見矛盾した考え方がドゥルーズ+ガタリのミソであり、
+すべてが関係している=すべてのことに責任をとる、でなく
+無関係を肯定し、根本的な無責任
としている
無責任の重要さは、例えば介護をするとき全責任を負ってその人に全生活を捧げるのは難しく、介護される側も監視されているように感じてしまうように、人間関係においてもつながりが必要でも一定の距離、無関係性がなければ自律性を維持できない
・無関係性=関わらないで良いという極端な状態でなく関わりすぎない、という過ぎない状態ということが重要

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P56〜P81

第三章 フーコー 、 社会の脱構築

・ミシェル・フーコー(1926〜1984)は社会の脱構築を行なった哲学者
・これまでをまとめると
 +デリダの「概念の脱構築」
 +ドゥルーズの「存在の脱構築」
 +フーコーの「社会の脱構築」
社会における二項対立を揺さぶるものとして「権力」を分析した
権力の二項対立(支配者と被支配者)を揺さぶるとは、被支配者はただ受け身なのではなく、むしろ支配されることを積極的に望んでしまう構造があるということ

・正常と異常の境界はどういう文脈で見るかによって異なるが、正常はマジョリティであり社会で中心的な位置を占めるもの、一方厄介・邪魔なものが異常と言われる
17世紀中期に監獄というシステムができて犯罪者の隔離が起こった、その後監獄と監獄的な空間(病院など)にノイズを集約することで、マジョリティの世界をクリーン化し、これこそ近代化とも言える
・この近代化は隔離だけでなく、治療して社会に戻す動きが出てきた。それは統治がより巧妙になり異常を排除するにもコストがかかるので正常の価値感で洗脳し、正常の価値観の中で役立つ人に変化させる方が統治する側は都合が良い
権力は「王権」→「規律訓練(しつけ)」→「生政治」へと変化
・規律訓練をパノプティコン(一望監視できる監獄)において囚人は自分が監視されているかどうかを確かめられないため、かえって常に監視されているという意識を植え付けられる(自己監視の状態)
・こうして体が動くよりも前に踏みとどまる空間ができていく。近代個人は本当に監視者がいるか分からないのに、不正行為、殴り合いを共同謀議しなくなり、自発的に大人しくなる
王権の時代は自分の行動を前もって管理する力はもっと弱く、もっと行動的でマズイことをしたら都度罰せられるだけだったと言える
生政治は内面の問題でなく病気の発生率をどう抑えるか、出生率をどうするとか、など人々に働きかける統治
・新型コロナで考えると「外出を控えましょう」が規律訓練で、「ワクチン接種をできるだけ一律にやろう」が生政治
近現代社会においては規律訓練と生政治が両輪で動いている
・権力の三段階を理解すると、自分が如何に主流派の価値観を守るための「長いものに巻かれる」になっているかに気付く
・フーコーは人間がその過剰さゆえ持ちうる多様性を整理し過ぎずに泳がせておくような社会の余裕について説いており、ドゥルーズの逃亡線を具体的に社会のあり方として提示した

