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安心感と距離感

高校時代に出会った小説をたまに読み返します。この小説の主人公は大学進学をきっかけに1人暮らしを始めます。
新しい街で初めて入った喫茶店、そこで非常に雑な接客を受けます。別の日に入ったショールーム、ここでは自社の商品カタログすら読んでいないセールスマンの接客を受けます。
普通なら怒るところでしょうが、彼は違います。
「これなら自分も喫茶店であれセールスマンであれ、やっていけそうだ。」と安心感を覚えます。


彼は、大学で知り合った先生、友人、高校時代からの親友、恋人、親戚の紹介で知り合った不登校の高校生、近所に住む訳ありの女性等、様々な出会いに恵まれます。誰に対しても尊大になることなく、かといって卑下することもなく、実に堂々と接します。時にぶつかることはあっても、落ち込むこともなければ、逆切れすることもなく、決裂してしまってもそれも運命と受け止めます。


この主人公の安心感と距離感がここ数年のキーワードです。


公私関わらず、課題や問題は色々列挙するものの、それに対するアクションが不明確もしくは全く納得感が得られていないケースに遭遇することがあります。
相手は鋭い指摘を聞きたいわけでもなければ、いい話を聞きたいわけでもなく、一人称でいつまで何をしなければならないかを知りたい場合、単なる指摘では何の意味もなさないどころか禍根だけを残しかねません。
その場合、どうすればいいのか?を具体的に聞き出すことになりますが、この具体的な問いかけに拒絶反応を示されるケースがあります。時には「対応は私が考えることではありません!」と食らうこともあります。


15年ほど前にそういった反応にブチ切れて「具体的な対応策がないなら黙ってろ。」と担当から外してしまったことがありました。(今ならハラスメント問題に発展していたかもしれません。。。)
最近は、全く腹を立てないわけではないですが、特に仕事面でそういった状況に遭遇すると「この世界でまだやっていけるかもしれない。」という安心感を覚えることの方が多くなりました。


距離感も然り、不快な現象に遭遇したら離れるようになりました。コロナ禍で物理的な接触が少なくなっていることも影響しているのか、自身のペースで距離感をコントロールできる要素が増えているように思います。
それにしても、最近は小説を読むことが増えましたが、私自身にとってビジネス書よりも小説から得られるものが多いような気がしています。

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