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“所有”から“共有”へといっせいので乗り換えれば世の中は良い循環になる気がする

昨日夕方に子どもを連れて公園に遊びに行きました。

公園に砂場がありますよね。そこにプラスチックのスコップやらバケツやらが置きっ放しになっています。
それを誰かが自分のものにしようと持っていかなければずっとそこにあるわけです。そうすると誰が来てもそれで当たり前のように遊ぶことができます。

一方子ども用品店やおもちゃ売り場に行くと、こぞって砂場セットを買っている親御さんがいらっしゃいます。今では百均でも多く見られますよね。確かに安いものではあります。

ただ、それぞれで“所有”しなくても近所の公園に置いてあればみんなで“共有”することができるんですよね。

これってなんにでも言える気がします。今世の中がシェアの流れに来ているのはとても本質的だと思います。すべてがそうなれば溜め込んで奪い合って傷つけ合うことも減るのでしょうか。

でもみんなで“いっせいに”乗り換えなければ、結局誰かが出し抜きたくなるものなんでしょうね。歴史を見ても。人間の性というものでしょうか。

そうやって富の再配分や共有を行う、促すのが「政治」の役目なんでしょうね。

ちなみに、その公園には子どもの乗り物もたくさん置いてありました。あ、共有してありました。

与え合いの恩贈りで巡る世の中になったらいいな。 だれでも好きなこと、ちょっと得意な自分にできることで、だれかのためになれて、それが仕事にもできたら、そんな素敵なことはないですね。 ぼくの活動が少しでも、あなたの人生のエネルギーになれましたらうれしいです。