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コロナ渦不染日記 #90

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一月四日(月)

 ○さて、今日から仕事初めである。
 まずは検温。今朝の体温は三六・一度。

 ○といっても、ぼくの仕事の現場は、今週金曜の八日まで、本格的には動かない。だので、今日は在宅勤務である。去年のすえにわざと溜めておいた書類の作成にあてる。

 ○ゆっくりと朝食をとり、巣穴の居間に腰をすえて、さあ、仕事をしようと思いながら、テレビを見ていると、総理大臣が、今週中にも緊急事態宣言を発出するつもりでいると発表した、というニュースが飛び込んでくる。
 曰く、東京を中心とした、首都圏の一都三県で、新規感染者数が増大し、医療現場の逼迫が、いよいよ無視できないレベルに達している、というのが理由だそうだ。

 ○昼には、午前の記者会見で、総理大臣が、緊急事態宣言を発出することによって、飲食店の営業時間短縮などを要請するつもりでいる、というような発言をしたというニュースを見る。これにはぼくも、相棒の下品ラビットも、おおいに落胆した。
 飲食店の営業時間を短縮すれば、感染拡大がおさまるなどと、本気で考えているわけがない。もし本気で考えているならば、それは考えなしのおろかものである。新型コロナウィルスの感染は、飛沫感染なのであり、もっといえば人から人へ移るもので、つまり、人が人と出会う場面は、すべからく感染の可能性ありと見るべきで、なにも飲食の場に限った話ではないからである。そして、いくらなんでも、総理大臣以下政府は、そこまでのおろかものではあるまい。だとするなら、これはわかってやっているということである。なにをわかっているか。それは去年四月のような経済的打撃を生むかたちでの、外出自粛要請はできないということである。そんなことをすれば、経済は止まるし、出歩けないことで人々はストレスを溜めていき、なにより、四月と異なるのは、学校を止めるとどんなことになるのか、わかってしまっているのである。

 ○以前、日記でも書いたが、この国の社会は、学校のスケジュールを中心に動いているのである。学校というものが、義務教育の時間割が、社会のスケジュールのアーキタイプとなってしまっているのだ。だから、そこからこぼれ落ちてしまうと、学校のカリキュラムを消化してきたという、この国の国民がもっている前提から、こぼれおちてしまうことになる。つまりは、この国の国民として、足りないものを持っていると見なされてしまうのだ。
 そして、このシステムは、基本的にやり直しがきかない。小学校六年間と中学校三年間の義務教育に、やりなおしは基本的に存在しないのである。だから、これを止めてしまうと、こぼれおちたも同然になってしまう。子供たちはそのように見なされてしまうし、大人たちには、子供たちをそのように見なしてしまうという実感があるのだ。だから、学校を止めることはできず、学校とおなじ時間割で動いている人々を止めることができない。

 ○だが、無策では、なにもしなければ、感染拡大は止まらないし、「感染拡大を止めようとしなかったものたち」と見なされてしまうだろう。だから、「飲食店に対象を絞った対策をすればいい」などと、おためごかしを言っているのだ。もちろん、そうして対象を絞ったほうが、仮に保証をするとしても、その金額を減らすことができる。国民全員ひとり十万円の特別定額給付金をめぐる混乱を、いまいちど、起こすこともない。
 ……このような考えが、いま、政府の緊急事態諮問委員だの閣議をはかる議員だののあいだに、とりかわされているのではあるまいか。それこそ、映画『日本のいちばん長い日』のような、あちらを立てればこちらが立たず、誰かが血を流さなければ終わらない会議を。
 だが、誰も、みずから血を流す気も、覚悟もないのである。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、三三二四人(前週比+九二六人)。
 そのうち、東京は、八八四人(前週比+四〇三人)。


一月五日(火)

 ○今朝の体温は三六・〇度。

 ○昨日と同様、在宅勤務の日である。朝八時半から働いて、昼に一時間の休憩(三十分の昼寝を含む)をとり、夕方十七時半に退勤の打刻をした。その間、やる気がおきないことおびただしい。個人的な気持ちとしては、巣穴を出て、現場にむかっていた方が、働いているという気がするし、その裏返しとして、巣穴という、憩いの場に仕事を持ち込みたくないという心理がある。この日記で何度も書いているが、ぼくは仕事するために生きているのではなく、生きるために仕事しているだけなのだから、生きるということの場に、仕事が入り込むのは不快なのである。

