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束の間の文学談義 メタフィクションは好き? (皐月物語 58)

 藤城皐月ふじしろさつきは最近、学校に行くのが楽しくて仕方がない。それは2学期最初の席替えで決まった班が今までで最高の組み合わせになったからだ。6年4組では一つの班は男女3人ずつの6人で構成されている。この班の他の5人は、皐月にとってこれ以上ないメンバーだ。
 男子は皐月と趣味の合うオカルト好きの神谷秀真かみやしゅうまと鉄道好きの岩原比呂志いわはらひろしのインドア系の二人で、話す内容がマニアックだ。二人とも知識が深いので、皐月は教わることが多い。秀真と比呂志にしてみれば、話についてきてくれるだけでなく自慢の蘊蓄うんちくに興味を持ってもらえるので、皐月と話すことが楽しいようだ。皐月も興味のある特殊な分野のディープ話が聞けるので、いつも二人から薫陶を受けているような充実感を味わえる。
 女子は幼馴染の栗林真理くりばやしまりと学級委員の二橋絵梨花にはしえりか、いつも本ばかり読んでいる吉口千由紀よしぐちちゆきの三人だ。特にこの班の女子は誰も月花博紀げっかひろきのファンクラブに入っていないというのが皐月には気分が良い。
 隣の席の絵梨花は真理と並ぶ圧倒的な学力持ち主であり、クラス代表のピアノ演奏係務めている。そんな高スペックの上、人形のようなルックスと深窓の令嬢を思わせる身だしなみのせいで、誰も気安く話しかけられない雰囲気を纏っている。6年時に稲荷小学校へ転校してきたので、絵梨花にはクラスで仲の良い友だちがいなかった。皐月も何となく近寄り難いと思っていたが、隣の席になって話してみると普通の女の子だったことがわかった。
 千由紀は人を寄せ付けないオーラを出していて、男子のみならず女子からも疎まれている。千由紀自身も誰とも話したくないと思っているようで、本を読むことでまわりとの壁を作っているように見える。5年生の時に千由紀と同じクラスだった男子から、千由紀がクラスでハブられていたことを聞いていた。しかし席が近くなって話をしてみると、千由紀はいたって普通の女の子だった。
 真理は学校での空き時間を全て受験勉強に費やしている。真理がクラスの誰かと他愛のない会話をしているのを、皐月は見たことがなかった。真理は抜きん出た学力と愛想のなさで、同級生からは取り付く島もないと思われているようだ。真理の愛想の悪さが人間嫌いな性格からきていることは、似た環境で育った皐月にもある資質なので、皐月は真理の振舞いの意味をよくわかっている。真理に気安く話しかけられるのはクラスで皐月だけだった。
 新しい班になってから真理と絵梨花が仲良くなった。同じ中学受験組という境遇が二人を引き合わせたようだ。真理と千由紀は川端康成の『雪国』を通して仲良くなれそうだ。皐月は芥川龍之介の『羅生門らしょうもん』を通じて絵梨花ともっと仲良くなれるかもしれないと期待している。千由紀とは新しく興味を持ち始めた文学で、秀真や比呂志のように深い話ができる友達になりたいと思っている。

