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産まれた長男。

2013年、長男を出産。長女とは年子である。

まぁ、長女は初産だったこともあり大変だったんだけど、長男の時は私は実家から遠く離れた地で一人なれない育児と不安から爆食して妊娠中人生最大にまで肥えた。太ったなんてもんじゃない、肥えたのである。妊娠8ヶ月で里帰り出産のために帰るもまぁ動かなかったのもあり出産のときには3桁突破。

産前最後の検診の時に言われた長男の推定体重は3400g。長女の時と同じパターン(同じぐらいの推定体重だったが3000g切ってた)だと思った私、後々つらい思いをするとは思ってもなかった。

出産の日、明け方に陣痛がきて起きる。時間を図る。5分おきやん…急いで産婦人科に電話すると入り口空けるから気を付けて法に触れない程度に急いでね。と言われる。(経産婦は早く産まれ易いらしい)予定日だったので実家に来ていた主人の運転で向かうもどこか緊張感なく、コンビニでお茶を買ってから病院に到着。

ここで長男が意外と粘り、分娩室までいくことなく過ごす。分娩室に入ってからおめでとうと言われるまでおよそ40分。私の記憶ではなんかバタバタしてたなぁ…なんだけど、ビデオを見てびっくり。その40分の間に酸素付けられるわ、意識飛びそうになって叩かれるわ、羊膜破れず手で破かれるわ、緊急帝王切開になりかけるわと心配になるもすぐに出てきてくれたんですが…一瞬見えた私から出てきた息子は紫色だった。すぐに壁一枚向こうに連れてかれて「頑張れ頑張れ」の声に不安になる私たち夫婦。ビデオではほんの少しだったけれど。当時はすごく長く感じた。長男は産声を上げた。私は泣いた。

「帝王切開になるかと思ったけど、そんな恐怖より息子の色みたらっ…うえっ…ううっ…」余程ひどい顔だったのか安堵なのか、旦那の笑い声。色んな処置やらを終えた長男と対面、カンガルーケアはなし。苦戦した理由は私の急激な体重増加と息子のサイズがほぼ4キロの大型新人だったこと。これが発達障害の原因だったのかと悩んだ時期もあり、相談するも「いや、それはそれ、これはこれ」と否定されて安堵。遺伝説を信じて過ごしてます。

長男の発達の遅さに「ん?」と思い出したのは次回の更新で書こうと思います。

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