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マングローブの龍


内容紹介

テーマはかつてギネス・ワールド・レコーズに史上最悪の獣害と記載された1945年の日本軍ラムリー島鰐事件。現存資料を精査し、書きおろしたリアリティー・ウォー・アクション・ノーベル。著者自身により英訳され2006年に国際出版された作品のオリジナル・オーサーズ・カット。
2006年度第7回小学館文庫小説賞最終選考優秀作。
2019年度第4回文芸社出版賞銀賞受賞。
400字詰め原稿用紙換算枚数:280枚

 昭和20年1月、連合軍の全面的反攻にさらされ敗色濃厚となったビルマ戦線。英印軍第26師団の侵攻を受けたベンガルの要衝ラムレ島では、日本軍守備隊が全滅の危機にひんしていた。機関銃分隊銃手、春日稔上等兵は、果敢に戦うが、敵の猛攻の前になすすべはなく敗走を余儀なくされる。マングローブにおおわれた東海岸まで追いつめられた守備隊には、もはやミンガン・クリークを泳ぎ渡りビルマ本土へ転進する以外方法がない。だがそこはすでに敵砲艦が哨戒している。それだけではない。獰猛な入江鰐すら棲息する危険な場所だ。春日は鰐の存在に気づき、恐ろしさを認識するが、その警告に耳を貸す者はなく、部隊は無謀な渡河作戦に突入する。

 一方ビルマ本土では、捜索連隊少尉、角美久に突然の命令がくだる。挺身隊を組織してラムレ島に渡り、窮地に陥った守備隊員を救出せよ、というのだ。角は危険な任務に当惑する。漁船を入手し、どうにか西海岸に潜入するが、すでに敵に蹂躙された島の地勢は複雑で、作戦は難航をきわめる。過酷な状況にあえぎながら、ミンガン・クリークをめざす角挺身隊を待っていたのは……

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マングローブの龍

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二月十六日 〇八三〇 救出指令

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 角美久少尉率いる軽装甲車第二小隊は、夜通し峻険なアラカン山脈を走り、早朝、ここタンガップに到着した。一息ついているところを敵戦闘機編隊に強襲され、ジャングルに逃げ込んだばかりだ。乱舞する敵機に囲まれると生きた心地もせず、機種どころか米英の区別さえつけられなかった。
 いつの間にか、飛行機の爆音、銃声は消えている。角は装甲車の天蓋を開け、恐る恐る首をつき出した。ベンガルの空は明るく、目がくらみそうになる。
 砲塔脇にうずくまっていた小柄なビルマ国民軍兵士が、こわばった顔のままたちあがった。角はポケットから汗で湿った煙草をとり出し、震える手で火をつけた。残り少ない紙巻き煙草だ。エンジンの余熱で蒸し風呂のようになった車内で吸うのは惜しいが、ほかに気持ちを落ちつかせる手立てがない。
「ポンジー、敵機はいったか」
「角マスター、もうどこにも見えない。大丈夫」
 角は大きく煙を吐いた。どうやら無事にすんだようだ。頭上では重なる椰子の葉が風にそよいでいる。
 大丈夫といっておきながら、ポンジーはまだ空を仰いできょろきょろしている。飛行機の苦手なこのビルマ人は、捜索五十四連隊軽装甲車第五中隊のラングーン進駐から、角と行動をともにしていた。日本語も上達し、今では相当なものだ。
 ポンジーとは本名ではない。ビルマ語で僧侶をさす言葉だ。落ちついた趣のある坊主頭のこの青年は、誰からともなくそう呼ばれていた。この国では僧侶は大変尊ばれているので、本人も気に入っているようだ。
 昭和二十年に入ると戦傷、戦病兵に加え逃亡兵まで続出し、ビルマ国民軍は激減した。盟友日本軍に愛想をつかしたかのようだった。だがポンジーは部隊を離れない。先々で角の手足となり、現地人の宣撫などに精を出している。何が彼を駆りたてているのか、角にはよくわからない。
「こうもたびたび飛びまわられては迷惑だ。早くイングリどもをビルマから追い払わないといかんな」
 景気づけにいってみたが、よけいむなしくなった。この国から追い払われようとしているのは日本軍の方なのだ。

