見出し画像

己を知れば生活が豊かになっていくということ

今、学ぶことがとても楽しくなっている。
無論、学ぶことのみに満足してはいけない。

知っている 理解している 使える

なかまこ@SUNABACOさんのツイートより

なんだから最後には使えなきゃ何にもならない。

学びとは、勉強や本を読むことばかりでなく
意識をちょっと高めて自分を知ろうとすることで
自分からでも学ぶことができると考えています。

例えば
スキルの棚卸し

自分にはどんなスキルがあるのか。
自分について見つめ直し考えることで自己肯定感が高くなりました。

よっぽどの承認カップ割れまくり人間でない限りは
誰しも心の奥にある
俺のこういうとこすごいと思うのにな
って部分を自分で光を当ててマイニングする作業。

掘り起こしてきた原石を自分で精査していく。
研磨が必要ならもっと磨き上げる。

他人に認めてもらうことに注力するよりも
自分という概念を他人に見立てて見つめ直してあげて自分で自分を認めてあげる方が誰も迷惑しないしコスパもタイパも最強だと感じています。

記事を書く時、僕は自分のことを書いています。
というかこれしか書けないことが事実です。

今37歳の自分が感じていること、何かをやり始めた時の状態を記録しておくことってきっといいよね
ということを実際に始めてみたことでその良さを肌で感じています。

誰もが考えながら生きている。
それぞれの何気ない日々がもしかしたら誰かを助けるたどり着いた1つの境地かもしれない。

それを発信して本人が伝えたいことが伝わるかというとそうでないことの方が多いと考えています。
そこが発信することの怖さだった時期があります。

特に感想を書く時、、、自分なりに考えて書くし感じたことを書くのだけど
「俺が言いたいことはそこじゃないんだけどなぁ」

と思われることが怖かった。
自分で勝手に生み出した恐怖の悪魔に怯えていた。

でも実際に
伝えたいことが相手には伝わらない。
というのは過去に経験していた。

例えば。
宗教や自己啓発セミナーでの勧誘でどんなに自分が良いものだと言っても伝わらない。

伝え方?思い?お金?時間?その人の気持ちになる?今までの自分の生き方?
誰も勧誘出来ないまま、危険因子だと言われるは、妻とは離婚危機を迎えて主催側から契約破棄と言い渡されハッと目が覚める、みたいなことが一昨年の日本のどこかで起きていた。

何をしても伝わらない時は伝わらないし、当人が伝えたいⒶも相手の思考フィルターを通してⒶ´というものに変換されている。
そもそも網目がないただの蓋かもしれない。


だから人が見たものについて感じたり考えたりすることは分布はある程度固まるかもしれないけど千差万別であっていいのだ。
そもそも文章の読み取り能力も違うのだから。

そこに気づいたらその恐怖の悪魔は少し離れていった。


自分が何を考えて今生きているか。
今何を感じて生きているのか。
それらを自分の言葉で文章にしてみる。

一貫性がない。芯がない。
ということを悩みにしていた僕が
人に話す時でも自分の持っている信念のような考えを少しでも持ちながら
会話が出来ているという実感を感じました。
これがあると考えのレベルの波がなくなるのかもと感じています。


どんな時でも自分は自分である

文章にしたらとても単純なことだけど
このことを認識出来ただけで確実に僕の生活が豊かになっている。

同時に理解できなかったことが理解出来てくる。
本当に不思議なことです。


生きることは辛い時も楽しいときもある。
でもどんな時でも生きていることを本当に幸せと感じられる。
皆さんに出会えて日々変化を感じて生きています。

人間に生まれて本当によかったです!




ここまでお読みいただきありがとうございました。
少しでも【面白かったよ!】って思われましたら、下にある❤マークをぽちっとしていただけるととっても嬉しいです^^よろしくお願いいたします!

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは書籍購入などに使わせていただきます!