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コロナ渦不染日記 #23

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六月十五日(月)

 ○サルのような先輩に同行してもらい、仕事をする。「サルのような」といったのは、陽気でおしゃべり好きだからでもあるが、知識が豊富で、打てば響くといった人物だからである。知りたいことを聞けば答えてくれるのはおおいに助けになる。実りおおき日となった。

 ○夜、さいとう・たかを『影狩り』を読む。


 ○本日の、東京の新規感染者数は、四十八人。
 これは緊急事態宣言解除後、「東京アラート」停止後、最大の観測数であるが、東京都知事は、「いわゆる『夜の街』の関係者にPCR検査を促した結果、無症状の感染者が多く見つかったため」であるとし、すぐに感染拡大につながるものではないと指摘した、という。
 しかし、ということは、PCR検査を受けずにいる無症状の感染者が、いまだ潜伏しているということでもあるし、二度目、三度目の感染の可能性もあるということである。これが「新たな日常」であるというのなら、それは欺瞞と詭弁に満ちた、「相変わらずの日常」ではないか。

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六月十六日(火)

 ○キツネのような先輩に同行する。「キツネのような」といったのは、理知的でそつがないからであるが、健脚であり、現場を端から端まで経巡る姿が、イヌ科の疾走を思わせるからである。ぼくもうさぎなので足には自信があるが、ストロークの長さが違うので、ついていくのがやっとであった。また。
 また、非常に教え上手であり、指摘も的確である。「ヘビ先輩は、私心なく、相手のために行動しているので、迷いがない」というのは、わが身の不明を恥じることであった。

 ○帰宅し、三宅隆太『スクリプトドクターのプレゼンテーション術』を読み返す。

 ここに述べられている、プレゼンテーションの要点こそ、「私心をなくす」こと、「他者と向きあうときに邪魔になる自意識をおさえ、みずから外に対してこころを開く」ことであった。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、二十七人。

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六月十七日(水)

 ○パンダのような先輩に同行してもらい、仕事をする。「パンダのような」といったのは、クマ先輩に似ているが、安定感と包容力が群を抜いて、そこにいてくれるだけで安心できるからである。

 ○昼食時、現場近くで、ずっと気になっていた中華料理屋に行く。
 照明を落とした正午の店内は、二人がけのテーブルみっつに、十人ほどがかけられる丸テーブル席がひとつ。奥に座敷もあるようだが確認できず、全体にこぢんまりしている。従業員は中年のおじさんひとりで、どうやらこの時間は彼だけで回している様子。
 気さくな雰囲気で差しだしてくれたメニューには、ボリュームのわりにリーズナブルな値段で、定食とラーメンのセットが列挙されている。「台湾ラーメンと半チャーハン」のセットを頼むと、十分ほどして出てきたが、やはりかなりのボリュームである。もちもちの中太麺に、ひき肉とニラともやしをラー油でピリ辛に炒めたものがのった台湾ラーメンと、刻んだザーサイとハムの入った半チャーハンの相性は抜群であった。
 会計時、渡した金額に比して、かえってきたおつりは多めであったように思う。次回もまた寄ろう。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、十六人。減少傾向に見えなくもないが、これが「検査されて見つかった人数」であるとするなら、そもそもこの数値は、なんら指標的な根拠とならないということであろう。

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六月十八日(木)

 ○仕事を終えると、雨が降りだしていた。そそくさと帰宅する。

 ○友人に、ヘンリイ・スレッサー『うまい犯罪、しゃれた殺人』を紹介したので、帰宅してぱらぱらと読み返す。

 ヘンリイ・スレッサーはアメリカの小説家で、表紙にも書いてあるとおり、アルフレッド・ヒッチコックに気に入られ、『ヒッチコック・マガジン』に多く寄稿した、短編の名手である。平易なことばづかいとひねった展開で、犯罪にかかわってしまう人間の心をあざやかに描きだして、いつ読んでも古びない作家である。そんな作家の膨大な作品の中から、『ヒッチコック劇場』に原作として選ばれた作品を集めたこの作品集は、ベスト・オブ・ベストといっていい。別の作品集も読んだことがあるが、よっぽど興味をひかれたのでなければ、これ一冊で充分であろう。中でも、「親切なウェイトレス」の、純朴で親切な人間がふとしたことから道をふみ外していく展開は、他人事とみれば喜劇、自分事とみれば悲劇という、コメディの王道を行くもので、いつ読んでもおかしくてかなしい。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、四十一人。
 そろそろ、誰もこの人数に一喜一憂しなくなっているようすである。このことは、山田風太郎『戦中派不戦日記』に語られる、次のような光景を思わせる。

 黙って、ぐったりとみな天井を見ている。疲れ切った顔である。それで、べつに恐怖とか厭戦とかの表情でもない。戦う、戦う、戦いぬくということは、この国に生まれた人間の宿命のごとくである。前には一人くらい、きっとお尻に竜など彫った中年のおやじさんがいて、いい気持ちそうに虎造崩しなどをうなったものであるが、今はどこにもそんな声は聞こえない。壁の向うの女湯では、前にはべちゃくちゃと笑う声、叫ぶ声、子供の泣く声など、その騒々しいこと六月の田園の夜の蛙のごとくであったものだが、今はひっそりと死のごとくである。

——山田風太郎『戦中派不戦日記』より
太字強調は引用者)

 電車のなか、マスクをし、誰ともしゃべらず、手にしたスマートフォンの画面にうつむいている人々の姿は、(かつてマスコミや政治家が声高に言いつのったような)「この災禍と戦う」といった勇ましいものではなく、ただじっと事態の終わるのを待っている、どこかへゆくまでやりすごそうとしているようである。もし、これこそが、山田風太郎のいうように、「日本人の宿命」である「戦う、戦う、戦いぬく」姿なのであるとすれば、その相手は、この災禍ではなかろう。彼らが、ぼくが、戦うことを余儀なくされているのは、もっとおおきなものであり、しかして世界中に蔓延するものではなく、この日本に根ざしたものであるように思われる。

 ○ぼくにとって、「それ」と戦うことは、「それ」に染まらぬことである。染まってしまえば楽になる、そのように思わないでもない。しかし、たとえ「それ」に染まったとしても、こんどはそれを維持するための、新たな戦いが始まるのみではあるまいか。


六月十九日(金)

 ○朝から雨。梅雨時らしい天気となった。

 ○仕事を終え、帰宅する途中、イナバさんから呼び出しを受けて、神田神保町へむかう。早めについてしまったので、古本屋「@ワンダー」をひやかし、水見稜『食卓に愛を』と大泉黒石『黄夫人の手』を入手。


 ○落ちあってから、小川町のスープカレー屋「鴻[オオドリー]」へむかう。

 緊急宣言発出以来、ひさびさに食べるスープカレーはうまい。

 ○帰宅し、報告書をやっつける。

 ○本日の、東京の新規感染者数は、三十五人。
 本日をもって、政府は、ライブハウスやナイトクラブの営業の自粛と、都道府県境をまたぐ移動の自粛を、全面的に解禁した。ニュースなどでは、感染拡大の第二波到来に備え、有識者会議を開いているというが、それは自粛の解禁前に、もっといえば緊急事態宣言が発出されているあいだに、終えておくべきことだったのではないか、と思えてならない。
 誰も彼も、すべて後手後手でしかない。これもまた、「コロナ」であろうか。それとも、もっとそれ以前からこの国に存在する精神性のゆえんであろうか。

 ○定額給付金の申請は、まだ、していない。



→「#24 酒と肴と、特別定額給付金」



引用・参考文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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