 先着している中隊指揮班にタンガップ到着をまず報告しなければならない。払暁までに到着せよ、と命じられていたにもかかわらず、故障や空襲で遅れてしまい、気がつけば日が昇っている。
 角は部下に車両整備を命じると、一人ジャングルを出て、歩兵百二十一連隊本部に向かった。本部といえば聞こえはよいが、実際は街はずれの古寺裏にたてられた竹小屋だ。タンガップはアラカン戦線の要衝なので、彼らのような他部隊も連絡所としてよく間借りするのだ。
 インド洋を渡る風が朝霧を払い始めた海岸道をしばらくゆくと、木立のあいだに古寺の伽藍が見えた。角を曲がると中門の前に並ぶ人影がふたつ。軽装甲車第五中隊長の与田大尉のかたわらに、何度か見かけた師団参謀の一人がたっている。いやな予感がした。なぜ師団参謀がここにいるのか。それにいつも沈着な与田がなぜかそわそわしているようだ。到着の遅れをしかられるのかと思っていたが様子が違う。
 与田が角に気づいたらしい。
「角、たった今師団命令が届いた。昨日の今日で悪いがもう一働きしてくれ。いいか、師団命令だぞ」
 というと、さっそく命令書を読み始めた。
「軽装甲車第五中隊第二小隊長 角美久少尉はただちに一個分隊よりなる挺身隊を組織し、可能な限り大量の小発動艇もしくは民船を収集すべし。爾後船団を率いすみやかにタンガップよりラムレ島におもむき、同島守備隊たる歩兵第百二十一連隊麾下第二大隊の大陸への転進を援護すべし・・・」
 ここまで聞いて、角は愕然とした。その場でへたばりそうになるのを抑えるのに精一杯で、後半はあまり覚えていない。ラムレ島戦況の悪化は、角のような幹部候補生あがりの下級将校の耳に届くまでになっている。そんなところに潜入し、敗残兵を助け出すという非常に危険な任務をあてがわれたのだ。

 昭和十九年七月、ビルマ方面軍は無謀なインド侵攻戦、いわゆるインパール作戦で五万五千の将兵を失う大敗北を喫した。以降勢いづいた連合軍の猛反攻の前に敗走を重ね、その版図は縮小の一途をたどっていた。
 二十八軍五十四師団が守るビルマ南西部アラカン地方も例外ではない。二十年一月三日、北西の拠点アキャブを奪い返されると、それを足がかりに南下する英印軍の攻撃を各地で受けるようになった。
 アキャブ東方約五十キロ、ミエボン半島に駐留する捜索五十四連隊主力部隊も、一月十二日、敵の奇襲を受け、今も苦戦を続けている。前線急行を催促されているにもかかわらず逡巡した与田がなかなか兵を進めず、いまだ戦火をまじえていないが、角の中隊はそもそもこの増援として現地におもむく途中なのだ。
 ミエボン南東約二百キロ、ここタンガップ周辺とラムレ、チェドバ二島の防衛をになうのは歩兵第百二十一連隊だ。ラムレ島はタンガップの北西、マングローブの水路をへだて、ベンガル湾に浮かぶビルマ最大の島。かつて東インド会社の貿易中継地として栄えたチェドバ島は、その南西だ。
 一月二十一日、敵手はついにラムレ島に及んだ。戦艦、空母を含む大艦隊に援護された英印第二十六師団が、北部の港、キャクピュに上陸したのだ。迎え撃つ守備隊は百二十一連隊第二大隊。重砲は英軍から鹵獲した二十五ポンド砲三門しか持っていない。一個師団の敵にあらがいようもなく、すぐ東海岸に追いつめられた。
 さらに二十六日には、空母に支援された約三千の敵がチェドバ島に上陸し、橋頭堡を確保。現地にいた本山少尉以下六名の斥候隊は、命からがら島を脱出し、二月一日、小島伝いにタンガップに逃げ帰った。
 わずかのあいだにベンガルの要衝二島を失い、これ以上の損耗を恐れた連隊司令部は、二月九日、ようやくラムレ守備隊の大陸への転進を認めた。
 だがこのころすでに島と大陸のあいだには、英軍砲艦、航空機が跳梁していた。それらによって守備隊の舟艇はすべて破壊されてしまい、救出作戦は難航した。連隊長が派遣した四隻の小発動艇団は往路敵に発見され、残らず撃沈された。続いて、タンガップ駐在の第二大隊連絡下士官が、百隻に及ぶ民船団を率い救出に向かった。しかし船団はマングローブを迷路のように錯綜する水路に迷って四散してしまい、島まで無事たどりついたのは数隻にすぎなかった。
 ついに打つ手のなくなった連隊司令部は、守備隊に対し、大陸との最短部、ミンガン・クリークを泳ぎ渡れ、という途方もない命令を出してしまった。
 見かねた師団司令部が、この無謀な転進作戦を援護せよと、今また角に白羽の矢をたてたのである。

