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蝶よ花よ

美容師だった母が亡くなって19回目の夏が来た。
お洒落で賑やかなお祭り事が大好きだった母。
博多の山笠、京の祇園祭り、青森のねぷたや隅田川の花火大会。
癌を患ってからもテレビ中継を見ては、流行りの着物や髪形をチェックするプロ意識の高い人だった。
「 女はいつもきれいでいないとね。
  蝶よ花よと育てられたんだから
  期待に応える努力をしなくちゃ!
  それが周りに対する礼儀ってもんです。」
と 入院先のベッドの上でも頭にカーラー巻き付けて
よくこんな話をしていた。
つまりきれいでいる努力とは、今、目の前にいるその人に気分良く過ごしてもらう為の心遣い。これが母なりの美学だった。
現在、私は施設で主に入浴を担当している。
寝たきりの方や認知症の進んだ方々は汚れの激しい日も多く、
お湯で温まるとリラックス効果も手伝ってか、その場で粗相してしまう事も少なくない。
けれどこの人にとって、これが人生最後のお風呂になるのかもしれないのだから、いちいち嫌な顔をしている場合ではない。
それどころか、私はこのお方の人生の最終章に出てきた新しい登場人物であり " きれいの努力 " を共にする最後の相手役なのだ。
そう考えるとご縁を感じずにはいられない。
むしろ、選ばれたような気にさえなる。
まるで歌のフレーズのように、蝶よ花よと小声で口ずさみながら、
シャンプーの泡を丁寧に流してゆく。気持ち良さそうなその表情が嬉しい。

ふと思う。
母の最後のお風呂はいつだったのだろう・・・

蘇ってきた後悔の念も悲しみも 全て洗い流してしまいたくなった。
日々、人様のお身体を洗わせて頂きながら、
実は自分の心を洗い清めているのかもしれない。


「 お正月の三が日は何とか頑張って!!  」
という必死の声掛けに応えたかのように、
日付が変わったのを確かめたかのように、
平成16年1月4日 午前2時04分
母は飛び立っていった。
葬儀の朝。喪主の挨拶で私は言った。
病んだ肉体を脱ぎ捨て、
苦痛からやっと解放されて、
母は蝶になりましたと。


家で過ごせた最後の元旦。
朦朧として横たわる母を見つめ、
「 ごめんね 」と心の底から謝った。
熱い涙がポタポタと落ちて母の唇を濡らした。
この短い言葉を、もっと素直に、もっと数多く言えば良かったと
後悔しながら、母の唇に落ちてしまった自分の涙をそっと拭った。
するとその時、それまで閉じていた瞼が開き、しっかり目と目が合った。
次の瞬間、なんと母は起き上がり、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
そしてその直後から昏睡状態となり、
もう二度とその目が開くことはなかった。
燃え尽きようとしている命を、自らの意思で使い果たすように
最後の力を振り絞って娘を抱きしめた親の姿。
それは、たった今 観たばかりの映像であるかのように
くっきりと脳裏に焼き付いている。
あの最期の、散り際の母の力強さに突き動かされ、
私は人生の舵を大きく切った。紆余曲折あったのち、
人手の足りない介護の現場に飛び込んでからは
この手や足、目や耳を、必要としている人達の為に使う毎日。
あの時の選択に、1ミリの後悔もない。

もしこの夏、大きな花火大会が予定通り開催されるなら
どこかでうまく休みを合わせ、ゆかた姿で出掛けよう!
母の好きだった博多帯をきりりと締めて。
蝶よ花よと口ずさみながら。


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