 ○昨日に引き続き、在宅仕事中のニュースは、緊急事態宣言に関するものばかりだが、なかでも、やはり、文科省による、「幼稚園や小・中・高校の一斉休校は考えていない」という発表が気になる。

 昨日の日記にも書いたが、こここそが、現代日本社会のスケジュールのアーキタイプなのだ。なぜならば、現代において、この社会を動かしているもののおおくが、「学校」というシステムを経て、この社会に参入しているからである。
 かつて、和田慎二の伝説的アクションエンターテインメント『スケバン刑事』の外伝的作品である『スケバン刑事 if』において、登場人物のひとりが、「学校」というシステムについて語るシーンがあった。

「学校という同世代で構成された社会は、教育とか教師とかそういうラインとは別に……学生が学生に対して影響を与えられる場所。すべての学校でそれが可能! 影響が定着すれば、学校が存在するかぎりラインは残る
「たとえば将来、私が政界に入るとして……どんな派閥であろうと、同世代の政治家はすべて私の輩下よ」

――和田慎二『スケバン刑事 if』より。
太字強調は引用者)

 この話の主は、上記のように同世代に影響をおよぼしておけば、学校を卒業したあとも、同世代に影響をおよぼしつづけることができ、いずれは団結して古い世代を追い落とし、社会を変革することができる、と語るのであるが、現実には、そんな改革者は現れないか、まだ現れていない。しかし、ここで引用したように、学校が存在するかぎり、学校生活で受けた影響は定着し続けるのである。それが、朝起きて仕事に行き、夜には帰ってくるシステムであり、土日祝日を休むスケジュールである。
 実際には、このスケジュールに従う必要などない。ぼくもかつて、土日がかき入れ時という仕事に就いていたことがある。人は、あるいはぼくたちのようなはたらくどうぶつを含めた知性生物は、かならずしも週休二日で生きなければならないというわけではないのだ。
 だが、「そうでなければならない」「そうすることがどうやらよいことらしい」と考えて、あるいはそんなことも考えずに、「そうでないのは変(とか、かわいそう、とか)」と考えるのは、それこそ学校生活で受けた影響の定着なのである。
 ということは、学校が、かつてのような姿で存在しなくなれば、その影響も消えてなくなることになる。だから、去年の緊急事態宣言発出を受けて、学校が一斉休校した際の、精神的ダメージが大きかったのだ。となれば、二度と、学校を止めることはできなくなる。たとえ、感染拡大が続いたとしても、すくなくとも、四月までは学校を止めることはないだろう。なぜならば、学校というサイクルをつなぐための、いわば受胎と死に相当する時期が、これから来る入試と卒業のタイミングであるからだ。ここを経過せずには、日本という社会が成り立たなくなるのである。

 ○夜、録画しておいたNHKのドラマ『岸部露伴は動かない』第一話を見る。

 原作である「富豪村」はコミックで読んだが、荒木飛呂彦氏らしい「ロジックによるサスペンス」をそのままに、このシリーズの元となる『ジョジョの奇妙な冒険』第四部が持つ、スティーヴン・キング的なモダンホラー味をさらに増して、素晴らしい短編となっていた。ドラマ版は、小林靖子氏の脚本と、渡辺一貴氏の演出が、上記のエッセンスをうまくすくいあげていた。高橋一生氏の演じる岸部露伴も、むりやり原作に寄せようとしていないのがいい。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、四九一二人(前週比+一三〇九人)。
 そのうち、東京は、一二七五人(前週比+四一九人)。
 一日に、全国で四〇〇〇人強、東京だけで一二〇〇人強の新規感染者が報告される。しかも、全国では先週と比べて一三〇〇人増、東京だけで四〇〇人増である。これを受けて、政府が緊急事態宣言を出すのはもっともだが、それが飲食店の営業時間短縮だけというのは、さすがになにか思惑があると思わざるをえない。

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一月六日(水)

 ○在宅勤務をやる気がしない。
 今朝の体温は三六・二度。

 ○昨日、鈴木銀一郎氏が亡くなった。

今朝父、鈴木銀一郎が身罷りました。享年86歳。老衰でした。 ファンの皆さんに愛され幸せな人生だったと思います。 亡くなるひと月前まで、寝たきりでしたが読書三昧の生活でした。 コロナ禍ということもあり、通夜を行わず、葬儀は1/9に文京区の本...

