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うさぎたち、アフィリエイトやるってよ

よう、おれだぜ。
下品ラビットだ。
ひさしぶりだな、元気でやってるかい。
へえ、そうかい。

おれか? 相変わらず好き勝手にやってるぜ。
最近じゃあんまり出番がなかったが、なんてったって、おれの口癖というか、わかれの挨拶は、いつものあれだからな。そこんとこよくわかってる、おれのファンなら、心配いらないと思っていたんじゃないか。


下品ラビット」は、ヤラカシタ・エンターテインメントの編集担当です。
 うさぎ小天狗の相棒で、かれの別人格でもあります。


今日、おれが出てきた理由は、タイトルを見ているからだいたい察しがついてるだろう。
そうさ、おれたちはアフィリエイトというのを始めてみた。その連絡だ。

アフィリエイトがなんだかは、いちいち説明しなくていいだろう。あんたらはそんなに馬鹿じゃないはずだ。

え? ああ、そうだよ。
おれたちがこうして記事を書いている「note」には、サポート機能がついている。
記事が気に入ったら投げ銭をしてくれってやつだよな、知ってるぜ。

ときに、あんたはサポートしてくれたことがあるかい。
ふうん。
もともと、おれたち「ヤラカシタ・エンターテインメント」は営利目的の団体じゃあない。こっちから強いていただこうとは思わないし、一回サポートしてくれたら、二度、三度としておくれと、すがりつくような真似もしないさ。
もちろん、いただけるものは、ありがたくちょうだいするけどな。
あんたがたは、好きにおれたちの記事を読んで、好きにサポートしたりしなかったりしてくれていい。

で、話を戻すと、noteにはそうした機能があるが、それいがいにも、アフィリエイトの方途はたくさんあって、その中のひとつ、「Amazonアソシエイト・プログラム」を、おれたちもはじめてみたのさ。


ここんとこ小天狗が書いてるあの日記、あれにAmazonのリンクが張ってあるだろ。
今日、半日をかけて、おれはあれを全部、おれたちのアフィリエイトリンクに切り替えた。

基本的なやり方は、ここを参照させてもらった。

また、ここも読んだぜ。

というわけで、今後は、あんたがたがあのリンクをクリックして、商品を閲覧したり、購入してくれたりなんかしたら、おれたちに紹介料が音をたてて振り込まれるようになるってわけだ。
銃を向けられるたびに五セントずつもらってたら、おれたちはいまごろおお金持ちになっていただろうが、Amazonアフィリエイトではそういうわけにはいかなそうだ。だが、それでも、おれたちの承認欲求と、好きな本を好きなときに買う余裕が生まれるだろうから、やったほうがいいと考えたのさ。


という報告だけで終わると、それはなんだかさもしい気がする。
だから、ここからは、小天狗があの日記に書いていた、Amazonリンクの中から、特にオススメのやつを列挙することにするぜ。

おれたちインテリで読書家のうさぎが、しっかりかじった歯形付き、じゃなくてお墨付きのものばかり。どれも見て、読んで損のないものばかりだ。気が向いたらポチッとしてみてくれ。

では、さっそくいくぜ。


■なにはともあれこれを読め

この三冊は、そもそも小天狗があの日記を書きはじめるきっかけになったものたちだ。この災禍、全世界的規模の事態と、そのさなかに生きていかざるをえないおれたちの日常を、約八十年前の太平洋戦争時の生活になぞらえたかったんだとさ。
そういう点で、これはいまを生きる、日本語が読めるもの全員に読んで欲しい本である。三つ並んでいるうち、一冊目と二冊目は同じ内容だ。三冊目はマンガで、まだ完結していないが、この一冊を読むだけでもあんたのものの見方は変わると思う。
ちなみに、おれたちが読んでいたのは、講談社文庫の旧版だ。

