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スリー・ニンジャズ・アンド・ベビー #5

オーファンズ・クライ・イン・マーシレス・ワールド

 ……前夜。
「恐いか」アンバサダーは問うた。
「うッせェ」イグナイトが応える。
 いつもの減らず口。しかし視線を合わせぬ。炎のような赤い瞳を縁る長いまつげが震える。
 そこにアンバサダーは怯えを見た。
「では……いくぞ」
「おう……」
 二人の距離が縮まった。イグナイトが目を閉じた。
「ダア!」
 アンバサダーの腕の中、彼の装束の飾りをいじっていた赤子が、それ離してイグナイトを見た。
「ダア! ダア!」
 小さな手を、邪悪ドラゴンの鼻息めいて赤いイグナイトの前髪に伸ばす。
「どこだ」
「ここだ。手を伸ばせ」
 おずおずと差し伸べられる手に、腕の中の温もりを託す。
「ダア!」
 赤子はイグナイトの両腕に尻を預けるや、その胸にすがりつき、肩に手をかけた。
「やッ、やッぱやめ!」
「そうは行かぬ。落とすぞ」
「チッ……」
 イグナイトは目を開け、赤子を見た。
 二者の目があった。
「ダア!」
 赤子が手をのばす! その小さな指がイグナイトの顔に迫る!
「ウオッ!」
 身を引くイグナイトの体がバランスを崩す! アブナイ!
 アンバサダーは咄嗟に腕を伸ばし、イグナイトを抱き寄せた。
 二人の体に挟まれ、赤子が安定する。
「ダア!」
 赤子は片手でイグナイトの鼻を押しのけ、もう片方の手を前髪に伸ばす。
「イテッ!」
「離すなよ!」
 釘を刺し、アンバサダーは身を離した。
「ダア!」
「イテテッ! テメッ!」
「そのまま、そのまま支えていろ。今ミルクを用意する」
「おう……オイ」
「なんだ」
「ど、どうすりゃいい」
「どうとは?」
「ほらよ、揺すったりとか、そういうの」
「こうだ」
 アンバサダーは身振りで赤子の抱き方を示す。慣れた手つき。
「こうか……テメッ、手を離せ!」
「ダア!」
 どうにか赤子を両手にかかえたものの、赤子の手に前髪を引っ張られ、前かがみになるイグナイト。
「少しだ、ほんの少しだから」
「遅れたら覚えてろよ!」
 前かがみの姿勢からねめつけるイグナイトに背を向け、アンバサダーはドージョーを出た。口元がほころんでいた。

 ……
「いくぞ、アンバサダー=サン」
 呼びかけられ、アンバサダーは目を開いた。
 隣に立つキモノ姿の美女……彼の部下・フェイタルが艶然と微笑む。
 緊張を解すべく深呼吸したというのに、また胸が高鳴る。……やはり、慣れない外出と、ニンジャであることを隠さねばならぬ意識がざわつかせるのか。
 フェイタルは奥ゆかしい歩調で進む。行く手には峨々たる尖塔を有した重厚なゴシック様式のテンプル。ステンドグラスにはブッダと、その足元に頭を垂れる子どもたちが描かれている。
『マンナカ・テンプル』、ネオサイタマ北部に位置する、江戸時代から存在する由緒正しいテンプルである。
 そして、同時にここはテンプルのボンズたちが経営する孤児院でもある。ネオサイタマの、いや日本中のテンプルがこのような多角経営を行っている。その中でも『マンナカ・テンプル孤児院』はつとに有名だ。資金潤沢、各種のサイバー設備を備え、養子縁組実績も実際多数。
 アンバサダーは震える両足をそつなく動かし、フェイタルの後に続く。そうしながら、彼はフェイタルの背中越しに、彼女の胸に抱かれ眠る赤子のぬくもりを想起する。あのかしましいぬくもりともオサラバだ。……しかし、そのことが胸に痛みをもたらすのは、なぜか。

