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エコでサスティナブルな古代ハワイの集落『アフプアア』のお話。

アフプアアはハワイの土地区分の中で最も重要な単位だ。
アププアアという言葉は「祭壇」を意味する「アフ(ahu)」と、「ブタ」を意味する「プアア(puaʻa)」という言葉から成り立っている。
土地の境界線が交わったところには石を積み上げた祭壇が造られ、ブタの頭をイメージした彫り物をククイの木を使って作り、アラエアと呼ばれる赤土で汚して祭壇に置かれたことに由来している。
アフプアアの祭壇は豊かさや平和、雨の神である「ロノ(Lono)」を祀っていた。ロノはブタの頭のイメージの範囲内に住むといわれていたために、それが作られて置かれていたのだ。
その土地の形や大きさでアフプアアは異なるが、典型的なものは山の頂点から海のリーフまで帆の長い土地区分だった。リーフがない土地の場合、海の境界線は沿岸部からおよそ2.4㎞ほど沖合いに作られていたようである。

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アフプアアはそれぞれ独自の名前を持ち、隣との境界線は厳密に決められていた。その目印は大きな岩や一連の木がほとんどだが、ある特定の鳥の巣を境界線として決められていた場所などもあったようだ。
谷間のアフプアアは、ほとんどの場合、その尾根が境界線そのものだった。
ひとつのアフプアアの中で生活する人々は生活共同体としてのひとつの家族「オハナ(Ohana)」としてみなされ、互いに協力し合いながら暮らしていた。自分が暮らすアフプアアの中であれば、どんな野生のものでも利用して構わなかったが、他のアフプアアのものは何ひとつ採ってはいけないという決まりになっていた。
それゆえ自然の恵みを頼りに暮らす古代ハワイアンにとって、境界線を決めることは非常に重要なことだったのだ。

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なぜ土地を山から海に続く区画で分けたのか?
古代ハワイアンは、高地・平野・海の3つの異なる区域が生活に非常に重要なものであるということを知っていた。中でも真水の供給が最重要課題で、真水の供給を中心にアフプアアを構成していたのである。
ハワイでは高地を「ウカ(Uka)」、平野、中腹部を「クラ(Kula)」、海を「カイ(Kai)」と呼び、それぞれの自然で与えられる重要な恵み、コミュニティが生き残るために必要な資源を分かち合い暮らしていたのだ。
例えば、ウカ(高地)には薬になる植物がある。さらに、カヌーや家などの構造物を作るための木もここで収穫される。
鳥は捕獲され、羽の装飾品を作るために放されていた。
クラ(平野、中腹部)では、バナナ、タロイモ、パンの実、サツマイモ、ココナッツなどの農作物が栽培された。
カイ(海辺)では、魚、タコ、貝、海藻、塩などの海からの食料やその他の資源を調達した。

ハワイアンは昔から資源管理に長けており、何世代にも渡って海と陸の恵みで生活を維持してきた。
ハワイにはロコ・イア(養魚池)というシステムもある。汽水域の小川が海に接する部分を石で囲み、池にしたのが養魚池だ。
浅い水域には海藻が繁茂しており、壁の隙間や水門の隙間から魚は自由に出入りできるようになっており、ボラなど当時では高級な魚が泳いで餌を求めていた。池の中で大きくなりすぎて水門の隙間を出入りできなくなると、魚を捕まえていたのだ。このような形の養殖は今日でも行われている。

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カウアイ島のリマフリ・ガーデン、マウイ島のカハクロア村、ハワイ島のワイピオ渓谷(下写真)、モロカイ島のハーラヴァ渓谷などは、いまでも非常にわかりやすいアフプアアのかたちが残っています。

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しかし地域を監督しているチーフが変わるとアフプアアの境界線も再構築されて土地区分も変化したため、人々の生活の変化も余儀なくされたと言われている。

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上の写真のようにアフプアアのサインはハワイの至る所に点在している。
アフプアアを知らない人にとっては「これってなんだろう?」という看板だがハワイアンにとっては大切な地域の境界線を示すサインなのだ。
地域ごとにさいんがあるのでチェックしてみるのもおもしろいと思う。

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