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アルパのマイクに聞けばいい

アメリカ旅日記 2015年8月某日

ボンネビル・ソルトフラッツをご存知だろうか。アメリカ・ユタ州にある100平方マイルの塩の平原だ。そこで毎夏開催されているのが、モータースポーツイベント「ボンネビル・スピードウェイ(Bonneville Salt Flats International Speedway)」だ。四輪、二輪のそれぞれのクラス別で最高速度を競う大会で、世界からスピード野郎が集まってくる。

アンソニー・ホプキンス主演の映画『世界最速のインディアン』の舞台でもある。ホプキンスが演じたニュージーランド人のバート・マンローは、所有する1927年式のオートバイ「インディアン」を自ら改造して出場した人物で、1967年に世界記録を獲得している。

老いてたるんだ体を革のツナギに押し込み、笑顔でオートバイにまたがるマンローには、いつかあんな風に歳をとりたいと密かに憧れていた。性別も国籍も違うがオートバイを愛する気持ちは同じだ。彼が命を燃やした場所、ソルトレイクに行って同じ空気を吸えば、もしかしたらちょっとは似てくるかもしれない。スピードウェイ、見たい、見たいぞ……!

2015年は8月10日から14日にかけて開催されるという情報を嗅ぎつけた。夏休み真っただ中ということは、おそらくいちばん旅費が高くつく時期だろう。しかしスピードウィークのためだ、知ったことか。金で解決するスタイルで、旅の準備を粛々と進めた。開催2週間前に、天候により延期が発表されたことも知らずに……。

かくしてソルトレイク空港に降り立ち、どうにか予約したレンタカーのシボレーに乗り込み、20年ぶりの車運転にて初めての右車線を単独ドライブ。エアコンのスイッチがどれなのかもわからず、砂漠の強い日射しで熱中症寸前。ほうほうの体でたどり着いたソルトレイクは真っ白な塩ばかり。人っ子ひとりいなかったのであった。

「とにかく行きゃあ見られると思ったんだよ」

心のバート・マンローは堂々と言い放った。そうだよね。好きだよ、そういうところ。オッケー、私がなんとかする。とにかく誰かに話しかけよう。地図によるといちばん近い街は「ウェンドーバー」だ。まずはそこに行ってみることにした。

「アルパのマイクに聞けよ。背の高い男だ」

ガススタの太ったおじさん(ドンタコス似)が、「彼はボンネビルのことなら何でも知ってるから」と教えてくれた。アルパはここから200メートルのところだと。「アルパ」が何かはわからないが、Aで始まる何かだろう。車をゆっくり進めながら、それらしき建物を探す。これはポリス、これはシビルなんとか。……あっ、もしかしてアレ?

目の前の看板には「AUTO PARTS」とある。車のパーツ屋のようだ。オートパーツ→オートゥパー→アルパ……。頭の中でタモさんと安斎さんが空耳確認を始めたがそれはさておき、生来の人見知りを振り払うべく、おしりをプリプリ振りながら、たのもう~という気概を込めてドアを開ける。

日本のパーツ屋と変わらないつくりのカウンターに、男性がふたり。やさしそうな方に、自分が日本から来た非常に善良な市民であることを告げ、モータースポーツファンであると告げる。そのうえでマイクさんと話したい旨を伝えると、店の奥から出てきた男は……でけえ! 2メートルはあるぞ(後に207センチと判明)。砂漠の日射しにさらされてかキャップもTシャツもサンバースト風味。見上げる顔には叡智をたたえたような豊かな口髭。メガネの奥の思慮深そうな目でまっすぐ見つめられる。

「OK、何が知りたい? ナニ、トーキョーからだって? おーい」

呼ばれて現れた男は……またでけえ!(後に198センチと判明)

「コンニチワ」

え、日本語? 現れたその大男はマイクの息子ケイシー。仕事の休暇でロサンゼルスから里帰り中で、大学時代に日本に1年間留学していたのだという。どうもはじめまして。日本からやってきた善良な旅行者マリコです。

ケイシーが「こちらへどうぞ」と店の奥に案内してくれる。そこには車3台ぐらいがゆったりと整備できそうなちょうどいい大きさのガレージがあった。そこにはいわゆるスーパーカーに加え、戦闘機のようなサメ顔ペイントを施した謎の形状のマシンが……!

風の抵抗をできるだけなくしつつ車輪を付けてかっこよく仕上げたロケットみたいな乗り物だ。これ! これが見たかったの! ねえ乗っていい? 乗っていい? うおー、狭い、あたしのおしり見かけより大きいの! この狭さ、まるでコックピットじゃねえか。コックピットに入ったことがあるかどうかはこの際、関係ない。ないけど関係ない。

はー、体温上がった。まさかあの謎マシンに乗れるとは。来たかいがあったってもんだぜ、なあ、マンロー。しかしなんであんな形なんだろうねマンロー?

