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シラノ・ド・ベルジュラックの聖域





おはようございます。
こちら2952年、10月2日のトーキョーです。

聞こえますか?
調子はどうですか?

幸せにはなりましたか?


***********

聴き慣れたような、聴き慣れていないような、嫌な目覚まし音で目を覚ました。

再起動は滞りなく済んだようだ。

僕はベッド脇のスツールに置いてあったマグカップを手にとり、匂いをかいだ。
プンと深いコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
そんなに前のものではないはずだ。昨夜の僕が、今日の僕のために用意しておいたのかもしれない。

上体を半分起こした状態で中身をゴクゴクと飲み干したところ、最後の最後で中身が口元から漏れ、買ったばかりのシャツへと滴り落ちた。第二ボタンより少し下くらい、裾の方まで、こげ茶色の川が流れていく。
慌ててティッシュで拭ったけれど、案の定、真っ白な布地に一筋染みが残ってしまった。
先週注文して、やっと出来上がってきたばかりの新品だったのに。

いや、あれは先週ではないな。いつの記憶だろう?いずれにしても、また新しいものをオーダーし直さないと…。
クリーニングに出すよりも買った方が早い、そんなこともある。洗濯するとなればもっと面倒だ。

真っ白な部屋で、僕はリモコンを片手にしばらく静止していた。
窓が無いので、外の景色はわからない。天井に何を映すかは毎日その日の気分次第だ。

時計に目をやると、午後1時25分。
真っ昼間だったが、まだ夢の中に片足を突っ込んでいた僕は、サムネイルの中から天の川の夜空を選択し、そのままベッドに倒れ込んだ。

こうして時々、僕は宇宙の一部になる。

小さな悩みがちっぽけなことに思えてくる、というようなことを昔はよく耳にしたものだが、実際はそうでもないというのが僕の持論だ。

一度得た憂鬱というステータスは、RPGの中の毒や麻痺と同じように、きちんと手順を踏んで治さない限り有効だと思う。

例えば、悲劇が起きたその場で記憶を消去したとしても、
「何か悲しいことがあった」
という感覚だけは、どこか胃のあたりにズンと残るものなのだ。

悲しみというのは、つまりは心の切り傷なのである。

それが、僕が長年生きてきた中で導き出した結論だった。


さて、あまりボーッとしてもいられない。
カレンダーを表示。

ディスプレイ上で、僕は黄色く点滅している10日のマスを確認した。空欄だ。
予定は特にないが、明日はレポートの提出締め切りみたいだな。そして嫌でも目に付くすぐ真下のマスは、赤い三角で日付を囲ってあった。

来週、僕は961歳の誕生日を迎える。

誕生日もこの回数となればさすがにおめでたくもないのだが、何百年もの代わり映えのしない日常の中では、それなりに一大イベントだ。

もちろん祝ってくれる人間なんていない。
せいぜいが、機械的におめでとうございますを送って寄越すメールマガジンか、電子ペットのハリネズミくらいか。

今から適当にどこかのサークルにアクセスして、即席の友人をこしらえるのも悪くはないかもしれない。
手当たり次第10人くらいフォローしておいて、前日にでも呼び掛ければ、最悪一人になることはないだろう、たぶん。

背中に盆を乗せたハリネズミが食事を運んできたが、寝起きなのであまり食欲もない。
スタンダードな朝食メニューのなかから、片手で食べられそうなホールのカマンベールだけ掴み取り、あとは処分させた。

まだ食べる気にならないチーズを脇に置いて、僕はぼんやりと、今年は何か、記憶に残せるようなことをしたい、と考えた。

そうだ、久しぶりに旅行にでも行くのはどうだろう?