 与田から戦況の詳細を聞いた角は、作戦準備のための軍票を受けとると、黙って歩兵連隊本部を出た。別れぎわ与田は哀れむようなまなざしを見せたが、師団参謀は無表情で、最後まで角の目を見てものをいうことはなかった。
 万策つきたとはいえ、敵の哨戒する海を泳ぎ渡るのはあまりに無謀だ。師団が救援隊を再投入してまで転進作戦にこだわるのは、犠牲を何とか最小限にとどめようとする親心だろう。わからない訳ではない。
 だが最後に打たれる捨て駒がなぜ自分なのか。それも二度失敗した戦死必定の救出作戦を、もう一度やれという。とんでもない貧乏くじを引かされたものである。
 そもそも角が将校になったのは、その方が楽で、格好よいと思ったからにすぎない。帝国陸軍では兵隊など牛馬のようにこき使われる。夜も兵舎に監禁されたままでは、囚人や奴隷に近い。さらにそこでは、内務班での陰湿ないじめによって、あらゆる人間的尊厳が徹底的に破壊される。初年兵生活を味わえば誰もが知ることだ。
 角自身、入営早々にわずかな軽油をこぼしたとがを問われ、古参兵から気絶するかと思うほど強烈なビンタを執拗に見舞われたあげく、陰毛に火をつけられ、裸踊りを強要されたことがある。
 その時は恥辱と怒りで気が変になりそうだったが、これらは軍隊では日常茶飯事と後日すぐにわかった。私的制裁は軍法で禁じられているはずだが、実際は見て見ぬ振りの野放し状態。むしろ積極的、組織的に行われている節があった。この教育方法を理不尽に思う人間性を持っているようでは、しょせん人殺しの駒にすぎない兵隊など務まらない、と考えられているのだろう。
 一方、将校になれば営外居住が許され、少なくとも夜は普通の生活に戻ることができる。朝には当番兵が馬を引いて迎えにくる。それに乗って敬礼しているだけで、よい給料がもらえるなら、ならない手はないと思った。高等教育を受けた者に将校への道を開く幹部候補生試験に、飛びつくようにして応募したのはいうまでもない。
 だが現実の厳しさは、とかく予想を上まわる。同じ将校でも、職業軍人のエリートとは種類が違った。幹部候補生あがりなど、どんなに出世しても大尉が関の山。求められているのは、指揮、統率の能力などではない。ひたすら兵の先頭にたち、手本としてまっ先に戦死して見せる覚悟だけだ。自殺に近い作戦の指揮官をこのように簡単に押しつけられたのがよいあかしだが、今さら後悔したところで、どうにもならない。
 しかしものは考えようである。予定通りミエボン半島に向かえばどうなるだろうか。
 角が率いるのは曲がりなりにも機甲部隊だ。火力、装甲に過大な期待をされ、矢面にたたされるだろう。だがマッチ箱のような装甲車で、敵の強力なM4戦車をどうやって迎え撃てばよいのか。火達磨にされるのが目に見えるようだ。
 ミエボンに上陸した敵はコマンドという奇襲専門の旅団らしい。旅団というからには、おそらく五個大隊はくだらないだろう。それをほぼ捜索五十四連隊だけで防いでる。連隊といっても、角が所属するこの部隊は特化だ。歩兵に換算すれば、全部かき集めても一個大隊ほどにしかならない。M4戦車が出てこなくても、十分厳しい戦いだ。