 家を出て通学班のみんなと校門を抜け、校舎に入って6年4組の教室に入るまでの間、皐月はいつにも増して胸を躍らせていた。その理由が今の皐月にはたくさんあり過ぎる。
 一番の理由は真理と会えることだが、同じくらいの楽しみは昨夜読んだ『羅生門』の話を絵梨花や千由紀とできることだ。彼女らがまだどういう子なのか皐月はよくわからない。そんな二人と仲良くなれるチャンスだし、文学が好きになった思いを人に話せる喜びもある。昨日一日で学校に来る楽しみが一気に増えた。
 皐月が教室に入ると絵梨花と千由紀はもう席についていた。絵梨花は社会の問題集を見ており、千由紀は相変わらず本を読んでいた。真理はまだ学校に来ていない。二人の邪魔にならないようにランドセルの中身を机の中に入れ、ロッカーへランドセルを片付けに行った。皐月と仲の良い花岡聡はなおかさとしは別の友達と談笑していて、皐月には話しかけてこなかった。
「『羅生門』読んだよ」
 勉強している時でも話しかけていいと言われているので、席に着くなり皐月は遠慮なく絵梨花に話しかけた。
「どうだった?」
「面白かった。情景の描写とか凄く上手くてさ、なんか本当に羅生門にいるような感じがした。実際に行ったことがないのに、読み終わった後は羅生門に行ったっていう体験したみたいな感覚になったよ」
「藤城さんってそういうところに心を惹かれたんだね」
「だって芥川って文章、超上手いじゃん。あと心情の描写もよかった。文章だと漫画と表現の仕方が全然違ってて、漫画じゃ見たことのない掘り下げ方だったから面白かった」
「文章を味わったんだね。難しい漢字でもスラスラ読めないとそんなことはできないよ」
 小説の内容よりも文章表現に関心があると思われたことを皐月は意外に思った。まだ『羅生門』を一度しか読んでいないので、下手なことを言うと馬鹿にされそうで少し怖い。
「途中で作者が語り始めちゃうところがあったんだけど、あれは笑った」
「藤城君はメタフィクションを笑っちゃう人なんだね」
 千由紀が会話に参加し始めた。皐月は絵梨花の方に身体を向けて話していたので、後ろの席の千由紀も話に入れるように配慮をしていた。
「メタフィクション? それって漫画でときどき出てくるメタ発言みたいなものだよね」
「私、漫画のメタ発言ってよく知らないんだけど……」
「漫画やアニメとかだと、キャラが読者や視聴者に呼び掛けるようなこと言ったり、これは漫画だよってことをわざとを言ったりするんだけど。小説のメタフィクションってのもそんな感じなのかな。『羅生門』でもそんな書き方してたよね。作者自身が登場人物の一人として作品内に出てきたりして」
「藤城君はメタフィクションって好きなの? 私は読んでいて恥ずかしくなっちゃうんだけど……」
「恥ずかしくなるだなんて吉口さん、面白いね。俺はね、どっちかって言ったらあんま好きじゃないかな。なんか微妙に白ける。でも『羅生門』のはまあまあ面白かった。でもあからさま過ぎて、もうちょっと上手く書けないのかなって思ったけど」
 真理がやって来た。話を少し聞いていたようで、皐月ではなく絵梨花に詳細を聞いた。
「もっと上手く書けないかなって、どういうこと?」
「藤城さんがね、芥川龍之介の小説を読んで文章の書き方にダメ出ししたんだよ。凄いね」
「皐月が文豪の批判したの?」
 真理は皐月に向かってやや批判めいた口調で問いかけた。皐月はちょっとムッとした。
「だってさ、俺が小説の世界に入り込んでいたら、いきなり『作者はさっき』とか言って解説をし始めちゃうんだぜ。げっ! って思わん?」
「それって『羅生門』だよね。そこの箇所、私もすっごい変な気分になった。現実に引き戻さないでよ~って」
「あれ? 真理って『羅生門』読んだことあったっけ?」
「昨日読んだ。だって皐月と絵梨花ちゃんが『羅生門』の話をしてたじゃない? だから私もちょっと読んでみたくなったの」
 皐月は真理が絵梨花にヤキモチを焼いて、『羅生門』を読んだんじゃないかと感じた。皐月は少し自惚れていた。
「真理って『雪国』読むって言ってなかったっけ? なんで『羅生門』なんて読んだんだよ。本持ってるの?」
「『羅生門』も『雪国』も、本なんて持ってないよ。昨日は夜、全然勉強する気にならなくてね……それで読書でもしようかなって思って。もう本を買いに行ける時間じゃなかったから、ネットで絵梨花ちゃんが昨日読んでいた『羅生門』を読めるサイトを探したの」
 真理は「勉強できなかったのは皐月のせいだ」と言いたげな、コケティッシュな表情をしていた。真理はすぐに顔を素に戻したので、さすがに絵梨花や千由紀には昨晩二人で会っていたことは気付かれないだろう。しかし皐月は驚いた。まさか真理まで『羅生門』を読むとは思ってもみなかった。昨日の話の流れから今日はこういう展開になることを予想して、真理も話に加わろうと思っていたのか。
「二橋さんは『作者はさっき、「下人げにんが雨やみを待っていた」と書いた』っていうところでどう思ったの?」
 皐月が千由紀に聞く前に、千由紀が絵梨花に感想を求めた。千由紀は皐月たちが問題としていた文の一節を一字一句違わずに覚えていた。皐月は千由紀の文学の造詣が深いのに目をみはった。
「私は読者として単純に面白いなって思ったよ。こういうのが小説の面白さなのかなって。平安時代の話なのに Sentimentalisme感傷主義 とかわざわざ英語で表記したり、当時は前衛的だったのかな、こういうのって。小説って物語とはちょっと違うよね」
「藤城君、Sentimentalisme はフランス語だよ」
「マジ? あちゃー! 恥ずっ!」
 また千由紀の前で恥をかいてしまった。だがそれよりも皐月は絵梨花の言った小説と物語の違いが気になった。絵梨花の視点は文学に興味を持ち始めた皐月にはとても興味深かった。
「ねえ、小説と物語の違いって何?」
 皐月が絵梨花に聞いてみると、絵梨花は少し考え込んで慎重に答えた。
「物語は読んで面白いお話で、小説は登場人物の内面を掘り下げたお話ってことでいいのかな。小説だと心情を表現するのに『羅生門』みたいな凝った表現を使ったりするけど、物語だと話の展開で工夫するみたいな、なんかこう方向性が違うというか……私もよくわかってて言ってるわけじゃないから間違ってるかもしれないけど……」
「評論家じゃないんだから厳密な定義なんてどうだっていいのよ。二橋さんがそう思ったんならそれでいいと思う」
 千由紀が嬉しそうに絵梨花に言葉をかけた。恥ずかしそうにしていた絵梨花が千由紀に肯定されたことを喜んでいる。いつも安定して心が穏やかな絵梨花の、相好を崩した姿を見るのはここにいる誰もが初めてのことだろう。
 皐月は今この刹那が楽しかった。秀真とオカルトの話をしているときや、比呂志と鉄道の話をしている時とはまるで違う、格段に深い楽しさだった。彼らと話している時は知識の深まる楽しさだ。しかし千由紀や絵梨花と文学の話をしていると、教養の深まる喜びを感じる。皐月はこんな時間がずっと続けばいいと思ったが、すでに予鈴が鳴り終わっている。もうすぐ先生が教室に来てしまう。
「ねえ、また文学の話がしたいんだけど付き合ってくれるかな?」
「いいよ」
 皐月の文学への一途な思いに即答したのは、絵梨花ではなく千由紀だった。
「ありがとう」
 この時ちょうど先生が教室に入って来た。振り向いた姿勢から前に向き直すと少し寂しげな顔をした真理がまだ振り向いたまま皐月のことを見ていた。


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