せっかくなら遠くへ出かけたい。
東京にいる友人に、早速連絡をとってみよう…

だんだんと頭がスッキリしてきた僕は、友人に誘いのメールを送った後、「誕生日に旅行をする」という思いつきに夢中になってしまった。
旅行なんて何年ぶりだろうか?
いや、気持ちとしてはつい数年前に隣の星に行ったばかりなんだけど、実際にはもう500年近く経っているはずだ。観光目的での月への渡航はとっくに禁止されている。

去年の誕生日はどうやって過ごしたのだろう。まあ、セーブしておかなかったことを考えると、たいした思い出もなかったんだろうな。

再起動したては、長い夢を見ていた後みたいに、フワフワとして意識に現実味がない。

961年のうち、僕の頭に残っている記憶はせいぜいが150年分くらいだけれど、やはり読み込みには時間がかかるのかもしれない。

友人の名が、どうしても思い出せなかった。

************


ふと視界の下隅で何かが動いているのを感じ、ゆっくり足元に視線を落とすと、ハリネズミがせわしなく床をうろちょろしていた。
鼻をヒクヒクと動かし、黒いビーズのような瞳で、僕が右手に持っているチーズを熱っぽく見つめている。
もちろんこれはアンドロイドだが、その体と同じく、脳味噌も、感情さえも、本物のように機能しているのだ。腹も減れば、餌だってねだる。今では、有機体と無機物の境界線なんてないに等しい。

僕がチーズを少し千切って与えると、ハリネズミは大急ぎでそれを頬に放り込み、早足でトテトテと奥の部屋に消えていった。可愛いものだ。

再び画面に向かい、メールボックスを確認したところ、メッセージ受信の通知が来ていた。友人から返事が届いたらしい。

「来週は無理ですね。その頃には私は忘れてますから」
「多分、何事もなければ明後日が再起動のはずだから、3日後にまた聞いてください。覚えていたら」

そっけない答えを確認して、僕はまた「了解。また3日後に」と送信したが、返事はなかった。
少しタイミングが悪かったみたいだ。でも、貴重な友人との誕生日の約束くらい、セーブしておいてくれたっていいのに。もちろん、メモリの無駄遣いを無理強いはできないけれど。
白く滑らかで、触り心地の良さそうな、記憶の中の彼女の手の甲がスルスルと記憶をゴミ箱にスライドさせていく様子が目に浮かぶ。
まあいい、僕の再起動は済んだばかりだし、3日後にまた声をかけてみるとしよう。

ふと、ハリネズミが通った後の床に、薄ピンクの封筒が落ちているのを見つけた。真っ白な床と同化していたため、今の今まで気付かなかったようだ。

拾って裏返すと、右下に小さく「IRENA」と署名がある。
珍しい名だ。聞き覚えもないが、知り合いだろうか。

封を開け、一枚だけ入っていた便箋の内容を確認した。

「これをあなたが読む頃、私はあなたの前にはいないでしょう。
 悲しむ必要はありません。幸せはなくならないからです。
 私の中の、心の聖域。
 どうか私のことを忘れないで」

名前や言葉遣いからすると、女性だろうか?手紙を書く文化は、僕がまだ子供の頃でさえもう時代遅れだったような気もするが。データを見る限り、僕の最後の記憶は1年半前だった。

この1年半の間にこの女性と出会い、手紙のやり取りをするまでに親しくなったのか、あるいはもっと昔に消してしまったデータの中の記憶か。

僕は手紙をいったん脇に置き、端末の日記内を検索したが、「IRENA」も「手紙」もヒットしなかった。

気味が悪い。

自分が何をしたか覚えていない感覚には、さすがにもう慣れたつもりでいたのだが。

少し考えた後、僕は便箋をベッド脇のスツールに置き、すでに完成しているレポートの推敲にとりかかった。

たくさんの人、たくさんの机が並ぶ。
私は、その中の一つに座り、画面をただじっと眺めている。
チョコレートと、むせ返るような石鹸の匂いに酔い、私は身を寄せた。
気がつくと、隣には誰もいなかった。


目を覚ますと、私はデスクに向かい座っていた。
いつのまにか、突っ伏したまま眠っていたようだ。

今は何年の何月何日だろう?
カレンダーを表示。

ディスプレイ上で、黄色く点滅しているマスを確認した。
空欄だったが、赤い三角で日付を囲ってある。

ああ、私は今日、965歳になったみたいだ。

これは結構な衝撃のはずなのだけれど、再起動後でなかなか頭がまわらないためか、誕生日に予定ひとつないという事実に特段ショックはなかった。この歳になると別におめでたくもない。