 一方、このラムレ守備隊救出命令は、船を集めて島にゆけというだけで、具体性も何もない。敵中潜行は確かに危険だが、どのようになるかわからない分、お茶を濁す余地もある。うまくたちまわれば生還できるのではないだろうか。
 そう考えれば、ミエボン増援よりましに思えてきた。
 いずれにせよ発令されたからには、達観して任務遂行するしかない。不承不承、角は作戦を考え始めた。
 制海、制空権を敵に握られている以上、無血撤退は不可能に近い。だからこそ当事者たちは、敵前渡河というやけくそのような手段にすがっている。これから船で救援に出向くとして、十分な成果をあげるにはどうすればよいのか。
 よく考えれば、その必要はないかも知れない。命令を伝えにきた参謀の人を軽んじたような態度を思い出した。師団命令とはいえ門外漢を差し向ける以上、十分な成果など期待する方がおかしい。生還でき申し開きができれば十分だ。
 何となく腹ができてきた。その分思案のしどころである。
 これまでの救出作戦はなぜ失敗したのだろうか。連隊司令部は、島と大陸の最短部を渡河点に選び、小発動艇団、民船団双方をミンガン・クリーク付近に派遣した。どちらの作戦も、守備隊をタンガップ北方約四十キロにある小村、ラムに集結させるつもりだったらしい。一個大隊を一気に渡らせようとすれば、場所は限られる。どうしてもこのあたりになる。だがそれは敵も知っている。事実、英印軍は小型砲艦や、発動機つきゴムボートなど、クリーク哨戒に適した船を出してきた。こちらの手のうちは読まれている。同じことを繰り返せば、同じ結果が待つだけだ。
 救援船の選択も適切とは思えなかった。なるほど軍用小発動艇は輸送力に優れている。船体が長く大きいからだ。兵隊を満載すればよけいに目だつ。スパイが近くにいれば、すぐかぎつけるだろう。民船はどうだろうか。これはクリーク地域住民が日常の交通手段として用いている船だ。サンパンと呼ばれる木製の人力船である。迷路のような湿地をゆくにはよいが、船足は遅い。敵に発見されて逃げるのは無理だ。
 あれこれ考えながら海岸道を戻る。ふと見ると、先着した第一小隊長の岡田少尉が路傍の木陰で昼寝をしている。挺身隊を組織してラムレ島にゆくあいだ、残りの部下の面倒を岡田に見てもらわなければならない。
「おい、すまんがちょっと起きてくれ」
 声をかけたが、岡田はのんきにいびきをかいたままだ。どちらも同じ中隊の小隊長なのに、自分だけ死出の旅にゆくのかと思うと、無性に腹がたってきた。思わず尻を蹴りあげると、今度はさすがに飛び起きた。
「痛っ。貴様、人が気持ちよく寝ているのに何をするか」
 確かにその通りだ。この男も昼夜兼行の走行で疲れているのだ。おろかなことをしたものだ。
「すまない。強く蹴りすぎた。許してくれ」
 と角は率直に謝り、用件を告げた。岡田は尻をさすりながら話を聞くと、
「わかった。あとのことは心配するな。ところで貴様、ラムレ島までの船はどうするつもりだ」
 と尋ねてきた。
「まだわからん。上の方も手づまりらしく、細かい指示は何もない。自由にやれるのは結構だが、船については困っているのが正直なところだ」
「司令部の連中も馬鹿だな。俺ならビルマ人の漁船を借りるな」
「それはもう歩兵の下士官がやって、見事に失敗したらしい。きっと船が遅すぎたんだ」