Posted by 鈴木 一也 on Tuesday, January 5, 2021

 鈴木銀一郎氏の高名は、カードゲームシリーズ『モンスターメーカー』を中心に、日本のテーブルゲーム界にあまねく知れ渡っていて、ぼくたちも初代『モンスターメーカー』を遊んだ小学生時代から、そのあまりにも巨大な影のうちにすごしてきたが、その影響から脱しかけたときに、氏の小説に出会ってしまった。富士見ファンタジア文庫から出ていた『ドラゴンライダー 小説モンスターメーカー』である。

 第一章は、寒村の少女が、ドラゴンとともに生きる存在「ドラゴンライダー」の存在を知り、憧れ、ドラゴンライダーを目指す話だった。

 人々はこの村で生まれ、成人し、結婚して子を育て、この村で死んでいく。何十年か前に一人の少女が村を出て行ったといわれているが、それ以外にだれも村を出ようとはしない。外の世界がどんなものだから知らないから、その気も起きないのだろう。
 アイラも、もちろん外の世界を知らなかった。でも、アイラは村の中だけの一生には、何か物足りないものを感じていた。幼い時に見たドラゴンのイメージが、アイラに外の世界に通じる窓を開かせたのだった。
 友達がいなくても、アイラは淋しくはなかった。ドラゴンのことを思うと、いつでも心が温かくなった。
(あたしには、ドラゴンがいるんだわ)
 いつの間にか、アイラはドラゴンを唯一の仲間のように考えていた。ドラゴンのことを思い出せば、いじわるでも、ねたみでも、みんな許してやる気になるのだった。
(だって、この人たちにはドラゴンがいないんだもん)

――鈴木銀一郎『ドラゴンライダー(上)』より。

 このようなこころを抱くのは、なにも「竜の生きている世界」の人間だけではない。誰もが、「自分の知る世界」の外からくるなにかに憧れ、「ここではないどこか」を目指そうとする。だが、その旅は、「自分の知る世界」を捨て去ることである。

 家に戻ろうとすると、戸口に母親のマイラが立っているのが見れた。
「お母さん、ごめんなさい。あたし、行かなけりゃならないんです」
「とうとうドラゴンライダーになるのね」
「えっ。何で知っているの」
「子どもの考えていることをぐらい、親が知らなくてどうするの。[中略]父さんだって、分かっていたのよ。だから、あなたを早く結婚させようとしたの」
「ごめんなさい。何も知らないで」
 アイラは母親に抱きつき、その胸で泣いた。
「いいのよ。母さんだって、子どもの頃、ドラゴンライダーになりたかったわ。でも、あなたほど心が強くなかったから、実行できなかったの。あたしたちのことは気にしないで、あなたの夢を果たしてちょうだい。さあ、いつまでも泣いていないで、お父さんや弟たちにお別れの挨拶をしていらっしゃい」
 父親のゲオルグは、さっきと同じ場所に、同じ姿勢で座っていた。
「お父さん、ごめんなさい」
と、アイラはいった。また、涙が溢れてきた。
「あたし、ドラゴンライダーになるんです。今、お母さんと話して、あたし、お父さんの気持ちも分からずに、自分のことだけを考えていたことがわかったの。本当にごめんなさい。でも、どうしても行かなけりゃならないんです。どうか、許してください」

――鈴木銀一郎『ドラゴンライダー(上)』より。

 ここで描かれるのは、「竜が生きている世界」であることをのぞけば、普遍的な若者の姿である。そして、これは、主にコンピューター上で再現される(ロールプレイング)ゲームが、ゲームプレイのために切り捨てた具体性の語り直しである。この手触りが、当時のぼくにとっては、衝撃的だった。自分が、ゲームを含む、物語のなかの世界に生きる存在を、生きた個人と捉える視点を、失っていたことに気づかされてしまったのである。
 当時の富士見ファンタジア文庫は、神坂一「スレイヤーズ」シリーズによって、(コンピューター)RPGライクな結構と、ライトな文体をあわせた(エピック)ファンタジーが流行していた。そのなかで、「小説モンスターメーカー」シリーズは、いわば「スレイヤーズ」シリーズとは逆むきのアプローチをとっていた。これは、続く第二章では、魔法使いが魔法を学ぶ過程が、これもしごく現実的な展開で語られ、上巻の後半では、ゲームのなかでただの変数としてあつわれがちな「オーク」の生活や文化を、ヴァイキングをモデルに語ることからもあきらかである。