心のマンローと会話をしていると、ガレージの外からケイシーに呼ばれる。行った先には、砂漠の強い日差しに銀色に輝くコルベット(改)があった。

か、かっこいい……。こいつぁ金属をぶっ叩いて作った荒々しい情熱がビッシビシ伝わるレーシングカーだ。そして車高が異様に低い。タバコの箱は入るのだろうか。

「ちょっとドライブする?」

え、まじ? 乗せてくれんの? 行く行く。ドライブ行く。思いのほか硬い座席に乗り込み、とりあえず車の匂いをかぐ。おーっ、戦いの匂いがするぜ。目の前に並ぶ計器類。こいつぁ、まじでレースカーだ。コックピットだ。どんどん語彙がなくなっていく。感受性だけになっていく。ケイシーがキーをひねると、とたんにエンジンが目を覚ます。このエンジン音、獣の咆哮だ。急いでシートベルトを締める。

荒ぶる獣のようなエンジン音を轟かせて走り出すコルベット(改)。広い空に吸い込まれるように続くまっすぐな道を、塩の平原を目指して爆走する。レース用に改造されたコルベットは速い。ギアを上げるたび、味わったことのないGでグッと座席に押し付けられる。カーブのたびに投げ出されそうで、手近な硬いものにしがみつく。

「ごめんね、エアコンないから暑いよね」

いや、それどころじゃない。というか、冷や汗で寒い。

ケイシーはコルベット(改)でウェンドーバー中を(凸凹道でマフラーをこするたびに悪態をつきながら)案内してくれた。

アルパのマイク氏とオウム

その間にマイクはスピードウェイの資料を探してくれていたようだ。店に戻ると、デスクの上にはポスターやアルバムなどの資料が積み上げられていた。マイクは愛車(彼もコルベット)を塗装していた手を休め、○○年の最速はこのレディだ、○○年のマツダはどうだった、『世界最速のインディアン』の撮影時は……と、ゆったりとした渋い声で流れるようなナレーションを付けながらアルバムをめくる。65年から見続けているだけあって、まるで生き字引。そしてほとばしるモータースポーツ愛。こんな人がいるからこそ続いてきたイベントだとわかる。

おみやげにポスターやステッカー、Tシャツ、ピンバッジなどを持たせてくれる大盤振る舞い。心のマンローもうれしさに昏倒だ。レースは見られなかったけど、来てよかったな、マンロー!

さて、昼間案内してくれたスポットの中に「エノラ・ゲイ記念館」がある。

エノラ・ゲイとは、1945年8月6日に広島に原爆を落としたアメリカの爆撃機。実はここウェンドーバーは、エノラ・ゲイが広島への原爆投下の準備を進め、爆弾を載せて飛び立った地なのだ。その軍の飛行場は今もそこにあり、金網の外から基地の中に目を凝らすと、無人戦闘機、その名も「プレデター・ドローン」がスタンバイしている。

原爆型の灰皿

そこに来る道すがらの雑談で、私が広島生まれであることは伝えている。「マリコは広島の人だよね……」と気にしながら連れて行ってくれたその記念館は無料で公開されており、戦闘機やパイロットの写真、当時の命令文や新聞記事などの資料のほか、原子爆弾「リトル・ボーイ」の原寸大模型も展示されている。その模型にはパイロット本人のサインが美しく入っていた。

マイク氏の自宅へ

「広島の資料館とは視点が違うだろう?」

招かれた夕食の席で話題になり、いくつか意見交換をした。祖母の被爆体験談に眠れなくなったこと。ある外国人のヒロシマ観がマッドマックス的で笑っちゃったこと。マイクは家族で広島の平和記念館に行ったことがあるそうで、妻のマリアさんは展示内容のあまりの悲惨さに現実とは思えなかったという。

若い頃はこんなふうに、外国人、とくにアメリカ人と、原爆の話はできなかっただろう。広島人のものの見方しか知らなかったから。子供の頃はアメリカは悪だと思っていた。だっておばあちゃんにひどいことした国でしょ? それからアメリカの文学やロックが好きになると、好きで嫌いで苦しかった。でも大人になると国は個人の集合体だとわかってきて、民意と国の政策は必ずしも一致しないことを今は知っている。

街にいた野生の何か

夕食のあと、バルコニーでワインを少しいただいた。乾いた庭に植えられたブドウには小粒の実がついていて、食べるとキュッと甘い。目の前をリスが何匹も横切っていく。高台にあるお家のバルコニーからは、広い空から塩の湖に沈んでいく夕陽が見渡せる。空がだんだん青くなっていって、すごくきれい。

「この時間がいちばん好きだねえ」

そう言うマイクさんは、生まれも育ちもウェンドーバー。生まれも育ちも広島の私が招かれたのは不思議な縁を感じる。ずいぶん先輩だけど、故郷を愛する者として、そしてマシン好きのいち個人として、いろんな話題と一緒に「ヒロシマ」の話を率直にできてよかった。

もちろん真面目な話ばかりしたわけじゃなく、サスペンスにハマって読むのが止まらないとか、マリアさんがチキンが好きすぎてチキンしか食卓に並ばないこの世は終わりだとか話し、そのうちマイクのかわいいビーグル犬が「なでなでして」という顔で寄ってきて遊んで、その犬と一緒に地下に行くとコルベットのミニカーが2000台ぐらいショーケースに並んだマニア部屋があった。そしてアルパのマイクは実はウェンドーバーの市長だと知った。マジカヨ。

マイク氏オタク部屋(一部)
湖の向こうに見える山は500km先にあるそう

帰る頃には空には満天の星。「ホテルまで送るよ」と言うケイシーと轟音コルベットで夜の塩の平原を疾走する。車を停め、トランクから出したブランケットを白い地面に敷いて寝転がる。四方に遮るもののない空を眺めながら、ケイシーの日本の元カノの話をする。キミとは全然違うタイプだったよ。
そうだろう。私は図々しい。無知で傍若無人で野放図だけど愛情深いほうだよ。知らない人の好意を受け取る勇気があるし、大事な瞬間は一生忘れない。背中に感じる硬い塩の砂漠は、熱いような冷たいような。遠くの空に稲妻が青白く光っている。

これが私のボンネビル・スピードウェイ(を見なかった)旅行2015のラストシーン。


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