「どうせ平底のぼろ船を使ったんだろう。俺がいっているのは、近海漁業に使うちゃんとした漁船だ。タンガップの漁師はなかなかいい船を持っているぞ。エンジンも焼き玉だけじゃない。ディーゼルもあったぞ」
「そんな上等なものがあるのか」
「ああ、この目で見たぞ」
「それは頼もしいな」
「そうだ。あれなら駆逐艦でも振り切れるかも知れん」
 確かにタンガップは漁村だ。幅百メートルあまりのタンガップ川には大小さまざまの漁船が碇泊している。街路にはしばしば朝市がたち、取れたての魚に彩られる。岡田は漁業に詳しいらしく独自の視点で街を見ていたのだ。
「貴様のところにいるビルマ兵、ポンジーとかいったな。やつは確かサンドウェーの出だ。あそこも漁村だから、やつなら漁師の知り合いがいるかも知れんぞ。聞いてみろ」
 何となく頭のなかに光がさしてきたような気がした。
 岡田と別れたあと、角は手帳をとり出し、与えられた情報に照らしながら戦況を整理した。敵中を見事に突破した本山チェドバ斥候隊の行動記録が、目に留まった。
 ラムレ島の南からチェドバ島の東に渡るヘイウッド水道には、サグー、マヂ、タイ、イエの四小島が点在する。本山隊はそのうち、南からイエ、タイ、サグーの順に経てタンガップに帰還したという。もちろんここも安全ではなく、現にサグー島は一月二十九日、敵に占領されていた。しかしサグーには初めから日本軍はいないし、チェドバでも交戦はなかった。敵にとっては拍子抜けだったかも知れない。警戒心が緩んでいても不思議はない。
 日本海軍はフィリピン戦線にかかり切りで、このあたりに顔を出す暇もなければ数もない。大陸側日本軍にラムレまで届く重砲はなく、抗戦中の守備隊はすでに虫の息だ。押っ取り刀の救援隊は皆わなに引っかかって打つ手がない。今のところ敵が恐れているのは、時折思い出したように出撃する、第五飛行師団の残り少なくなった飛行機ぐらいのものだろう。
 これらの点から、ヘイウッド水道に敵哨戒網はない、あっても薄いと考えられた。本山隊の帰還はそれを裏づけるものだ。
 ようやくひとつのプランが、かたちになってきた。高速漁船を使ってタンガップからヘイウッド水道を西進、マヂ島南側を通り外洋に向かう。その後北上し、無人島のタイ付近で様子をうかがったあと、チェドバ海峡中央につき進み、ラムレ島南部アモー岬付近に上陸すればよいのではないか。
 ラムレ島に向かう救援隊の捕捉殲滅をねらう敵艦船は、ミンガン、カレンダン、マデジュンといった東側クリークに集まっているはずだ。敵機もここに近づく船は何だろうと無差別に銃撃しているらしい。現地船も逃げ出しているだろう。
 一方、ヘイウッド水道では、依然として多くの漁船が操業中だ。雨期は海が荒れ不漁になる。それをおぎなうには、戦禍を恐れてばかりもいられないのだろう。
 挺身隊員をビルマ人漁師に変装させ、高速漁船に乗り込ませれば、南側から大胆に接近できる。あとは夜陰に乗じて一気に上陸する。いざという時は船足にものをいわせて逃げてしまえばよい。
 意を決した角は、大きく息を吸い天を仰いだ。時刻はすでに十時をすぎていた。

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