 ゲームにおいては、モンスターが記号としてしか登場しないのは理解できる。しかし、現実の世界では、ヒューマンタイプのモンスターなら、恋もするだろうし、悩みもするだろう、というのが私の考えである。
 したがって、オークとヒューマンの関係も、絶えず戦っているのではなく、平和な期間もあるのだという設定にした。

――鈴木銀一郎『ドラゴンライダー(下)』より。
太字強調は引用者)

『ドラゴンライダー』全巻が終わったあとのあとがきで、鈴木銀一郎氏は上記のように語る。こういう言葉が出てくるあたりに、氏が、ただゲームを作って遊んできただけでなく、そこに生きるということを読んでいた人であり、つまり「ちゃんと生きていた」人であるということが示されているのである。

 ○夜。NHKドラマ『岸部露伴は動かない』の二話を見る。

 ダンサーでもある、森山未來氏の演技は、具体的な動きをともなって、非常に「荒木飛呂彦的」である。この場合の「的」とは「~っぽい」ということで、「どちらかというと違うものなのに、同じもののように錯覚してしまう」ことを指す。 

 ○本日の、全国の新規感染者数は、五九九九人(前週比+二一四七人)。
 そのうち、東京は、一五九一人(前週比+六四七人)。
 全国で一日に六〇〇〇人という新規感染者が出る、ということが恐ろしくてたまらない。だが、これでもなお、明日、発出が予定されている、緊急事態宣言には、飲食店の営業自粛要請と、それにからむ協力金の準備があり、従わない場合の店名公表がある、という以上の内容が検討されていないように思われるのは、どうしたものか。


一月七日(木)

 ○今朝の体温は三六・一度。

 ○昼前に、巣穴を出て、近所のスーパーで七草がゆの素材を買ってきた。仕事の手を止め、さっとかゆを炊いた。

 ○明日に提出すべき書類を作成しているあいだ、テレビのニュースをつけていたら、アメリカで、大統領選挙の結果を確定させる連邦議会が実施されている議事堂に、ドナルド・トランプ現大統領を支持する一派が侵入したという報道が飛び込んでくる。

 本邦では、新型コロナウィルスの感染拡大に歯止めがかからず、ついに緊急事態宣言が(一都三県に限定されるとはいえ)発出されるときに、かの地では、大統領選挙に際して候補者を指示する人々が、選挙の場に侵入した。

 ○世界は混乱している。誰もが、どうしていいかわからず、さりとてなにもしないではいられず、闇雲にふるまっているようである

 ○夜、岬へ出かけて、イナバさんとカレーを食べる。

 昼間だけ、バーの店舗に間借りして営業していたカレー屋が、曜日を定めて営業するようになったということである。以前、ふらっとたち寄ったことで、気に入ったイナバさんが、ぼくたちに勧めてきたものである。
 明るい店内は、開放感があり、きっちりと感染症対策をこうじてあるものの、こざっぱりしている。チキンとポークの相がけカレーがお勧めということで、ぼくも相棒の下品ラビットも、それを注文する。ついでに、おつまみ三点盛りがお手頃価格だったので、うずらのたまごのスパイス漬け、チーズの八丁味噌漬け、鯖のキーマカレーペーストを注文する。

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 このおつまみセットが、実にすばらしかった。うずらのたまごのスパイス漬けは、どうやら燻製らしいうずらのたまごを、スパイスとともに油に漬けてあり、ほどよいからさがやみつきになる。チーズの八丁味噌漬けも、味のしみ具合がちょうどいい。そして、鯖のキーマカレーペーストだが、最初は味が濃いなと思っていたが、ビールのあい間に舌にのせると、これがすばらしいバランスである。
 三匹で、舌鼓の合奏をしていると、くだんのカレーがやってきた。皿の半分がポークカレー、もう半分がチキンカレーで、ライスのうえにあぶったベーコン、そばには煮込んで肉がほろほろになった骨付きチキンと、煮卵がそえられている。

