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Reggae Inna Dance Hall Style - vol.11

Little John And Ranking Toyan

若いアーティストはツアーをやりたがる。海外に出ることは仲間のアーティストにも高く評価されることになる。ツアーで成功すると、アーティストはスーパースターに仕立て上げられる。Little JohnとToyanはちょうどカナダのツアーから帰ってきたところだ。みんな知ってると思うが、彼らにとってこれは初めてのツアーではない。我々はLittle Johnの住居に程近いOakland地域で彼らと会った。彼は17歳にしてスーパースターである。彼の最初のレコーディングは、1975年にCaptain Sinbadと共に行った。彼は若干9歳にして'51 Stormをリリースした。それから次の曲をリリースするまでだいぶ時間がかかった。彼は12歳の時ダンスホールスタイルでのヒット曲を作った。それからというもの彼の勢いは止まらない。彼は5つのLPと膨大な数のシングルを保有している。

ーあなたはカナダから早々に帰ってきたけど、どうしてですか?
あぁ、このツアーはGeorge Phanが俺とToyanとEcho Minottのために組んでくれたんだ。最高だったよ。俺は3つの良いショウをやったよ。観客もすごい盛り上がってた。だけどすぐに、誰かがバスを襲撃したって噂が広がって、俺も心を痛めたんだ。それで母さんも心配してるし帰ってきたんだ。でも結局噂だけで何も起こってないんだけどな。

ーあなたはVolcanoレーベル所属のシンガーですか?
もちろん。俺はずっとダンスホールで歌い続けたいんだ、わかるだろ。今もそんなバイブスでレコーディングした曲を数曲チェックしてきたよ。聴衆のどんなリアクションをするのか確認してたよ。俺は自分のセットであるRomantic Hi-Fiで歌を歌い始めたんだ。あと、70年代のオリジナルKillamanjaroもだな。あとGeminiも定期的にやってたな。そしてそれらを経てVolcano Hi-Powerと始めたのさ。Junjoは良いプロデューサーだよ。俺は彼が大好きだよ、Jo Jo Hookimも好きだな。Jah Thomasは嫌いだな。 Triston Palmaも彼の元を去ったしな。まあとにかく今は自分自身をプロデュースしてるよ。すでに仕上がってる曲が数曲あるんだ、前にも言ったLittle John自身のレーベルでな。次は若いやつもプロデュースしてやりたいな。ゲットーには才能に溢れたやつがたくさんいる。もっとラブソングとかキャッチーなリリックで優しいリディムで録りたいと思ってる。

ー耳障りな声のDeejay、Toyan。彼は歩道に腰掛けている。彼は少し傷ついているようにも見えるが、、実際はそんなことはなかった。ちょっとしたアクシデントが起こっただけだった。

俺が二日前にカナダから帰ってきた時、俺はすでに街のダンスホールをチェックしてた。俺はダンスのリハーサルをたくさん行い、いくつかのリディムにも歌を乗せたり、、リハーサルは本当つまらないもんだよ。
俺はVolcanoのボスであるJunjoと共にいい音楽、いい音、いいアーティストと同じ時を過ごした。すでにJunjoとは3つのアルバムもリリースした。俺は1974年にDeejayを始め、俺の初めてのリリースは78年のDon Mais Roots Traditionalレーベルから"Finger an' Disco Pants"って曲だ。Jo Jo HookimやJah Thomasともいくつかアルバムをリリースしたことはあるが、今はJunjoが本当のボスさ、わかるだろ。



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