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能力のない人間が能力について考えてみた

フリーランスで独立をして、12年が経って、僕は53歳になった。何かをできるわけでもないし、資格もなく、資金もなかったので、とりあえず、「コンサルタント」という旗を掲げた。とは言え、人に何かを教えることなどできるわけがないので、頼まれた仕事はなんでもやった。

自分が立派だというつもりは毛頭ないし、まぁ、なんとか生き残ってきて良かったと思う。もちろん、会社員ではないので、契約を切られてしまえば、収入が減る。毎月毎月、契約が繋がって良かったと胸を撫で下ろす日々は、これからも続いていく。

最近思うのは、自分がお金をもらえる仕事をしていくのは当然ではあるけど、それ以上に、能力のある人と仕事をすることで、仕事の質が上がるということである。もちろん、類は友を呼ぶというように、自分の能力を高めることも重要である。

ところで、能力って、なんだろうか?ということを考えてみた。


能力とは

能力とは「何かを成し遂げる力」と定義すれば、どんな人にも能力は備わっている。遅刻をしないで出勤できることも能力であるし、メールを送ることも能力であるし、契約が取れるメール文を送ることができれば、さらに高い能力と言える。

能力は誰にでも備わっているけど、能力には評価がつきまとう。評価は対価につながる。

野球のボールを投げることができるのは能力ではあるけど、プロ野球選手になるなら、プロ野球の投手と評価される能力が必要で、投げることでお金を稼ごうと思うなら、プロ野球のバッターを打ち取るような投球ができなければならない。

仕事も同じで、給料などの報酬を与える価値があると評価される能力がなければ、仕事をすることはできない。

そう考えれば、能力とは「評価を獲得する力」ということができそうだ。だから、能力というのは、がんばっているかかんばっていないかなどに関係するものではない。だから、「努力が報われるのかどうか」という議論はナンセンスで、何に努力をするのかで、予め結果は決まっている。

例外があるとしたら、評価者が、「がんばり」を重視知る場合である。会社員が結果よりもがんばっている姿を評価する上司の下で仕事をする場合は、上司の評価基準に合わせることができることが能力になる。

能力とは臨機応変に使うものなのである。

こうした空気を読める人材と仕事をすると、質の高い仕事ができる。僕が何を求めているのかをわかってくれるので、ストレスもない。

僕に能力があるとしたら、できる限り、「できません」と言わなかったことであろうと思う。


ピーターの法則

組織の課題について、ピーターの法則というものがある。

1:能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
2:時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。
3:その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。

Wikipedia

要は、課長として能力を評価された人は、次長に昇進をするけど、部長に昇進できないとしたら、自重としての仕事を評価されていないということである。つまり、能力のない次長になっているということである。そして、最終的には、各人材は出世の限界に達するので、組織は無能な(正確に言えば、さらなる出世に相応しくない)人材だらけになるということである。

では、なぜ組織が成長をするのかというと、無能レベルに到達していない社員が仕事をしているからだというのが、ピーターの法則の定義である。

この点が実は重要で、取り立てて能力のない僕が、12年間独立をして生き残ってきた理由は、「できません」と言わなかった(稼がないといけないので言えなかったのというが正解)からだと思うのである。そして、これからも「できません」ではなく、「やってみます」であり、「やらせてください」と言い続けることでしか、生き残る道はない。


再び、能力とは?

組織の中で無能レベルにならずに、能力を高める方法があるとしたら、やったことのないことに取り組み、成し遂げることであると思う。リスクを取るともいうが、そんなに大袈裟なことではない。

たとえば、営業事務という仕事がある。大抵のバックオフィスの仕事は、フロントの営業マンよりも評価が低い。つまりは給料も安い。もし、そこに甘んじたくなければ、やったことがない仕事をやってみることをおすすめしたい。

オフィスで仕事をしていて、お客からクレームの電話があったとする。標準的な能力としては、クレームの内容を正確に聞き取り、担当営業マンに正確に伝えればO Kである。ここで一歩踏み込んだ仕事をするとは、お客が要望している対応策を聞き取り、営業マンに連絡をした後、自分にできる対応があれば買ってでるということである。

もちろん、聞き取りと伝達をすれば仕事は完了なので、わざわざ厄介ごとを引き受ける必要はないという考えもある。が、この考えは自分を無能レベルに着地させることになってしまう。

もちろん、出世を求めない人もいる。それはしれで構わないと思う。人生は仕事が全てではない。

しかし、仕事だけでなく、人生に100%の満足がないなら、能力を高める必要があるということであろう。



出世の限界に達したら、独立を考えてみる。

組織での出世が頭打ちになるのは、当事者の能力だけの問題ではない。無能レベルの上司が、そのポジションに居座り続けることで、頭打ちになることもある。

こうした場合、転職や独立を考えてもいいだろう。

とは言え、人間は環境の変化に躊躇するものなので、怖いという意識が生まれるかもしれない。

こうした場合に、冷静に考えたいのは、「怖い」と「危険」の違いである。

たとえば、目隠しで5メートルを歩くとして、障害物がない場所なら、怖いかもしれないが、危険ではない。一方で、障害物がたくさんある場所を目隠しで歩くのは危険である。

危険でないにもかかわらず、怖いという感情が壁となって、自分の能力を抑えてしまっていることがある。

能力とは、危険でないにもかかわらず、怖いと思っていることにチャレンジすることで養われる。

それは、僕の人生で実証できたと思う。

・頼まれたことに「できない」と言わない。

・怖いことでも「やってみます」と言う。

・頼まれることがないなら、「やってみてもいいですか?」と言ってみる。

これだけで人生は変わっていくと思う。

能力とは養っていくもので、どう養えばいいのかと言うと、自分ができることで、人ができないこと(やりたくないこと)に力を注ぐということである。



よりよく生きるために

能力は仕事だけに使うものではない。よりよく生きるために、僕たちに備わっており、僕たちは能力を最大限に使うべきである。

もちろん、何をもって、よりよく生きるのかと言う問題もあるし、目標設定が高すぎると、途中で死んでしまうかもしれない。


人生を投げ出してしまわない。

適当なところで妥協をしない。

よりよく生きるために自分の能力を使う。

そう考えて毎日を過ごすと、自分の可能性に期待が持てるし、可能性に期待することが、充実した人生になるのではないかと思う。その時、周囲にいる人は、能力のある人ばかりになっているはずである。


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