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#063 人から言葉で傷つけられたときの処方箋

Photo:2015年、マレーシア、クアラルンプール在住時に市街地で開催されたF1観戦にて。

人様からのネガティブ発言に心を削られていないか?

ザ・ネガティブ思考の男、やさかもです。
この記事は、すでに鋼の心をお持ちのあなたには必要ないので、そっとこのページを閉じてほしい。
まだこの行を呼んでいるあなた、きっと僕と同じで傷つきやすく、繊細な心の持ち主なのだろう。
僕はこれまで、多くの人様から、からかわれ、見下され、蔑まれ、怒鳴られ、時に嫌味を言われてきた人生だと思う(←どんだけだw)。
ということは、同じくらい誰かを傷つけてきた可能性も高いわけで、そこについては本当に申し訳ないと思う。

さて、みなさんはネガティブな言葉をぶつけられた時、どんな対応をしているだろうか。まともに食らって落ち込んでなどいないだろうか。
何を隠そう、僕は人からのネガティブワードに非常に弱かった。それは何故なのか。

自己意識が高かったからだ。

レイク・ウォビゴン効果というらしいが、人はある集団のなかで、「自分は平均より上にいる」と錯覚する生き物なのである。例えば、学校のクラスのなかで、「自分の容姿はイケメンではないにしても、まあ平均よりは少し上くらいだろう」とか、会社の中で「社員の中で自分は平均よりも仕事ができる」というような類の思い込みである。

小学生の頃から大人になるまで、僕はなんとなく「自分が所属する集団の中では、中央より上の方にいる」と錯覚していたことに、ある時気づいてしまった。自分に自信を持っているという意味で、プラスに働くこともあったかもしれないが、他人にネガティブな言葉をぶつけられた時に、心が脆く砕け散るリスクをいつも抱えていた。

「オマエは●●●失格だ。」とか、「●●●が下手だね。向いてないよ。」とか、散々言われてきたが、僕はその度に正面からそれらの言葉を受け止め、落ち込んでいた。いまでも落ち込むことはあるが、40歳を迎えたいま、ずるずると何日もネガティブな気持ちを引きずることは激減した。ここに至るまで、自分なりに工夫してきたことを今日は整理してみたいと思う。 

①「自分は平均以上である」の幻想を捨て去る

平たく言えば、余計なプライドを捨てる、ということである。相手からみて、自分にマイナス評価が下されたのであれば、「まあ、それが僕だからね、仕方ないよ、諦めてね。」と心の中でつぶやいておく。
この時、絶対やってはいけないことがある。自分の評価について訂正を求めること、そして相手に対してマイナス評価返しすることである。
なぜなら、余計なエネルギーを消耗するからだ。マイナス評価がそれによって覆ることはないし、もしかすると相手は自分に嫉妬をぶつけている可能性もある。黒い感情をさらに燃え上がらせるようなことをしても、いい事はひとつもない。他人に対して、プライドが高すぎる人は要注意である。

ただ、聞き流す。前提として、「自分はそもそも大した者じゃないし」という心のエスケープゾーンを残しておくことである。これが最も大事。
心がかなり追い詰められたときは、「自分は何者でもない」というおまじないを何度も唱えることがお薦めである。

②「またネタができた!」と小さなガッツポーズをする。

ミドル世代になってくると、これまでの武勇伝はいくつか存在するだろう。しかし、功績の披露や自慢話ほど、他者が聞いていてつまらないものはない。他者が興味をもって聞いてくれる自分の話、それはズバリ

不幸話と失敗談である。

僕は、上司や同僚の自慢話を嫌な顔ひとつせず聞き(流し)、自分は失敗談や自虐ネタをさわやかに披露できる人間になる、ことを心掛けている。
※ちなみに他者の自慢話を聞けるのは仕事の場面のみだ。プライベートでマウントをとってくる輩には即シャッターを下ろす!