『……すまんな』前夜、兄・ディプロマットはテレパスでそう言った。『俺がお前のそばに居てやれないばかりに』
((いいんだよ、仕方ないことだ))
 そう答えつつ、しかしアンバサダーはそれが己の本心でないことが理解されていることを知る。彼らは、互いの心を己のものとすることができるのだ。
『俺達にはなすべきことがある。師父の温情に報い、その上で、俺達の仇敵を探さねばならぬのだ』
((そうだね))
『そのために、俺達は離れなければならない……とはいえ、そのためにお前を独りにするのは』
((仕方ないことさ。それに僕は独りじゃない))
『お前がそれを理解していれば充分だ……』
 兄のテレパスがさざなみのようにアンバサダーを包み、胸の痛みを優しく癒やそうとする。
 しかし、兄がそうすればするほど……彼は心の奥底を厳重にシールドする。
 ……彼は、兄が孤独な夜をどう過ごしているかがわかっている。その無言のぬくもりを、アンバサダーは持たない。
 彼が身を置くネオサイタマは実際戦場。双子が所属する暗黒ニンジャ組織ザイバツ・シャドーギルドの敵、ソウカイ・シンジケートは滅びた。だがソウカイヤの首魁ラオモト・カンの遺児ラオモト・チバを擁立し、アマクダリ・セクトと名乗る集団が現れた。さらに……彼らニンジャを無差別に殺す狂気の殺戮者も跋扈する。実際気を抜けないバトルフィールドにぬくもりを求めることはできない……後方に控える兄のようには。
 かといって、二人の部下のように、自由にうろつき趣味を持つことも出来ない……特にあの無軌道なイグナイトのようには。そのうらみが、彼女を赤子にしばりつけていることも、アンバサダーは自覚している。
 モータルに魔と恐れられるニンジャがなにを……そう考えると同時に、彼は己がまだ二十歳になるかならずやであることも自覚する。まして幼くして両親を失い、兄と二人、万魔殿のごときザイバツ・シャドーギルドのタテワリ社会を生き抜くために、青春の多くを犠牲にしてきたことも忘れてはいない。
 彼はなにも……そう、なにも知らないのだ。この世のぬくもりも悦びも、なにもかも。
 他のニンジャのように、自らの欲望を叶えるために行動する自由は彼らにはない。超自然のポータルを開通せしめる二人のジツは、実際使いようによってはムーホンにもつながる。組織は彼らを道具めいて厳重に管理。
 だから……

「「「「ドーモ!」」」」
 彼に向けて一斉にアイサツを寄越す、子どもたちの顔に刻まれた表情がわからない。
「ドーモ……」
 奥ゆかしくアイサツを返すのも、心からのそれではない。ただの反射だ。
「ようこそお越しくださいました。私はジジューチョ、高貴にして温情あふれるタダオ大僧正より、このテンプルを任されております」
 美々たる装束を着た、柔和な表情のボンズが、左右に控える子供たちの頭を撫でながら言った。
「「ドーモ」」
 部下に合わせ、アンバサダーもアイサツ。
「おお、そちらが新しくブッダの子となるお子ですか!」
 ジジューチョはそのオモチめいた白い顔をフェイタルの胸に抱かれた赤子に近づける。
「フニュ」
 赤子が目を覚まし……、「ホギャー!」
 泣き出した!
「おお」身を引くジジューチョ。
「ヨシヨシ……」如才なくあやし始めるフェイタル。
「これは申し訳ないことをしました」アンバサダーは奥ゆかしく謝罪。
「イエイエ、幼子が環境の変化に不安を覚えるのは自然なこと。しかし、いずれこの子も、彼らのようにネオサイタマの未来を担う人材となります!」
 ジジューチョは笑顔で周囲の子供を示した。
『マンナカ・テンプル』の大聖堂に集ったジジューチョと子らは、アンバサダーとフェイタル、そして赤子の見学を迎えるため集まった。事故死した不運な妹夫婦の遺児の預け先を探しているキョートから来た夫婦を……託児所の時と同様、身分偽装は万全だ。
「それでは施設をご案内しましょう……奥様と幼子はこちらでお待ちください」
 ジジューチョの宣言に、彼の背後から二人のボンズが現れ、うち一人がアンバサダーを招いた。
「行ってらっしゃい、アナタ」フェイタルが夫婦の演技を続ける。
 大聖堂の黄金ブッダ像を左手に、孤児院へ続く廊下に出たアンバサダーは……ふと立ち止まり、背後の扉を振り返った。
「いかがしましたか?」
 ボンズがうやうやしくく訊ねるのへ、
「イエ……」
 奥ゆかしく礼を返し、アンバサダーは歩き出した。

