#003 考えるより跳べ!
人生を変えたコトバ
僕の人生を変えたフレーズ、と言ってもいい。海外で働いてみたいとか、〇〇にチャレンジしたい、とかでヒトから相談を受けることがある。そんな時、僕はひと言、このフレーズをプレゼントするようにしている。
考えるより、跳べ。相手が目上なら「跳んでください。」(←要らない)
20代後半にさしかかった頃、僕が某書店で見かけた本の帯に書かれていた言葉だ。本のタイトルは忘れてしまったし、買ってもいない。だが、この言葉に何故だか僕の目はくぎ付けになった。その本の中身はおおよそこういうことだったと思う。
君の「やりたい事」の9割は、今この瞬間から始められることばかりだ。人間なんて怠惰な生き物で、時間があれば「やらない理由」を探す。残念ながら君の人生は平均余命まで生きるとして、3万日しかない。何かを成そうと思ったら、君に石橋を叩いている暇は残されていない。目を瞑って一瞬息を止め、思い切り飛び込むしかないのだ。
僕はもともと、物事を深く考え、追及するタイプの人間ではない。というより、とっても苦手だ。20代までは、この事をネガティブに捉えて生きていた。深く深く追求することは得意ではないけれど、目を瞑って何かに飛び込むことならできるんじゃないか。そう思わせてくれる帯のコピーだった。
飛び込まされた10代
僕は小学4年、中学2年と2回の受動的な「飛び込み」を経験している。転校である。まぁ、転校って怖い。まーったく知らない人間関係の中に飛び込むのだ。からかわれたり、いじめられたり、孤独になったり、いろいろ経験するわけだ。でも結果的には、なんとかなった。楽しい事ばかりではなかったけれど、なんとかなった。この「環境が変わっても何とかなる」という自分の中に眠っていた経験と、20代後半にさしかかった当時の僕が、この時意味をもって繋がったのだと思っている。
もともと臆病で小心者の僕が、北海道という故郷を飛び出して、更には日本という母国を飛び出し、こうして外国人に紛れて海外で仕事をしている。これは「とり合えず、跳んでみる」、「着地の方法は後から考える」みたいな実践が積み重なって、ここまで来ちゃったのだと思っている。(あくまで、来ちゃった、である。)。海外で働くことが偉いわけでもなんでもない。ただ、自分の願望を叶えた、という意味である。
なんとかなる
ちょっと余談だが、昨年あるTEDトーク(日本語版)を見ていて、妙に共感した。一見、めちゃくちゃ高い壁に見えることでも、試しに近づいてみたら、実は大したことはなかったりする。実は壁だと思っていたものは、よくよく目を凝らすと小さな階段でできた坂だった、という話だ。リンクはこちら。おススメである。
カリン塔のカリン様に会いに行く
さて、明日から次の課題をやってください、と言われたら、あなたはどう思うだろう。
「アフリカの僻地で、ある病気のデータを集め、統計的に解析して英語で論文を書くこと。それを英語で発表し、英語で質疑応答をこなすこと。」
まあ、やりたいとも思わないよね(笑)。これをもし30歳の時の自分がやれと言われたらどうだったか。
いやいやいやいや、無理むり無理むり。研究なんかやったことないし、英語も話せないし。そもそもアフリカ?何それ、食べれるの?
となったであろう。でも実際に、私はこの課題を一応やり遂げた。論文は何度も書き直したし、アメリカ人にも直してもらった。発表はカンペを読みまくりである。でも、それでもなんとかなった。僕にとっては雲の上まで伸びるカリン塔の上のカリン様(←え、知ってるよね?)に会いにいくような課題だったけれど、何とかなっちゃったのである。
おわりに
さて、なんで今日この記事を書いたか。
それは、最近「考えてばかりで跳んでいない」自分にうすうす気づいているからだ。そんな自分を見ないようにしているからだ。弱い弱い。
こうしてnoteを始めたのは、久しぶりに跳んでみたくなったからでもある。実はこの一年間、ブログを始めようかどうしようか、ずっと考えていた。考えていたけれど、跳ばなかった。油断するとすぐに跳ばない人間に戻ってしまう僕。ベッドで寝ているのが大好きな僕。
考えるより跳べ!小さくてもいい。とにかく跳べ。である。
日々怠けている自分に喝。喝である。
3日目、おわり。