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P84〜P 112

第四章 現代思想の源流、ニーチェ、フロイト、マルクス

・現代思想の先駆者としてニーチェ(1844〜1900)、フロイト(1856〜1939)らマルクス(1818〜1883)を取り上げる
この3人は秩序の外部、あるいは非理性的なものを取り扱った
・現代思想は権威的な秩序を批判し外部に逃げ出し逸脱することをクリエイティブだとする傾向がある
ニーチェは哲学とは長らく世界に秩序を見出すことだったが、世界の中に混乱を見つけそれを言祝ぐことを哲学史で最初にはっきり打ち出した
フロイトは精神分析の発明者であり、心理学や精神医学の展開に大きな影響を与えたが、もっと大きく言えば人類のものの考え方を根底から変えた
・自分がはっきり意識できないよく分からない理由で何かやってしまったことを「無意識だった」と言うが、この使い方の無意識はフロイトの発明
精神分析とは、自分自身でそれを引き受けて考えるのがイヤなものであることが重要
精神分析の実践とは、自分の中のコントロールから逃れるような欲望の在り方を発見していくこと
秩序とは偶然性を馴致(次第にある状態に仕向けること)する、手懐けるもので偶然を必然化するもの
・どちらかが優位で他方が劣位である二項対立によって物事を捌いていくのが表の思考であり、世界の物語化と言える
善と悪、有用と無駄、清潔と不潔、愛と憎しみを分けそこでの選択の迷いや希望や後悔をあれこれ語るのが物語
・現代思想は物語の水準に留まっていては見えないリアリティが世界にはあると教えてくれる
物語的意味ではない意味を世界や自分に見るのが「構造」を見るとも言える

マルクスは政治でも文化でもなく経済こそが(カネの問題)人間を方向付けたと喝破した
・資本主義において使う側と使われる側があり、使われる側が独立するには自分も資本家になるということ
・マルクスはすべての人がこの使う・使われるの構造から解放されるにはどうするかを考え、共産主義という考えに至ったが、未だにそれは実現されていない(歴史上の社会主義国家はそれを試みて失敗した)
根本的に経済的立場の違いは偶然的な条件の違いも大きく社長になっている人は努力だけでなく条件がラッキーであり、その偶然性に気づくことが重要で、自分が置かれた状況を必然的なものと捉えないことが自分自身に帰るための最初の重要な思考の転換
・その上で人は得手不得手があり偶然性がある。努力によって変われる部分もあれば、変われない部分もある
・それぞれ存在の偏り(よく言えば個性)があり平均化されたツルツルした世界でなくデコボコしてなんとか回る世界を目指す
・自らの力を取り戻すという実践的課題においてニーチェ、フロイト、マルクスが合流する

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P114〜P141

第五章 精神分析と現代思想、ラカン、ルジャンドル

現代思想が分かりにくい原因の一つにジャック・ラカン(1901〜1981)の精神分析が暗黙の前提になっていて、かつラカンが大変難しいことにある
・精神分析は四章のフロイトでも説明しているが、人間精神についてのひとつの仮説であり、少なくとも実践的には意味がある、効果があることが報告されている
フロイトやラカンの理論が現代の自然科学とどう対応づけられるのかまだはっきりしていないから
精神分析では人間は過剰な動物と定義付けられる
・動物は栄養摂取や繁殖などのために取れる行動の幅が狭いに対し、人間はかなり広い
・ラカンの子供の成長をどう捉えるかという発達論をモデルに大まかに説明
・まず人間は限定され有限化されている、すなわち有限化=主体化(いかに人間が人間になっていくか)
・子供は最初は母(ここでの母は母なる人物)と一体の状態から徐々に分離し理想的な状態から弾き出される=疎外
・子供は泣き叫び母を呼ぶ。泣くことが不可欠なものを呼び寄せる最初のアクション
・母の欠如を埋めようとするのが人生、そしてそれは決して埋められない。
絶対的な安心安全はあり得ないため不安と共に生きていくしかない。それを悟っても穴を埋めようとする、これが人生
ラカンは三つの領域で精神をとらえている
①想像界:イメージの領域
②象徴界:言語(あるいは記号)の領域、①と②が合わさって認識を成り立たさせる
③現実界:イメージでも言語でも捉えられない、つまり認識から逃れる領域

・ラカンは60年代(中期以後)に現実界を重視するようになる
これこそが欲しかったものと何か対象を求め、手に入れては幻滅するのが人生であり、人は常にこれこそという本当のものを求め続けている
・本当のものの対象を転々として到達できない本当のもの(=X)を巡っている。このXがイメージにも言語にもできない言い難いアレとしての現実界

