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自己一致感。わたしが私である感覚。

生まれ育ってきた環境の中で、ありのままの自分自身を肯定してもらいながら生きてきました、という人は少ないと思う。社会性を身につけるために、親や周りの大人たちの躾や学校の規則など、当たり前のように誰もが制限を受けてきている。そのことを今更とやかく言うつもりはないが、それによって自分が自分らしさを感じる感覚というものがわからなくなってしまっているのではないかと思うのだ。
あなたがあなたらしいと感じる時ってどんな時ですか?と尋ねられても、具体的にこんな時です、と答えられる人は少ないのではないだろうか。
あるべき姿を求められながら生きてきた。それが評価され、素晴らしい、素敵だ、と言われ、それが自分にとって正しいことなのだと信じ込まされてきたから、それこそが自分らしいと感じている人もいるかも知れない。
そこにはきっと、捨ててしまった自分、がいるのではないだろうか。

不安が常に付きまとう、安心できない、幸せを感じることが少ない、自分自身が好きになれない、そもそも自分がよくわからない。
セッションをしている中でも、普通に人と会話している中でも、このような人に出会うことは少なくない。
よくよく話を聞いてみると、真面目な性格の人が多いし、几帳面だったり、社会的にいわゆる「いい子」が多い気がする。決して悪いことではないのだが、あえてキツイ言い方をすると、自分よりも人のため、会社のためという大義名分を掲げて、自分の心に嘘をついている嘘つきたちだ。
周りに評価されること、期待されていることを成し遂げること、要は外側の目や評価を気にして心の奥底は不安と恐怖をベースに生きている。
ちょっと言い過ぎかも知れないが、おそらく自分が自分であるという感覚、自分らしいと感じる感覚、自己一致感は少ないのではないだろうかと思う。

自己一致している時の感覚ってどんな感じだろうか。それはきっと今ここに生きている感覚に近いと思うし、この感覚の中で生きていきたい、と心の奥がうずき、どうしてかわからないけど涙が出るような、でも悲しいのではなく、懐かしくもあり、愛おしくもあり、言葉にできない安堵感や幸せ感を得ている状態ではないだろうか。少なくとも私自身はそういう感覚だ。
きっと人それぞれそれを感じる時の感覚は違うだろうが、おそらくその環境が持つ周波数(波動)と自分自身の周波数(波動)が一致している時ではないかと思うのだ。右脳優位だったり、もっと言えば何か見えない大いなるものに導かれているような感覚の時と言えるのではないかと感じる。
いずれにしてもそれは社会的な我慢、ねばならない意識、頑張る自分、周りの空気を気にしている分離した自分では決して味わえないものだ。

あなたがあなたと一致している時、世界は光に包まれる。時間など気にせず無邪気に遊んでいた子どもの頃のように、時間の流れは変わり、五感さえも敏感になり、見えない何かと繋がっている感覚があり、すべてを赦せるし、大丈夫、という不確かな自身さえ芽生えてくる。
きっともうすでに終了時間は過ぎている。でもアディショナルタイムがあってその時間を過ごしている時ではないかと思うのだ。
今まで通りに生きる選択をするのも自由だし、自己一致感を求めて今までの意識の枠や箱から出ることを思い切ってやってみてもいい。
どちらを生きるのもあなたの人生には変わりはない。どっちが好きか、自分らしいか、今一度自分の心と向き合ってみる。あなたが恐怖に感じるその意識の向こう側にあなたの理想の楽園があるかも知れない。アディショナルタイムは刻々と過ぎていく。


==☆自分自身と繋がる生き方応援します☆==

『本当の自分で生きる』がコンセプト。
私が提案したいのは『自分らしさの追求』です。自分らしさ=魂の歓喜。
思い込みという枠組みの外側にある、あなただけのワクワクの世界。
それはまだあなたが体験したことのない世界かも知れませんし、小さな頃の思い出が呼び覚まされるかも知れません。
Back to the Nature. 自然に還ること。自然とは環境的な自然だけでなく、本質的な自分自身という意味でもあります。自分の内側を見つめる体験を通して、自分自身と繋がる生き方を応援します。

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