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後輩たちへの手紙④:書く効用

大学3年生の就活を伴走する1年間のゼミを運営しています。
ゼミを通じて、学生から社会人への大きなステージチェンジを一緒に過ごした卒業生へ向けた、お手紙の記録です。

23年8月7日の手紙(前半)

前期のゼミが7月末で終了しました。前期のゼミ終了に伴い、レポート課題もいったん終わったことになります。

毎週のレポート課題、覚えていますか?提出しなくてもペナルティはないので、一回も出してない人もいると思いますがww。
2019年から始めたこのレポート課題、私にとって特別な意味のあるもので、毎週コメントするのは大変なんだけど続けている取り組みです。

「書くことで分かることがある」って信じてるんです。
書くこと、つまり自分の内側にあるものを外に出してみること。言葉にして表現すること。
話すことも似ているようだけど、書くことには自分との対話が発生するぶん、もう少しパーソナルな、選ばれた言葉になる気がする。

スマホを見たり目の前のことに対処して、考えることもいっぱいあって…そんな毎日を過ごしていると、自分の言葉=考え・感情をつかまえるタイミングがないですよね。
自分が何をしたいのか、何が楽しいのか嬉しいのか、何は嫌なのか避けたいのかよく分からなくなってくるような、自分が自分と一緒にいないような気がしてくる
そういうときに、「書く」行為は自分をちゃんとつかまえて繋がるきっかけになってくれるように思います。

社会人2年目の頃、広告会社の営業マンで毎日外回りしていた頃に日記をつけていました。
外回りの隙間時間、食事するために入った店やカフェや駅のベンチで、手帳を開いて昨日の日記を書いていました。
忙しい日が続いて書けないときもあったけど、そういう時は書けなかった日の分を遡って書いてました。
そして、必ず書いた内容を読み返していました。先週の分から10日分とか、時には1ヶ月前の内容から。

「あー今月は忙しかったな」とか「よくやってたなー」「あれはヤバかった」「あの日は喜んでもらえて嬉しかったなぁ」とか、小説を読むかのように味わって、そして今日の分から続く白紙を見て「よしがんばろ」と仕事に戻っていく。
毎月数百万円のノルマがあって、2週間おきにやってくる山を乗り越える…そんなプレッシャーの中で自分をつなぎとめる方法があの日記だった。

同期と飲みに行ってグチを吐き出すのとも、上司に相談するのとも違う。一昨日も昨日も一所懸命生きていた自分を確認することが自分を強く支えてくれていたと思います。
それまでにも書くことの大切さや面白さを知っていた気がするけど、書く効用を身をもって実感したのはあのときだったのかもしれません。

ゼミでも、レポートを熱心に書いてくれたメンバーがいました。
ほとんどのメンバーにとってはめんどくさくて、やっつけで書いたんやろな~(そんなもんだしね!)と思うものも多い中で、「これは本気で(全身全霊で)コメントを書かねば」と感じるレポートがあるんですよ。
レポートの中にその人の生々しい何かが浮き上がってくるような…私がそう感じるくらいだから、きっと本人はもっと何かをつかんでいるんだろうなと想像できる文章。

レポートが私の手元に残ることはないけれど、そんなやり取りをしたメンバーのことは心の深いところで交信させてもらった相手として、強く印象に残っています。

書くことが自分の心を耕してくれるし、読み手にも表面的でない何かが伝わる…そんな「書く効用」が確かにあると信じています。


後半に続きます


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