字の大きさがちょうどいいんだよ。


■超オススメの本たちさ

あの日記で、小天狗は「染ら不」「染れ不」とか書いている。おれはやつと同一人物だからわかるんだが、やつが染まりたくないと思っているのは、この本が取り上げている「世間」ってやつだ。
これは、おれも、本当にすごい一冊だと思う。この災禍は、どんな非常事態もがそうであるように、人間と人間の社会の、ふだんは根っこのほうに潜んでいて見えない、本質的な部分を呼び起こした。それがこの本でいう「世間」だ。「日本人」たちが、この災禍にあって、他人を押しのけて自分だけ安全圏にいようとし、自分の気に入るものたちと団結して、自分の気に入らないものは排除して、自分中心の安心と安全を確保しようとあさましく立ち回るのは、ぜんぶこの「世間」のためさ。それを、二十五年も前に指摘していたんだから、阿部謹也先生、たいしたもんだぜ。
あんたも、これ、読んどくといいぜ。これを読めば、マスク買い占めの理由も、緊急事態宣言下の「日本モデル」の正体も、社畜のメンタリティも、ぜんぶするっと理解することができる。
そのあと、あんたがどう生きるかはあんたの自由だ。だが、「世間」と距離を置くのも、「世間」を変えようとしてみるのも、「世間」に同化して生きるのも、一度「世間」を外から見直してみる、それからでもいいと思うぜ。


夏目漱石の名著で、冒頭の一節はあまりにも有名だ。

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

ここでいう「人の世」がなんなのかは、もうあんたにはわかるはずだ。でなければ、『「世間」とは何か』のあとに、これを持ってくることはないのさ。
だが、こいつが素敵なのは、有名な一節のそのあとだ。どんな内容かはあんた自身でたしかみてみろ。なんだったら青空文庫でも読めるが、こういうものこそ電子でも物理でもいいから、一冊くらい手元に置いてくといい。


そういう点では、これも青空文庫でも読めるんだが、自分の手でめくるなり、Kindleアプリに入れるなりして、「自分のもの」にして読むといい。そうすることで、おれたちは対象への関心を深めるからな。
おれたちは欲深だ。自分のものでないものに、よっぽどのことがないと興味を持たない。じぶん事として認識しなきゃあ、まともに知ろうとしないのさ。
だから、本は手に入れちまうのが手っ取り早いし、ものは買っちまうのがいちばんだ。そうすれば自分のものになって、おれたちはちゃんとそれに向き合うことになる。「無料で見られるもの」と、おれたちがまともに向き合うことはほとんどないのさ。
ん? ああ、内容か。読めばわかるよ。おれはここに書かれている意味での「むごたらしさ」を前提にしない物語は、どこまでいっても甘ちゃんだと思っている。


だが、わかるぜ、「むごたらしさ」だけじゃ息が詰まる。それに、なにも「他人」のすべてが敵ってわけでもない。
人は一人じゃ生きられない。生きていくためには、誰かと手を取り、支え合い、たとえ物理的にそばにいなくても、どこかで誰かがきっと待っていてくれると、そう思える必要がある。
そういう相手と、しかし、なかなかうまく付き合えない、うまく自分をさらけだせない、あるいはそんなていたらくになりはしないかと不安になるとき、この本があんたの心の慰めになるはずだ。
著者の三宅隆太氏は、やさしく、丁寧に、ゆったりと話をしてくれる。文章から、そういう語り口が見えてくる。この本が、トークショーを採録したものだからそう思うんじゃないことは、別の著作を読めばわかることだ。
おれたちも、読み終わって、これは手元においておくべき一冊だと思ったよ。くじけそうなとき、くじけてしまっているとき、不安でどうしようもないとき、手を伸ばせるところに置いておきたい。そんな本だからおすすめするぜ。


■たまにはこういう本も読むといい

これはさっき書いた、坂口安吾「文学のふるさと」的な「むごたらしさ」を見せつけてくるマンガだ。だから、あんたがたは読まなければならない。
おれたちはインテリの読書家だから知っているが、平安時代の歌物語(クライマックスでテーマソングが流れる感じのエンタメだ)である『伊勢物語』に、こんな歌がある。

つひにゆく道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを

ここでいう「つひ」は「つい」、つまり「終」と「遂」の掛詞だ。わかるな、これは「死出の旅路」のことさ。誰もがいつか死ぬ。うれしくてもかなしくても、満足してても心残りでも、誰もがいつか死ぬ。これほどの「むごたらしさ」はないじゃないか。
そして、これほどの救いもな。
『夕暮れへ』はそういうマンガが収められている。夕暮れ、それは「つひにゆく」時を間近に控えた、誰もが迎える時間だろう。