◆ ◆ ◆

 ……前夜。
「少しだ、ほんの少しだから」
「遅れたら覚えてろよ!」
 前かがみの姿勢から見上げた、アンバサダーが振り返る一瞬、その口元がほころんでいたのが、イグナイトには気に食わない。こんなものを押しつけて、うろたえるのを見て面白がっているのか。
「ふざけンなよ……」
 そうつぶやいてみたものの、その声は妙に居心地の悪い反響となってニューロンを刺激する。
 ミルクを用意する間、赤子を抱いていてもいい、と言い出したのは自分なのだ。
「ダア! ダア!」
 腕の中で暴れる赤子を見下ろす。笑顔が彼女を見上げた。小さな手が赤い髪を掴んでいる。
「いい加減離せよ!」歯をむき出して威嚇する。
「フニュ?」
 赤子が真顔になる。小さな手が髪を離した。
 イグナイトは顎を逸らした。ふわりと前髪が持ち上がった。……次の瞬間!
「ホギャー!」
 ドキリ。イグナイトの心臓が跳ね上がった。遅れて、彼女は動揺を自覚した。思わず顔を上げた。おろおろとあたりを見回した。ドージョーの掛け軸の『不如帰』の漢字が目に入った。
 アンバサダーはまだ、戻らない。
「ホギャー!」
「シット……!」
 つぶやいて……そこで思い出した。
 この世に助けなど求めないはずだったのだ。
 逃げ場など、いつだって、どこにだって、ないのだった。
 ニューロンに点火。ソウルの炎がニューロンのノイズを焼きつくした。
 クリアになった思考は、やるべきことを見定めた。
「……」
 イグナイトは無言で腕を揺すった。歯を食いしばり、リズムを刻んだ。超自然の熱気に頭髪が灯火めいて揺らいだ。
「フニュ?」
 赤子が泣き止んだ。涙まみれの目が瞬きした。鼻水まみれのてかる鼻がひくついた。
「オー……」
 イグナイトはそのモージョーを口ずさんでみた。今の彼女が頼れるのは、彼女自身の記憶……あの夜、死ぬことになる女が見せた、赤子をあやす姿、それだけだった。
「オー……ヨチ……ヨチ」
 イグナイトはモージョーを唱えながら、赤子の顔を睨んだ。
 赤子がイグナイトを見上げた。
 二人の目があった。
「ダア!」
 赤子が笑い……イグナイトは腕を揺すりながら、強く歯を食いしばった。
 そうしないと、溢れだしてしまいそうだった。

