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デンマーク、イヌイット女性強制避妊スキャンダル



妊娠可能年齢の女性の半数に避妊処置

2022年6月、デンマーク政府とグリーンランド自治政府は、イヌイット女性達に対して広範に行われていた強制避妊処置に関して合同調査をすることで合意しました


ここでいう避妊とは、主に子宮内への避妊リング(IUD)装着を指しますが、この避妊処置が1960年代中頃からグリーンランドの数千人のイヌイット女性達に、本人の了解や親の承諾なく、半強制的に行われていたという事実が数年前から取り沙汰されるようになりました。1966年から1970年の間にこの避妊処置を受けて子供を作れないようにされたイヌイット女性は4500人にも上り、当時グリーンランドにいた妊娠可能な年齢の女性のおよそ半数に相当します。

この非人道的な取り組みは、その規模の大きさにも関わらず、今までほとんど顧みられることがなく、批判にさらされることもありませんでした。また、被害に遭った女性たちが口を閉ざし多くを語らなかったこともあって、まるでジャニーズ事務所の性加害問題のように闇から闇へと葬られようとしていましたが、2017年頃から辛い過去を語る人が現れ、SNSなどを使って個々の経験が共有されるようになりました。このスキャンダルは、Spiral Case (spiralsagen、 spiralkampagnen)、Coil Campaign、 Coil Case、 IUD Case などとも呼ばれています。

グリーンランドの女性達の証言

それでは、いくつかの経験談や証言を紹介します。

Naja Lyberth さん
グリーンランドの西海岸にある Maniitsoq という小さな町に住んでいた。1970年代、13歳のときだったと思うが、学校の定期健康診断の後、近所の病院に行って Coil(=IUD)を入れてくるよう医師に言われた。Coilが一体何なのかの説明はまったくなかった。また本人の同意を確認することもなく、親の承諾を取ることもなかった。言われた通りに病院に行って避妊処置を受けた。まだキスさえしたこともなく男性経験はなかった。その金属の器具はとても大きく、ナイフを入れられているようでとても恐ろしかった。親にも話せなかった。クラスメートも病院に行ったが、あまりにもショッキングな体験だったため誰もそのことについて話そうとしなかった。

Britta Mortensen さん
イルリサットという小さな漁村に住んでいたが、そこには高校がなかったので、勉強を続けるため1974年に親元を離れてユトランド半島にある寄宿学校に行った。そこの女校長に、"あなたはIUDを装着しなければなりません"、と言われた。嫌ですと言ったが、"嫌でも入れるのです"、と校長は有無を言わさなかった。遠く離れたところにいる両親には知らせることもなければ承諾を得ることもなかった。入れられたIUDは経産婦用のもので若い女性用のものではなかった。その後、避妊処置に関しては黙りこくって誰にも話さなかった。同じ学校の他の生徒が同じ目に遭ったのかどうかはずっと知らなかった。

Arnannguaq Poulsen さん
避妊具を入れられたのは1974年、16歳のときだった。そのときはグリーンランドではなく、ボーンホルム島に建てられたグリーンランド子女のための寄宿学校にいた。Coilが一体何なのか教えてもらえず、自分の意向も聞かれず、選択の余地はなかった。一年に一度実家に帰っていたが、親も相談を受けた形跡はなかった。痛くて仕方がなかったので、1年後グリーンランドに帰ったときに避妊具を外した。

Katrine Jakobsen さん
1974年、12歳のときに首都ヌークで避妊具を入れられた。親戚の女友達に病院に連れていかれたと記憶している。20年間放置していたが、痛みや合併症に苦しみ、30代後半に子宮を摘出してしまった。生涯子供を持つことができず、人生が狂ってしまったが、誰にも話したことはない。このことを考えるときはいつも孤独だった。

Aviaja Siegstad 医師
グリーンランドの首都ヌークにある Queen Ingrid 病院の婦人科で勤務している。今のIUDはT字型で小さいが、1960年代のIUDはS字型で大きく、妊娠経験のない女性の子宮に入れると出血も多く、痛みも大きく、感染症に罹る可能性も高くなる。1990年代や2000年代には、避妊具が装着されていることを知らずに子作りに励んでいる人によく遭遇した。そのような人は非常に多いというわけではないが珍しいケースではなかった。中絶手術をした後に無断でIUDを入れられたと思われるケースもあった。

強制避妊の社会経済的背景

避妊を強制するという非人道的なことを発想し、かつ実行したデンマーク側に根強い人種差別的偏見があったことは間違いありませんが、そのような偏見以外に、この政策の社会経済的背景も指摘されています。
グリーンランドは1953年にデンマークの植民地から脱しましたが、その少し前から急速に人口が増加しました。それまで年間1000人に届かなかった新生児数が1950年代は1000人超えが当たり前となり、1960年代には2000人をうかがう勢いで増加していきます。こうした状況下で、グリーンランドの近代化には予想していたより金がかかると見做され、それを嫌ったデンマーク政府がこの強制避妊政策に踏み切った、というものです。

急落する出生率・伸び止まる人口

実際、この強制避妊の効果は絶大で、1960年代には6人を超えていたグリーンランドの合計特殊出生率(一人の女性が生涯に生む子供の人数)が、ほぼ10年で2人台に落ち込んでしまいました。

グリーンランドとデンマークの出生率の変遷 Source: Our World in Data

また、出生率の低下に伴って、グリーンランドの人口の伸びも鈍化していきました。

グリーンランドの人口の変遷 1950-2021 Source: Our World in Data


1970年、デンマークの AC Normannグリーンランド担当大臣は、"グリーンランドの出生率は下がってきている。IUDに特に効果があった"、と、勝利宣言のような発言を国会で行い、強制避妊政策が成功したとの認識を示しました。

この問題は、今後調査が進むにつれて新事実が出てくると思われるので追いかけていきたいと思います。



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