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ハワイの島々には個人所有の島があるって知ってました?

ニイハウ島という島を知っているだろうか?
ニイハウ島はカウアイ島の南西に位置する島で、ここはアメリカ合衆国に属する島ではなく個人所有の島。「禁断の島」「秘密の島」などという異名を持っている。いったいなぜ個人所有の島がハワイに存在するのか?誰がこの島のオーナーなのか?気になるところだが、19世紀まで話はさかのぼる。

1864年、ニュージーランド出身のエリザベス・シンクレア婦人がカメハメハ5世の主催するパーティーに招かれた際、総面積約200㎢のカウアイ島を買うように勧められ、金貨1万ドルとピアノ1台で買い取ったことが「個人所有」の始まりである。さらにその際の条件として、島に住んでいた約300名のハワイアンを従えるチーフ(首長)になる権利も含まれていたようだ。

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シンクレア婦人の他界後、彼女の子孫であるロビンソン・ファミリーに島の所有権が引き継がれ、現在ではロビンソン兄弟(兄・ブルース、弟・キース)が所有し、管理している。
現在、島民は170名ほどで、そのほとんどがネイティブ・ハワイアンだと言われているが、中には日本や中国から漂流してきた人たちの子孫もいるようである。公用語はハワイ語で、島には電気も水道もなく、昔ながらの自給自足の生活を営んでいると言われているが確認できないため定かではない。
島はほぼ鎖国状態で出入りできるのは、原則として、ロビンソン・ファミリーとカウアイ島の関係者だけのようだ。島民は島を出ることもできるが、一定期間内に島に戻らないと、島に住む権利を失ってしまうと言われている。島の主な産業は、牧畜、サトウキビやハチミツなどの農園で、そこで働く人々はロビンソン・ファミリーから衣食住の保障をされている。また唯一の島からの出荷物として、ハワイ語で「ププ(pupu)」と呼ばれる海岸で採れる小さなニイハウ・シェルで作られたアクセサリーがあり、その美しさ、高い芸術性、希少価値から宝飾品並みの高値で取引されている。

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島の所有者のひとりであるキース・ロビンソン氏は、1986年に救急医療用としてヘリコプターを購入し、ヘリコプター会社を設立した。これにより、彼の承認を得たニイハウ島を訪れるツアーが不定期で就航していたが、人のいない島の北部のビーチに数時間だけ滞在するというだけのものなので、島民との接触はなく、昔ながらの生活を垣間見ることはできないようだ。

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この孤立した小さな島で第二次世界大戦中に起こった悲劇がある。「ニイハウ島事件(Niiha'u Incident)」と呼ばれる事件だ。
真珠湾への第二次攻撃のため戦艦『飛龍』から一機のゼロ戦が発進したが、エンジントラブルによりニイハウ島に不時着する。ゼロ戦のパイロットは西開地重徳一飛曹(海軍一等飛行兵曹)という人物。
ところがそこで事件が起きた。不時着地の近くに住んでいた島民のカウリア・カレオハノがゼロ戦の機内から地図と拳銃を盗み出してしまったのだ。大日本帝国海軍の軍人にとって地図はいわば機密書類に当たる。西開地と住民との間に一触即発の緊張感が漂い始めた。
彼らの仲介役に立ったのが、農場の管理者としてカウアイ島から来ていた日系二世の原田義雄夫妻だった。カレオハノが地図と拳銃の返却を頑なに拒んだため、西開地と原田は銃で武装してカレオハノの家へと向かったのだ。
それを知ったカレオハノは逃げ、近くの村の住民の家へと身を隠した。島民は良き隣人として3年間も親交を深めていた原田がそのような行動を取ったということが信じられなかった。
その後、西開地と原田は島民のベニ・カナヘレに対し、妻のエレを人質に取り、カレオハノを見つけ出さなければ妻はおろか、島民の命を奪うと脅した。緊迫した状況の中、西開地と原田の一瞬の隙をつき、ベニとエラは西開地を襲った。西開地は銃で応戦、発砲しベニの足と腹部に3発命中するもベニは一向にひるまず、西開地を岩壁に投げつけ、頭を石で殴打、最後はナイフで喉を切り裂いたのである。
これを目の当たりにした原田は、大きな絶望感とアメリカ人でありながら島民を裏切り、日本軍に加担してしまったジレンマの中、自ら散弾銃でその命を絶ったのだ。
これが第二次世界大戦中に島民と日本軍人のいさかいに端を発する悲劇的なニイハウ島事件である。
英語になるがYouTubeでも詳しくニイハウ島事件について解説されている。

個人所有の島ニイハウ島。「禁断の島」「秘密の島」の異名通り、その全貌は今もなお謎に包まれたままである。


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