 ……
「シット! シット! ブッダシット!」
 イグナイトは口汚く罵り、足下に転がる巨体を蹴った。バイキングヘルムをかぶった重装のヨタモノ死体が転がり、冷たい肉の下に乾いた骸骨が割れるパキパキという音がする。
 生前ウォーリアと呼ばれた死体は、ボーリングめいてベビーベッド群をなぎ倒しながら壁にバウンドした。
「フーンク」イグナイトの背後に立つ巨体のニンジャ、インペイルメントがつぶやく。
「うるせェ!」イグナイトは振り返り歯をむき出し威嚇!
「フーンク」インペイルメントは肩をすくめる。
「ここにはおらぬようだな!」ベビーベッドの一つに、尊大な態度で腰掛けたトーガ姿のニンジャ、プリンセプスが言った。「どうする、イグナイト=サン。インペイルメント=サンはおぬしの護衛、おぬしが次の手を決めねば動けぬぞ」
「テメエはなんだッてンだ」
「我は指揮官よ」
「チッ……」
 彼らは今、アナマズマ総合病院の新生児室にいる。イグナイトの目的である野良ニンジャ・ストーンコールドのアジトと目されたそこは、しかしもぬけの空であった。
 彼らを出迎えたのは、ハック&スラッシュパーティの死体と、無数の赤子の骸骨ばかり。
 そのことに、イグナイトは苛立つ。
「出てこい、ストーンコールド=サン!」
 イグナイトが叫ぶ!
 しかし……
「フーンク」返事をするのはインペイルメントのみ。
「テメエは答えなくていいンだよ!」
「フーンク?」
「アタシをバカにしてンのか!」
「フーンク!」
「そういきり立つな、イグナイト=サン」
「アーッ!」
 イグナイトはくすぶる怒りを発散せんと、ベビーベッドの一つを蹴る。
 KRASH! 赤子の骸骨を巻き込んでベビーベッドが横転、埃まみれの強化プラスチック蓋が開く。
「フーンク?」インペイルメントが訝しげな声を上げた。
 イグナイトもそれを見た。
 彼女が蹴り飛ばしたベビーベッドから、新たな骸骨が転げ出ていた。
 赤子のものではない、成人のそれだ。白い入院着を着た黄ばんだ骸骨で、干からびた赤子の亡骸を抱えている。首のねじれた赤子の亡骸は、干からびてはいるが、骸骨と呼ぶにはまだ新しい。
 さらに、二者の間から一葉の紙片。
 拾い上げれば、それは家族のポートレイトだ。痩せた男と白装束の女が、泣き喚く赤子を抱いたプリントアウト。二人の顔には笑顔。マッポーの世に似つかわしくない、安寧の光景だ。
 ……イグナイトの視線が、ポートレイトと、転がるベビーベッドからはみ出した二つの亡骸を行き来する。
 彼女のニューロンには、いつしか三つの夜がマンゲキョめいて交錯していた。
 自らの放ったカトンに燃え落ちる託児所が。
 赤子を抱いた女の走り来る夜の街路が。
 そして……彼女の最も古く鮮烈な記憶の夜が。

 放たれた火球が、自分をカタキと呼ぶ二人のニンジャによって跳ね返される。
 泣きわめく赤子を狙い、ストーンコールドが執拗に腕を伸ばす。
 その足元に倒れた女……その穏やかな死に顔。あの顔はなにに、誰に向けられたものか。
 カトン攻撃に敵が怯んだ隙に、赤子を抱き上げたイグナイトは察した。
 女はベビーベッドを守って死んだ。うつ伏せに覆い被さり、自らを赤子を狙う魔手への盾として。
 人を超えたニンジャの剛力に首を砕かれながら、けしてベビーベッドを離れようとしなかった。
 死してなお残る力。モータルを超えたニンジャ、そのカラテを超えるモータルの意志。
 それを察し、彼女は怯えた。
 死んだ女の姿が、艶やかなキモノ姿に変わる。
 夜の街路に倒れた女は、倒れてなお、しっかりとその胸に布包みを抱いている。自らの身体をクッションにしたのか、ただ純粋な庇護の精神から抱きしめたのか。
 女の唇が開く……。

