見出し画像

スポーツが持つポテンシャル

私の発信には頻繁に「スポーツのポテンシャル」なる言葉が出てきます。

これは自分の中では「既に常識」という思い込みがあり、相手も理解していること前提で話しをしてしまうことがありますので、補足説明も兼ねてここにまとめたいと思います。

画像1

Ⅰ:スポーツはエンターテイメント

まずスポーツの魅力と言われて誰もがイメージするのは、プロ野球やオリンピック、甲子園などの「スポーツエンターテイメント」でしょう。

これは興行収入としての商業価値が高く、地元からスター選手が産まれれば町興しなどに繋がります。

しかしプロスポーツも世界大会の誘致も、まずは競技場というハードが必要なことに加え、チームを支えるスポンサー集めや観客動員、広報活動など、都市圏じゃないとそもそも実現が難しいという課題があります。


Ⅱ:スポーツは心技体を育てる

プロスポーツのレベルに及ばなくても、競技スポーツや武道に打ち込めば誰もがある程度「心・技・体」の成長を感じることができます。

スポーツ少年団や部活動の指導者は、これこそがスポーツの魅力であると信じて疑わず「チーム一丸となり、自己犠牲の精神で勝利を目指すことが社会性に繋がる」と謳ってきました。

それは確かに間違ってはいないと思います。

しかし過剰に勝利や肉体的・技術的な向上を優先しすぎて、本当の意味で心身を犠牲にしてしまう子供や選手がいることも事実です。

競技スポーツは感動や技術の向上という恩恵を与えてくれますが、その年齢が低ければ低いほど、勝利以上に「心の成長」や「体の成長」(時には安全)を優先しなくていけません。

画像2

Ⅲ:スポーツ活動で子供の学力が上がる

これは様々なエビデンスが公開されているようなので検索してみてください。

テレビゲームですら、まったくやらない子より「1日1時間程度ゲームをする子のほうが学力が高い」傾向があるそうです。

勉強もスポーツと同じ。「やればやるほど成果に繋がるわけでは無い」ということですね。

スポーツにおいてはテレビゲームでは期待できない体力の向上が加わり、ストレス発散になり、忍耐力や集中力がつきます。それらの結果として、学力が上がるという理屈のようです。

もちろん、勉強なんてする暇がないくらい毎日ヘトヘトになってしまうのであれば別ですが、適度にスポーツ(もしくは外遊び)の機会を与えることは、子供の学習環境においても効果的なんです。


Ⅳ:スポーツ活動によって子供の将来の収入が上がる

最近メディアが取り上げることも増えてきた「非認知能力」が関係しています。

『将来の収入は、学力よりも非認知能力の影響が大きい』

『非認知能力を伸ばせば学力も上がる』

こんなことが言われています。

非認知能力とは、学力やIQのように数値で表せるものではなく、まじめさや協調性、自己肯定感ややり抜く力など、将来社会に出た後で重要視される能力のことです。

この能力、実は「スポーツ活動で伸ばすことができる」ということで、幼少期からスポーツを習ったほうが良いのでは!?とスポーツの習い事が注目されるきっかけになっています。

↓『社会で活躍する子を育てるスポーツ指導』

画像3

ただし、スポーツをやれば誰でも何処でも非認知能力が伸びるか?と言えばそんな都合の良い話はありません。

どのようなスポーツ指導が非認知能力を伸ばすのか?

その点については、また機会があればお話ししたいと思います。


Ⅴ:スポーツの力で生涯健康

医療の進歩で平均寿命が伸び続ける昨今。

長く生きること自体は素晴らしいことだと思いますが、健康寿命も伸ばしていかないと「寝たきり」や「入院・治療」の人生が長くなるだけになってしまいます。

そこで、元気の秘訣としてスポーツ(運動)が取り上げられるのですが、私個人の意見としては衰えを感じ始めてから(衰えてから)運動習慣を身に付けるのはとてもたいへんです。

それは「ずっと勉強してこなかった人が、定年退職後に突然大学入試に挑戦する」くらいたいへんです。

なので大切なのは、元気なうちに運動習慣を身に付けること。決して激しい競技スポーツにチャレンジする必要はありません。

ちょっとした運動を定期的に継続して、衰え始めるのを遅らせる。これが最も簡単な健康寿命延伸の方法です。

だからこそ幼少期にスポーツ(運動)への苦手意識を持たないよう、体育や部活も変化していくべきと個人的には思っています。

画像4

Ⅵ:地域コミニティづくり

スポーツ活動によるコミュニケーションは、年齢や性別・国境すら超えていきます。

公平すぎる競技スポーツのルールではなく、誰もが楽しめるけど、協力しないと勝てない(楽しくない)ようなスポーツ活動に取り組めば、あっという間に価値観の壁を越えて親しくなれます。

それは体を動かすことによる爽快感と、協力しながら勝ち負けを楽しむことが「他者との一体感」を産みだすからです。


お祭りのお神輿や、町内会の餅つきなんかも同じ要素があります。

そういった歴史や伝統ある儀式や文化イベントも当然、地域コミニティづくりには有効なのですが、歴史と伝統があるものほど体力差や年齢差、男女や国籍の違いによりマイノリティを産み出してしまうことがあります。

それに比べて町内会の運動会や近年話題になっているゆるスポーツはどうでしょう?

楽しむことや知恵を出し合うことに重きを置き、交流すること自体を目的にスポーツを行うと、そこには笑顔やより良い人間関係が産まれるものです。

これがスポーツの一番の価値だと私は考えています。


日本中の自治体が「未来のまちづくり」のツールとしてスポーツを掲げるのは、こういった「スポーツが持つポテンシャル」が認知されているから。

今後は、このスポーツのポテンシャルをどう引き出せばよいか。

自分自身で証明しながら、実例を基に紹介していきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?