Reggae Inna Dance Hall Style - vol.14
Shadowman(1/2)
ーあなたがトースティングスタイルのDeejayを始めたのはいつですか?
俺がDeejayとして活動し始めたのはだいたい4年前だな。”Romantic”っていう小さいサウンドでだ。そこにはRankin Toyan, Little Johnとか似たような奴らが居て一緒に活動してた。ダンスでショウをしたあと、一言二言ビッグサウンドについてのトークをしてるんだが、これは、観客から人気を得るために心がけてやってることさ。Romanticサウンドで二、三回、そして他のサウンドでも同じようにやってたんだ、そしたらそれをみたJunjoが俺をVolcanoに引き抜いてくれたんだよ。1983年の初頭だったな。
ーその年にレコーディングを行ったのですか?
ああ、その年にレコーディングしたんだ、”Calypso”って曲でイギリスのRusty Internationalってレーベルからリリースしたんだ。その盤のもう一方にはLittle Johnの作品が収録されてる。そのあと2曲リリースしたな。一枚はまたLittle Johnと一緒にやった”Come Me Just A Come”って曲と、あともう一枚はRankin Toyanとのコンビネーション曲で、それにはLinval Thompsonの曲も一緒に収録されてる。
ーCalypsoの楽曲はスペイン語を使用しているのはどうしてですか?
あぁ、スペイン語ね、、学校で習ったからさ。Jamaicaではみんな学校で習うのさ。
別にみんなそのことについて特に気にしていないよな。けど俺はスペイン語が好きだったんだよ。それに俺にとっては第二言語を話せるってことは誇りだと思ってるしな。俺は学校から帰っても勉強を続けたよ。諦めずに本を読むことから始めて、そしてたくさん勉強したのさ。俺がスペイン語を流暢に話せるのは知ってると思うが、このことは自分の身を助けることになるのさ。
ー皆さんは、あなたがスペイン語を話せることを好きなんですよね。
ああ、その通りだな。
ーあなたはダンスホールのシステムをどう思いますか?
ダンスホールって言うのは、自分をみんなに知ってもらう場所だよな、まさしく"inna dancehall"でな。人々がダンスホールに来て踊ったり歌を聞いたりして、自分のことを知ってもらったり自分のことを話してもらう場所だし、”あいつすげーな”とか、”お前あのDeejay知ってるか? Volcanoのサポート受けてるんだってよ”って感じでさ。そんな感じでビッグになっていける。そして俺の曲を欲しがる奴が現れるようになれば、曲をレコーディングしてリリースするのさ。
ーYellowman と同じように、自分自身がビッグになったと感じていますか?
ああ、俺はいつもダンスに出演してるし、みんなも俺のことを覚えてくれてるし、みんな俺のパフォーマンスに釘付けになってるしな。
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