「何も心配することはない」

 ニューロンに声が響く。

「お前は何も悪くない」

 女の穏やかな死に顔が男の声で言った。

「お前は私と母さんの子なんだから」

 いつしか男の優しい顔に変わっていた。

「「「お前は何も悪くない」」」

 三つの声が優しく言った。

 嘘だ。
 彼女は知っている。これは嘘だ。
 みんな死んだ。すべて燃え落ちた。
 自分のせいだ。
 自分がやったのだ。
 父が死んだのは自分のせいだ。自分が炎になったから。触れるものみな燃やし尽くす超常の力の化身となったから。
 母が死んだのは自分のせいだ。自分がいたからオバケに目を付けられた。
 女が死んだのも、だから、自分のせいだ。自分を守ったから。自分が遅れたから、……向き合うことを恐れたから。
 燃える託児所から脱出した彼女の腕の中で赤子が泣きわめく。泣き声は赤子が持つ唯一の存在証明。己の存在をしらしめるアラート。孤独な闇に、喉も裂けよと迸る泣き声。
 泣き声は涙を呼ぶ。涙は頬をつたい、火花となって闇に散る。二人を包むテレポート火輪の残滓。
 火花は炎となり、赤子の瞳に炎が宿る。真紅の瞳は魂の怒りの炎を映す鏡。激しい怒り、理不尽な世界への怒りだ。
 父を、母を、女を殺し、自分を殺そうとする世界への激しい怒り。その怒りが炎となる。
 怒りに満ちたソウルを糧に燃える、炎。
 そして……彼女は腕の中で泣きわめく赤子が、自分自身と知った。

「ファック……!」
 激しい怒りがイグナイトの両腕に宿る。
 燃やし尽くしてやる。無慈悲な世界に生きるのがさだめならば、そんな世界、燃やし尽くしてやる。
 アンタイセイ、アンタイセイだ。
 泣きわめく炎で、世界に己を知らしめてやる。
 その炎を、誰にも消させはしない……!

「イグナイト=サン」
「あンだよ!」
 イグナイトは怒気高くプリンセプスを睨む。その手の中で、拾った写真が燃えていた。
 振り払うと、ポートレートは灰となって宙を舞う。
「気づかぬか」プリンセプスが言った。
「ハァ?」
「だから、気づかぬかと聞いている」
「だから何を!」
「フーンク!」
「インペイルメント=サンも言っている」
「だからアタシにはわかンねェんだよ!」
 イグナイトは歯をむき出しにして拳を握る。パチパチと弾ける怒りが、彼女の真紅の頭髪を逆立てる!
「フーンクフーンクじゃ意味わかンねンだ! ちゃんと話せよこのデク=ノ=ボー!」
「フーンク!」
「だから、敵が来たと言っておろう」
「……あン⁉」
 その時だ!
「「ウオーッ!」」
 響くカラテシャウト二重奏!
 そしてKRAAAAASH! 建造物破壊鉄球めいた塊が、アナマズマ総合病院の中庭に面した壁面を破壊し、室内へエントリー!
 さらに! 巨大な塊は大、中、二つにパーツに分離! 鮮やかな着地をきめる!
 一体何? それはニンジャ!
「ドーモ、タイラントです!」巨大なニンジャがアイサツ!
「ドーモ、リヴィングディスパイアです!」長身痩躯のニンジャがアイサツ!
 闖入二者に向き直るイグナイト!
「ドーモ、イグナイトです」
「プリンセプスです」
「フーンク!」
「こちらはインペイルメント=サン」
「見つけたぞ、イグナイト=サン!」長身痩躯のリヴィングディスパイアが前腕に置換されたサイバネブレードをイグナイトに突きつける!
「我が息子、コンプソグナトゥスの仇敵!」スモトリめいた異常発達両足とサイバネ尾で床を踏みしめてタイラントが叫ぶ! サベージ・カラテ!
「テメエらか」イグナイトは親子ニンジャを睨みつけた。「ムシャクシャしてンだ……相手してやるぜ」
「その言葉、そっくり返すぞイグナイト=サン」タイラントがメンポをバカリと開いた。
「弟の死を貴様のピッツァで償ってもらう」リヴィングディスパイアがテクトニックめいたムーヴ。
 カラテを構える三者の背後で、
「我らを忘れてもらっては困る!」プリンセプスが古代ローマカラテ。恐るべき獅子の構え!
「フーンク!」インペイルメントも、柄を下に背負った大業物を逆手に握り、留め金を外すや片手で振り回し、膝位置に構える。魔剣ザオ・ケン! 剣呑な光を放つ殺人ブレード!
「邪魔だてするなら容赦はせぬ」タイラントが三人を睨んだ!
「ヌケニン風情が」プリンセプスが答えた!
「ザイバツの飼い犬め。『血は水に比べ濃い』のだ!」リヴィングディスパイアが哲人剣士ミヤモト・マサシの言葉を引用!
「フーンク」インペイルメントが魔剣を構えた!
「ごちゃごちゃうるせンだ!」イグナイトは侮蔑のダブル逆キツネサインを突きつける!「まとめて相手になってやるし!」
 その両腕に宿る超常の炎が……戦闘開始の合図!
「「「「「イヤーッ!」」」」」