古典のひとつも読んでおかないと、人はどんどん馬鹿になり、他人への共感をなくすことになる。
なぜか?
それは、古典を読むことで、過去の人々がじぶんたちとそう変わらない、愚かで、どうしようもなくて、それゆえに愛すべき人だと、わかるからさ。
それがわかれば、いま同じ時代で、同じ世界で生きている人々も、自分と同じくどうしようもない愛すべき愚かものだと思うことができて、相手を赦すことができるのさ。
人間は変わらない。いつの時代も愚かなんだ。だけど、いつの時代も愚かであるってことは、いつの時代も優しく、温かく、美しいってことでもある。
だが、これは、過去の人間の記録を、そのなまなましい姿を知らなければわかりようがない。だから、古典を知らない人間は、自分いがいの人間はみんな愚かで、しかし自分だけはそうじゃないと決めつけて、平気で人をあなどり、傷つけ、自分だけが不当に扱われているなんてことを思い込んでしまうのさ。
だから、悪いことはいわない、古典を読みな。
そんときには、できるだけ、わかりやすくて、活きのいい言葉で書かれているものを選ぶべきだ。おれがおすすめする上記の二冊は、そういう言葉で書かれている。


■エンタメはいつ読んでもいいものさ

日本語が読める人間で、山田風太郎を読んだことがないものは、いますぐ読むべきだ。
まずは読んでくれ。話はそれからさ。絶対損はさせない。


これは結構な掘り出し物だ。
まず物語を起動させるアイディアが素晴らしいし、そこからの流れの根底に、「生きる」ってことへの真摯なまなざしがあって、読んでいて不快感がない。一冊でまとまっているととらえることもできるし、続きの展開を想像もできる、ちょうどいい分量もすばらしい。


■マンガもいいぜ

百人の凶漢集団「百足」に立ちむかう、一人の男の、一夜の戦いを描いた全三巻だから、まとめ買いして一気に読めよ。


人の心が痩せていき、生きることに後ろ向きになり、生きながら死んでいく過程をしんしんと描く前半のおそろしさから一転、そうした「闇」に立ちむかう後半の、文字どおりの肉弾アクションがすばらしい。
生きるってことは動き続けるってことなんだよな。


これは泣くぜ。できるなら「スーパーマンとはなにか」を知っている方がいいが、知らなくても楽しめるかもしれないな。
いまなら中古が安い。


■時間があれば映画を見よう

おかしな映画だが、ただのおかしな映画じゃない。すごくおかしな映画だ。


「日本」て面倒くせえなあ、という感慨が、だからこそ救われたのだ、となって、なんともいえない感慨だけが残る。伝奇としてもすばらしいよな。


映画を見るってことは、基本的には目が見えるってことだが、これはそういう「目が見える」人間に、「目が見えない」人間の感覚世界を「見せて」くれる。
こういう「誰かの視点になれる」ってのが、映画のいいところだよな。自分以外になることで、自分じしんでしかない憂さを一時忘れられるし、自分に戻ってきたときに、他人に対して優しくなれる。


日本で見られる映画ではなかなか珍しい、オランダの動物パニックホラーだ。
都市部で人を襲う、神出鬼没のライオン、という身近な恐怖を描く前半も素晴らしいし、人間ガンタンクが野獣に挑む後半もすばらしい。キャタピラで動き回って銃をぶっ放す、まじでガンタンクだ。
クライマックスの切れ味もよい。見て損はないぜ。


■わかれの挨拶

以上だ。
みんな、興味を持ったのがあったらクリックしてみてくれよ。
もちろん、サポートしてくれたっていいんだぜ。

小天狗の日記も引き続き読んでくれると、同一人物のおれとしてもありがたい。

そういや、最近、おれが昔書いた映画感想文を、みんなが読んでくれているみたいだな。

毎週百人近く読んでいてくれるようで、うれしいぜ。
ありがとうな。


それじゃあ、またな。
かならず、またお目にかかろう。


(下品ラビット)



イラスト
ダ鳥獣戯画(https://chojugiga.com/






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