ブログを書きだしてからというもの、パワハラを受けた話とか、海外で警察に拘束された時とか、「どういう風に書こうかな・・♪」などどその場で考え始めている自分がいる。もちろん、復讐の意味で書くのではない。あくまでも、他人様に笑い飛ばしてもらうためだ。
僕は昔から、人を笑わせることは得意ではないけれども、「なんかオモシロイ奴」と思ってもらえるようになった。それは、ヒトに話せる無謀な行動や、それに伴う失敗、恥ずかしいネタを惜しげもなく披露しているからだと自負している。
「死ぬこと以外はすべてかすり傷」とは箕輪厚介さんの名言だが、本当にその通りだと思う。

③秒で立ち直って、前を向けるカッコよさを日ごろから哲学にしておく


これは、YouTuberの宋世羅さんが言っていたことだ。つまり、ヒトに何かを言われて傷ついたその時から気持ちを立て直すのでは遅いのだ。平時から「すぐ立ち直って前向ける奴はカッコいい」という哲学を自分の中に刷り込んでおく必要がある。
そもそも、他者の評価ごときで落ち込む必要など、どこにもないのだ。改善点が見つかったのだから、改善するよう次の瞬間からアクションリストを作り、粛々と成長を続ければ良いだけの話である。最も大事なのは、自分で自分を最終評価してあげることだ。

逆に、いつまでもウジウジと落ち込み、上司に直接言えない愚痴を、同僚と飲みながら吐き出すなど、「愚の骨頂」であると心得ること。
叱られようが、罵られようが、そこからの気づきを元にPDCAを高速で回し、成長し続ける奴が一番カッコイイのである。

④批判を受けるような立場になったことに感謝と誇りを


ミドル世代でリーダー職につくと、部下からの不満と上司からの批判の板挟みになることが多いだろう。そんなとき、「自分もいよいよ批判を受けるような重要なポジションを任されるようになったのだ」とポジティブに捉えるべきだ。
ある集団の中で、全員が同じ考えで行動できることなどあり得ない。だから、リーダーシップを求められるのである。
そして重要なことは、「誰でも最初はリーダーシップをとるのが下手である」と認識しておくことだ。

⑤仮面を意識する

僕は仕事中、与えられた役割を「演じ」ている。つまり、生身のやさかもでは仕事をしていない(できない)、ということだ。役割を演じる、とはつまり、周囲との距離感や言葉遣いに細心のの注意を払うということだ。僕は演じるためにこんなことを心掛けている。
・常に周囲のスタッフよりもフォーマルな服装を心掛ける
・愛想笑いをしない
・部下と飲みに行かない
・部下の悩みを全部解決しようとしない
・上司に敬意を払いつつ、言うべきことは遠慮しない(というか、性格上、忖度ができない)。
・同僚との会話をくだけすぎない。※一人称は常に「私」、2人称は「●●さん」を崩さない。

その代わり、プライベートの自分はかなりオープンに過ごすようにしている。つまり、ONとOFFを仮面をつけ外しするイメージで切り替えている。仮面を意識していると、人様に攻撃されたとしても仮面が受け止めてくれる(実際に仮面はしていないが、眼鏡とマスクは仮面の代用と信じ込んでいる)。
女性だと、仕事用のメイクだったりもするだろうか。生身の自分とは違うアバターを作り上げるイメージを普段から持っていると、人とのくだらない摩擦などへっちゃらになってくる。

まとめ


以上、そんなの当たり前じゃねーか、と思った読者の皆様、期待に沿えなくて申し訳ない。
ただ、心が弱くなったときに、ヒトからの心無いコトバによる攻撃は、ダメージが大きい。だからこそ、平時から自分の心をどのようにコントロールするのか、シュミレーションしておくことが大事だと思うのだ。

上記の方法で物足りない方は、是非、仏教の「自我」の本を読むことをお勧めする。自我とは、「自分が自分であることの意識」だ。これが強すぎると、世間の様々なストレスをまともに食らってしまい、疲れ切ってしまう。意図的に幽体離脱して、いつでも自分を客観視できる人間は最強である。下記のような書籍はおススメである。

僕にとって人間関係ってやつは超絶面倒くさい。人間が集うとロクなことがない、とさえ思っていて、30代までの頃よりも人との交流を少なくしている(コロナ禍は僕にとってプチパラダイスだw)。
嫌な人とは極力絡みたくないし、遠ざけておきたい。自分にとってプラスになる素敵なひとだけを周りにおいておきたい。
人間関係にはわがままになってよい。さもなくば、貴重な時間と体力を無駄にしてしまいかねないのだから。
そうは言っても、ひとりでは生きていけないわけなので、この記事を書いてみた。誰かひとりでも参考になれば幸いである。

64日目 おわり。