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 イナバさんは「肉はポーク、ルーはチキンがうまい」と言っていたが、それも道理で、甲乙つけがたいうまさである。しかも、先ほどの、鯖のキーマカレーペーストが、ライスによくあう。これだけで商品化してもいいくらいだ。相がけならぬ、三つ巴のうまさである。
 店を出ると、外は寒風吹きすさぶ街であるが、スパイスカレーであたたまった体には、どこふく風である。

 ○日本各地で、史上最多の新規感染者が報告され、結果、全国で七千五百七十一人(前週比+三〇五一人)、東京だけで二四四七人(前週比+一一一〇人)を数えた今日、ついに東京、神奈川、千葉、埼玉の一都三県に、緊急事態宣言が発出された

 だが、結局は、飲食店に的をしぼった、しかも午後八時までで営業を切り上げる要請を出すていどの対策でしかないのであれば、感染拡大など止まろうはずがない。個人的に懸念している、小中高校の一斉休校も、求められることはなく、来週から本格的に始まるであろう、入学試験も、感染防止策や追試による受験機会の確保を視野に入れて、通常どおり実施するもようだ。
 しかも、緊急事態宣言の期間は一ヶ月という。
 個人的に、一ヶ月で緊急事態宣言を打ち切ることができれば、それに越したことはない。ぼくだって、なに事もないほうがいいと思っている。だが、現状をかんがみるに、たかだか一ヶ月で、緊急事態宣言を打ち切ることができるほどに、状況が変化するなどと、甘い見とおしを持つことはできかねる
 それどころか、早ければ今月末にも、緊急事態宣言は対象地域を全国に拡大し、二月中には外出自粛を要請することになるのではないか、と思えてならない。


一月八日(金)

 ○今朝の体温は三六・一度。

 ○どうにかこうにか、来週の会議に使う書類を提出した。これにて、在宅勤務は終了した。

 ○書類を作りながら、テレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』を見る。

 原作マンガは、全九巻でひとまず完結したのちに、正当続編として十巻、十一巻が刊行されたが、今回の新春スペシャルは、その続編を原作としてる。ただ、原作そのままというわけではなく、男性主人公が会社の同僚に惚れられるエピソードや、原作では裏の(そして真の)主人公であった、女主人公の伯母のエピソードが一部削られている。
 そして、一番おおきな変更点は、原作のあとの世界を、新型コロナウィルスの感染流行が拡大した現実を反映して描いたところにある。これによって、原作の補完がなされ、原作のテーマである「人間が本質的に孤独であり、他者とは永遠に理解しあえないが、その孤独ゆえに、他者とともに生きねばならない」ということが、つよく印象づけられるようになっている。

 ○夜、NHKドラマ『岸部露伴は動かない』の三話を見る。

 シリーズ最終話ということで、第一話から引っ張ってきた流れが回収された。そのこともあってか、第一話の超能力コン・ゲーム風、第二話のモダンホラー風を、ひとつのシリーズとしてまとめるのに、幻想味あるエピソードを採択している。主人公・岸部露伴の超能力〈ヘブンズ・ドアー〉の描写が、二話までの具体的なものと異なり、寓話性の高いビジュアルになっているのが、その証拠であろう。

 ○本日の、全国の新規感染者数は、七八八二人(前週比+四六三七人)。
 そのうち、東京は、二三九七人(前週比+一六一四人)。
 前週と比べて、双方ともに倍以上の数値が増加している。ということは、これは指数関数的な増加ということになる。この増加の理由は、はたして飲食店での会食のみなのだろうか。人々がマスクを外す場面がけが、感染拡大の理由と限定していいのだろうか。
 そして、こんな災禍のなかでも、東京オリンピックの開催をもくろんでいるというのは、神経を疑うことである。まさか、開催を伊賀に、中止を甲賀に、それぞれ仮託して、忍法比べを行わせたとでもいうのだろうか。それほどに、理不尽な事態が続いているように思われる。
 もし、オリンピック競技会に、鍋島武士がいれば、陰腹を切っても上層部に進言し、誉れ高い死を遂げるであろうかと思う。

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→「#91 未定」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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