デスクには、空のマグカップとチーズの載った盆が置かれていた。
ほんの一かじりだけされたチーズは、見るからに干からびている。もう食べないほうがよさそうだ。

とはいえ、ひどい空腹だった。
ハリネズミに何か用意させようと合図を送ったが、なぜか応答がない。

しびれを切らしてキッチンまで足を運ぶと、すぐさま、チーズの欠片とハリネズミが床に落ちているのを見つけた。死んでいる。

ひ、と思わずあとずさり、私はその場で腰を抜かした。
チーズの中には、小さなカプセルが刺さっているのが見える。中身が漏れて、空気に触れた部分が紫色に変色していた。
毒だ。

状況を整理する間もなく、追い打ちをかけるように、ピンポーン、とチャイムが鳴った。
私は驚き飛び上がったが、一呼吸おいてから立ち上がり、インターホンに向かって返事をした。

「はい」

「おはようございます。お荷物が届いています。宅配ボックスが満タンでしたので、こちらにお届けに上がりました」

「ああ、すみません。そこに置いて行ってください」

「わかりました。毎度、ありがとうございます」

遠ざかるエンジン音を聞きながら、ひとまず私はキッチンに戻り、コーヒーを淹れ、再びデスクに戻ってきた。

再起動中に何があったのだろう。日記を確認したが、特に変わった様子はない。直近では、レポートの話。誕生日の予定を決めかねている話、貯金がそろそろ尽きそうだから、仕事を受けなければという話。

毒入りチーズにつながりそうな記録なんて何ひとつない。
というより、注文記録のリスト表示にさえ、チーズ自体が見当たらなかった。

気味が悪いな。

チーズをどこから買ったか覚えていないし、もともと毒が入っていたものを買ったのか、敢えて誰かが私の食べるチーズに毒を入れたのかもわからない。外に出ることはほとんどないはずだが、どこかで買ってきたのだろうか。

ひとまず、荷物を中に入れよう。
私はドアを開けて、地面に置いてある小さなピンク色の包みを拾いあげた。

差出人は食品会社で、消印は京都だが、送り主の氏名がない。

状況が状況なので、なんとなく私は警戒し、包みは開けずに玄関脇の靴箱の上に置いたままで部屋に戻った。爆発物でなければいいのだが。

可哀想なハリネズミの処理を終えた後、私はベッドへと倒れこんだ。
照明がまぶしく、右手で光を遮ると、筋張った甲が視界を塞ぐ。

ふと違和感がよぎったが、これも再起動後のバグかもしれない。

とんだ誕生日になってしまった。
ハリネズミもいないとすると、本当の本当に、ひとりぼっちで過ごすことになる。

時計を見ると、まだ朝の9時だった。

いっそ、どこか出かけようか。
明日は日曜日だ。泊まりでどこか旅行に行くのもいいかもしれない。

今の季節ならやはり京都だろう。伊豆や箱根、那須高原なんかもいいな。
誰か適当に、フォロワーを1人誘ってもいい。

駅弁とビールを買い込んで、行きの鉄道の中で半分こしながら、旅行プランを確認しあい、食べ終わったら、少しだけうとうとしたい。

到着したら、まずは旅館に荷物を預ける。
ロビーで一息ついてから、ガイドブック片手に、歩ける距離にある寺や神社、美術館、城下町なんかを探索して回りたい。
満足したら、すぐに帰ってこられるくらいの距離がいい。

夕方頃に部屋に着くと、すでに布団が敷かれていて、浴衣がたたんで置いてある。
着替えてから少しだけ横になり、それからカゴの手提げにタオルや洗面用具だけ詰め込んで、地下1階の温泉風呂に出かけよう。

少しのあいだひとりになって、泉質の柔らかな湯にゆっくりと浸かり、身体を綺麗に磨きあげる。

部屋に戻れば、仲居が料理を運んできてくれているはずだ。
広い盆いっぱいに、四季折々の野菜、溶岩焼き、あわびの蒸し焼き、おばんざい、鍋、刺身、土なべの炊き込みご飯に揚げ出し豆腐、干物や赤だしの味噌汁なんかが所狭しと並ぶ。
飲み物は、日本酒を、おちょこ2つで。