・ラカンが子供の成長に目を向けているのに対して大人の立場から見ていくのが、ピエール・ルジャンドル(1930〜)であり、ドグマ人類学と呼んでいる
・哲学においてドグマとは、世界の本質はこうだというドグマ的(独断的)な決めつけをやめ、人間はどういう風に世界を捉えているのかを分析しようというカントの哲学に転換した歴史があり(哲学における近代化)、我々はカント以後にいる
・ルジャンドルは保守派で社会秩序を守ろうとする思想の持ち主で、ドグマ人類学は世界の進展から距離をとって現代的欲望を分析するのに役立つ
・昨今は物事を決めつけるのではなく、合理的・理性的に説明し合意形成をして世の中を運営しているように思っているが、実際には根本に絶対にこうでなければならないという「異論を許さない決めつけ」がある
人が規律訓練を求めるのは、認知エネルギーが溢れてどうしたらいいか分からないような状態は不快であり、そこに制約をかけて自分を安定させることに快があるから
・ルールから外れてエネルギーを爆発させるような暴走族も厳しい上下関係があり、エネルギーを解放する方向と制限し有限化する方向の両方がある
・否定神学システムとは事物「それ自体」に到達したくてもできない、近代的有限性の別名

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P144〜P173

第六章 現代思想の作り方

フランス現代思想をつくる4つの原則
①他者性の原則
・現代思想において新しい仕事が登場するときは、その時点で前提となっている前の時代の思想、大きな理論やシステムにおいて何らかの他者性が排除されていると発見する
・これまでの前提から排除されている何かがあると考える

②超越論性の原則
・カントは人間が物を認識し思考するときの前提として人間の精神にはあるシステム(OS)がありそれによって情報処理していると論じた
・このOSをカントは超越論的と形容した
・先行する理論ではある他者性が排除されている、ゆえに他者性を排除しないようなより根本的な超越論的レベル(前提)を提示する、というふうに新たな理論をつくる

③極端化の原則
・現代思想ではしばしば新たな主張をとにかく極端にまで押し進める

④反常識の原則
・ある種の他者性を極端化することで、常識的な世界観では受け入れられにくい帰結が出てくる
・それこそが常識の世界の背後にあり、むしろ常識の世界はその反常識によって支えられているという転倒に至る

デリダは二項対立によるプラスとマイナスのマイナスに注目した(脱構築)
・そこで排除されたのはエクリチュールという他者性(真理から遠ざかり、ズレて誤解されるもの)
・たいていの場合、ズレや誤解、さらに言えば嘘や虚偽をなしにはできないことを受け入れ、多少なりとも濁った水で生きていくこそがむしろ倫理的である、という反常識的な帰結が出てくる

ドゥルーズは先行するのは物事が同一性を持ち、これはこうゆうものだと定まっている世界で、さらにそこがプラスとマイナスによってヒエラルキー化されていると特徴付けした
そこから排除されるのは、デリダと同じくズレや差異であり、同一性の崩れこそが世界の超越論的な条件としている
・さらに差異それ自体が世界を作っているという存在論につながる

・エマニュエル・レヴィナスは差異の哲学を提示した人(差異よりも他者というキーワードで知られている)
・レヴィナスは哲学史は他者の問題を排除してきた、だから他者の方へ向かう哲学を考えなければならないという立場

◼️四原則の連続
①他者性の原則
先行する議論は安定的なものとして構造S1を示しているが、そこからは他者性Xが排除されており、まずはこのことに気付く
②超越論性の原則
S1は実は根本的な構造ではないという問題提起に向かい、S1は根本的でなかったからXを排除せざるを得なかった。そこでS1を条件づける構造S2(マイナス)を考え、S2によってXが肯定される
③極端化の原則
S1にとってXは従属的、付随的だったがXが極端化され、Xこそが原理となるようなS2を考え、それがS1を条件づけると考える
S2を定式化するために慣例を破って新たな概念をつくる
④反常識の原則
S2を前面に押し出すと常識と齟齬をきたす帰結を生む

現代思想入門
ISBN978-4-06-527485-9
P176〜P192


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