見出し画像

ハワイの旗は2つある?

イギリスの探検家ジョージ・バンクーバーは1794年2月にハワイ諸島の最初のユニオン・ジャック(イギリスの旗)をカメハメハ大王に贈呈し、カメハメハ大王の敷地に掲揚した。
ジョージ・バンクーバーは、1778年ジェームス・クックとハワイ諸島に最初に訪れた西洋人のひとりである。
当時、イギリスは絶大な力を誇っていたため、ユニオン・ジャックを掲げることでハワイがイギリスに保護されている関係を他国に示す働きとなり、容易に手を出すことができない、一目置かれる存在になったのである。

しかしその一方で、ハワイはイギリスの占領下に置かれたという解釈をする人もいたが、カリスマで頭も抜群に切れていたカメハメハ大王は、イギリスによって保護されていると見せかけている間に「ハワイアンとして自分たちの文化、伝統、風習に則った法律を作り、自衛すべきである」と民衆に訴えて自国の旗を持つ重要性を認識し主張し始めたのである。

その後1816年、カメハメハ大王と友好関係にあったイギリスのジョージ・C・ベックリーに、カメハメハ大王が旗の製作を依頼する。
託されたベックリーは、ユニオン・ジャックと赤・白・青の縞模様を組み合わせた旗を作り、カメハメハ大王に見せたところ、カメハメハ大王はその旗を気に入って誇りに思い、さっそく彼の敷地はもちろんのこと、各島々にある王家の土地にその新しく作った旗を掲揚し、ハワイ王朝の国旗として使われるようになったのである。
1843年にイギリスがハワイを短期間占領するという事件の後、当時のハワイ王国の王であったカメハメハ3世は、ハワイの国旗のストライプの数を主要な島々に対応して8本としたのである。
この時に有名なカメハメハ3世の演説はハワイ州のモットーとなっている。

“Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono.”
「土地の命は正義とともに永遠に生き続ける」


その後1959年、アメリカ合衆国の50番目の州に昇格すると同時に、州旗として使われるようになり、現在に至っている。

画像1

しかしハワイにはもうひとつ旗がある。
『カナカ・マオリ』と呼ばれるその旗は、ネイティブ・ハワイアンの旗とも言われている旗であり、現在のハワイの旗よりもずっと前からカメハメハ王族の個人的な旗であったと言われている。

画像2

この旗の存在を明かしたのはジーン・シメオナという人物。
2001年ホノルルのジーン・シメオナが、「ネイティブ・ハワイアン」と呼ばれるカナカ・マオリ族の旗を一般に紹介した。
シメオナによると、このデザインは「1843年にハワイを5ヶ月間占領したイギリス海軍のジョージ・ポーレット大佐によって捨てられた、緑・赤・黄の縞模様からなる「オリジナル」の旗から復活したもの」だと伝えている。

シメオナは1999年、イオラニ宮殿で「現在のハワイの旗はオリジナルのモノではない」と語るポーレット大佐の子孫と出会う。
このことがきっかけとなり、シメオナはハワイ公文書館で最初の旗のデザインを探し回って復元させたのである。

旗のストライプの緑は庶民階層と土地と善良を表現し、赤が首長に仕えた土地頭と血統と力を表現し、黄色が首長と精神性と危機に対する即応力を表現しているそうである。
旗の中央には、ハワイアンの航海の歴史を象徴する交差した尖った櫂とカヒリからなるハワイ原住民を象徴する緑の盾の紋章がデザインされている。

ハワイの旗はこのように2つのデザインがあるが上のデザインが一般的で、先住民族としてのハワイを主張する時には下のデザインが採用されているように感じられる。

もし気に入っていただけたましたらサポートお願い致します。クリエイターとしてさらに上を目指して頑張ります!感謝!!