私はほろ酔いで、最初は伸ばしていた背筋と正座を次第に崩し、美味しい酒と肴に舌鼓をうつ。ふわふわした時間の中で、何でもないことにも二人でクスクスと笑う。

おなかが膨れたら、また少し休んで、それから部屋付きの露天風呂に代わりばんこで入ろう。

酔いを醒ます冷たい風と、少し熱めの湯に浸かって夜空を見上げれば、澄んだ空気の向こう側にたくさんの星が瞬いている。
月が綺麗だ、と言いたいところだけれど、今夜はまるで月が見えない周期のはずだった。
なんて、おあつらえ向きな夜だろう。

きっと、しあわせってこういうことだ。

私はゆっくりと想像の世界から抜け出し、端末の電源を入れる。
旅行代理店のサイトにアクセスするため、総合ポータルで新規アカウントを作ろうとすると、すでに端末登録がされていた。

覚えてはいないけれど、昔どこかのタイミングで登録して、そのまま忘れていたのだろうか。

なんとか指紋認証でログインすると、そこには、まったく身に覚えのない直近の行動履歴が並んでいた。

最終の日付は4日前。
京都への旅行プランを予約している。人数は大人1人。日付は今日だった。

そんなバカな。旅行の予定があるのに、カレンダーや日記に書いておかないわけがないし、そもそもとして、再起動前にセーブしておかないわけがない。

設定画面を開き、アカウントの欄を確認すると、登録に使われているのは私の個人ポータルアカウントではなかった。
私は旅行会社のサイトを離れて総合ポータルページに入り、見知らぬアカウントを使って行動履歴を確認した。
日用品サイトに購入履歴がある。日付は1週間前だ。

カマンベールチーズ3箱と、ラム酒入りのチョコレート、インスタントコーヒー、そして…トリカブト。

胃の腑の底から、何か、どす黒いものが湧き出てくるのを感じる。
画面をスクロールすると、関連項目に、同じ日付でメールの送信履歴を見つけた。
宛先は私だった。

「来週、よかったら一緒に旅行に行きませんか?」

目眩がする。
記憶には何も残っていない。だけど、このうるさいくらいに脈打つ心臓の音は何だ。
この動悸は、この焦りは何だ。

私はいったい、何をしていたの?

「ああああああ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、あああああああ」

何か、決定的な何か。私は知っている。
記憶には残っていない。記録にも残ってはいない。
しかし、何か、"私の知らない何かを、私は確かに知っている"。

胃が、ナイフで切り裂かれたかのように痛んだ。心臓は破裂寸前だ。
だけど、先を覗かずにはいられない。
締め切ったゴミ箱の蓋を開けるように、月別、年別アーカイブに移った。

メールは何百年と前に遡ることができる。
一番最初から確認すると、初めは知らないアドレスに宛てたメールが数年分並んでいた。しばらくするとそれが私のアドレスに宛てたメールに代わり、知らないアドレスの頻度はどんどん減った。また私からの受信メールもずらりと並んでいた。その数、およそ935年分。

知らないアドレスからの一番初めの受信メールを開き、私は中身を確認した。それはごくシンプルな、友人に向けた挨拶文だった。

そこから先も、どうということのない日常会話が続く。たわいもないやりとり、互いの体調の気遣い、慰めあい、定型文のような常套句。

読み進めるにつれ、私は先ほどまでの心臓の痛みが嘘のようにひいていくのが分かった。
しあわせの余韻も、苦しみも、欲情も、呼吸をしたいという本能でさえも、少しずつどこかへ消えていく。

この感覚を、私はすでに知っていた。

それは、バッドエンドが分かっている漫画を、無理やり読み続けているかのような。
後回しにしたい問題をクローゼットの奥に仕舞い込み、何年も経ってから中身に気付くかのような。

流れ作業のようにざっと1年分ほどのやり取りに目を通し、残りは100年おきほどの流し見で確認していった。
どの時代でも、変わり映えのしない内容が並んでいる。

私は立ち上がって、キッチンに向かった。

途中、壁にかけた鏡にチラリと目をやると、見たこともないほっそりとした男が、私を憐みの目で一瞥していた。

今日、何をすべきかを、私はもう知っている。
もう、書き留めておく必要もないと思う。