今は、今しかないのに

ここ1年間、Twitterを見ていると私がお世話になったお店がどんどん閉店していきます。コロナが原因のお店もありますし、店主が亡くなってしまったお店もあります。

学生時代に友達と何度も通って夜な夜な話した居酒屋や、たまに親が下宿に来た時に行ったちょっと高級な中華、仕事が辛い時に上司が連れていってくれたイワシのフリットが美味しいイタリアン。コロナが過ぎたらもう一度行きたいと思っているうちに、全部無くなってしまいました。

世の中では「コロナが終わったら普段の生活が戻ってくるんだから我慢しよう」とよく言われますが、閉店してしまった思い出のお店はもう戻ってきません。

毎日何も変わり映えしない日が続いていても、着実に時間は進んでいるし、時間は暴力的に思い出の地を破壊していきます。

私は、昨今の自粛を全く無意味だとは思いません。完全ではないし、より良いやり方はあるかも知れませんが、個人的な趣向超えて、「自粛しないほうが良い」と大きな声で言えるほど根拠も度胸もありません。

ただ、それによって失われているものを悲しいと思う気持ちまで、時折自分で我慢してしまうことがあります。みんな同じ思いをしているんだから、「悲しいと思ってはいけない」と。

最近になって、これはまずいなと思い始めました。行動としては自粛しても、感情まで自粛し始めたら本当に心が死んでしまう。悲しい時はちゃんと悲しもうと決めました。

そして同時に、長年お店を続けてくれるお店がいかに貴重かを感じるようになりました。

ニュース等で数十年親しまれた定食屋さんが閉店するときに、常連さんが集まるのをボーッと目にしていましたが、数十年そこに行けばいつでもそのお店があるということがどれだけ難しく、どれだけ有難いことなのか。

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とりとめも無い文章になってしまったのですが、誰かを責めたいとか、何か辛いことがあったわけではないのです。

お腹が空いているのがいけないのかな。

友人が紹介していたブログ(医療に協力したら何が返ってくるの?)を読んで、自分の心にあったモヤモヤ具体化されてしまいました。このブログの筆者は悪魔に屈すると書いていますが、私の中にも悪魔が住んでいるようです。(この言い方中二病が疼きます。)


今後も継続的に記事を書き続けていく予定です。 100円くらい投げてやっても良いかなという方がいらっしゃったら、とっても嬉しいです。ぜひよろしくお願いします!