なんでカメラを向けるのか。

こんばんは安田です、前に写真家の濱田英明さんが「シャッターは愛の告白だと思いませんか?」と仰られてる。
カメラメーカーのSIGMAさんが短編の映画を公開して、冴えないお父さんがピントのあってないヘタクソな写真を何故撮り続けたのかと言う話。

なんとなーく、カメラを向ける事について見てる周りの有名な人達が書いてて同じ見解なのかな?と思う。
僕がカメラを始めたのが今から6年前、当時は人に必要とされたくてカメラを買った。

今年で36になるが僕にはもう両親は居ない、父は7年前に他界して母もその3年後病で他界した。
父が亡くなる頃にはカメラを持ってなかったけど、母が生きてる頃にはカメラを持ってたのだけれど一度も母を母と写真を撮った事はなかった。

じゃあカメラは好きな物、人にむける物だから母を1枚も撮らなかった僕は母が嫌いやったのか?と言えば答えはNOだ。
母が亡くなった時に遺影に使う写真を選ぶ時に全く写真がない事に気がついて。

なんで撮ってこなかったんだろうと後悔したのを覚えてる結局、父の遺影に使った写真に母も写ってたからそれを使った。母の葬儀も終わって落ち着いた頃に。
実家の写真を探し回っても僕が幼い頃の家族写真しかなかった、ストリートに繰り出しても撮影依頼を出してモデルさんを撮る時でも。

やっぱり好きな光景、この子が好きだって思う人に依頼を出して自分の好きな相手の角度を探して撮ってる。
僕にとってシャッターを切る事はその時だけやけど独占したいんだと思う、その独占ってワガママな身勝手な事と言うか。

家族とか恋人の様にある種、自分のものと言うと語弊があるけど独占しておかないと!
って言うワガママな感情が無くなってる相手は撮らなくて良いやって思ってしまう。

きっとこの先会わなくなるから撮って記憶しなきゃ!いつでも会えるから撮らなくても良いや。
後者だからってぞんざいに扱ってるって事でもない、沢山撮るからずっと撮り続けるとも限らない。

これをこの人を撮りたい!って事ってなんなんでしょうね。

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