『余生』。

2018年、私は50歳という節目の歳になりました。

以下は2015年、私が
乳がんという病気の手術を前に記した文章を
少々編集したものです。

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1992年に母親にならせてもらって以来、私は
自分自身の意思で、育児に全力投球してきました。
それが一段落した、と実感したのは
長男と次男が相次いで家を出てから。

それからしばらくの間
私が現世でやるべきことは
すべてやり終えてしまったのではないか、
そういう思いにとらわれ続けていました。
「育児ロス」とでも言うんですかね(苦笑)

サラリーマンが退職したあとの人生のことを
世間一般では『第二の人生』とか『余生』とか
そういうじゃないですか。
私にとって、今はまさに『余生』。
残りの人生、としか思えなくて。

もともと、自分の人生は60年くらいだと
昔から思っていた人間なのですが
その時の感情は
育児が一段落したことへの『達成感』ではなく
自分がもう、誰にも必要とされていないのかも、という
『虚しさ』や『寂しさ』というネガティブなもの。

育児をしていた間、気づいてはいたけれど後回しにし続け
正面から向き合うことを避け続けていた
この病気を受け入れる決心をしたこの春からは
もしかしたら、私ができ得る限り元気で生き続けること、
このこと自体が
家族にとっては絶対の安心感で
ひいては、必要とされている、ということなのかもしれない。
そう思えるようになりました。

ほんと、自分勝手で自己中心的な考え方ですね(笑)

そして、私が人生最後に家族にできること・・・
「あ~楽しかった!」と笑って死ぬために
私の『余生』で何ができるか?

そのひとつの形として
手術を乗り越え、一段落したら
誰にも気づかれないような、小さな小さな
帽子屋さんを始めようと思っているんです。
https://minne.com/yasasiibousi

私と同じように、病気や、その治療のために
髪の毛を失ってしまった人が
かぶっても頭皮に優しくて
ヘアスタイルを楽しむように気分が上がる、
そんな帽子を編んでいきたい。
実際に経験した私だからこそ、編める帽子。

そして、今の私を支えてくれている家族や友達のように
私も、帽子というアイテムを通して
かぶってくれる人の気持ちに寄り添っていけたら。

ボランティアでバンバンやればいいのかもしれませんが
よほどの大富豪じゃないと無理です。
それに、同じ仕事をしている仲間のためにも
「技術の安売り」のようなことをしてはいけないとも思うし。
けど、商売っ気がほぼゼロなので
ほんとに誰にも気づかれず、かもしれませんね(苦笑)

はたから見れば、まさに自己満足の世界。
それでも
もしかすると誰かが使ってくれるかもしれない、
そう思いながら、いそいそと帽子を編んでいると
私自身が前向きでいられるような気がするし
そんな私を見ている家族も、安心してくれるはず。

いま、ここで決意表明をしておいて
自分自身へちょいプレッシャーをかけ
それを、手術に挑むパワーにします♪
ほら、ここでも自分勝手(笑)

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おや、実現できてるじゃないですか。
ほんとに小さな小さな、帽子屋ですが(笑)

どうやら私は
いい「余生」を過ごせているようですよ♪


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