◆ ◆ ◆

「さあ、では採点タイムです。ウサギはなぜ火に飛び込みセプクしましたか? ……トンリ=サン」
「ハイ! ウサギはブッダの教えを忘れず、自らの独断専行をケジメしたからです」
「正解ポイントです。チンパンジーとスズメもセプクしたのはなぜですか? ……アンヌキ=サン」
「ハイ! ウサギとはユウジョウ関係だからです」
「正解ポイントです。では最後に……カメはこの物語でどういった役割を演じましたか? ……ヨウレ=サン」
「カメは殻に引きこもる人間の弱い心の象徴です。ウサギが魔剣でそれを殺すのは、表面上はブッダの教えに背いていますが、真にブッダの教えを守るためにはやむを得ないと教えるためです」
「よくできました。難題なので正解ポイント三倍点です。……では、今日の講義はここまでです」壇上の講義ボンズが、柔和な笑顔で分厚いブッダ聖書を閉じた。
「「「アリガトゴザイマシター!」」」
 教室中の子供が、統制のとれた動きで立ち上がり一斉にオジギ唱和。閉じたカーテンが揺れた。
 奥ゆかしいオジギから復帰したアンバサダーに、
「どうでしたか」案内ボンズが尋ねた。
「実際奥ゆかしいです」アンバサダーは如才なく返事した。
「お気づきのこととは思いますが、この孤児院では年齢のへだてなく同一の講義に参加します。才能の開花は早いほうが良い。現代教育の最先端ですよ」
 話しながら、案内ボンズは廊下へ続く扉を開けた。アンバサダーは軽く会釈して奥ゆかしく先行した。
「これで施設のご案内は済みました。奥様とお子さんのところに戻りましょう」
 ボンズが大聖堂へ続く廊下を歩き出した。アンバサダーは後に続きながら、軽い疲労を覚えていた。やはり慣れない、ほとんど初めてと言っていい外出がニューロンに負荷をかけているのか……その時!
「アイエッ!」SMASH!
 微かな子供の叫び声と打擲音が、アンバサダーのニンジャ聴力に響いた。
 振り返るアンバサダーを、案内ボンズが振り返った。「どうしました?」
「いえ」
 アンバサダーは何事もなかったように奥ゆかしい笑顔を見せ、歩き出しながらニンジャ聴力を凝らす。
「アイエッ!」SMASH!
「アイエッ!」SMASH!
「アイエッ!」SMASH!
 子供の叫びと打擲音は遠ざかりながらも続く。
「そんなことでセンタ試験を通過できると思っているのか!」
 先ほどの講師ボンズの声まで聞こえてきた。
 アンバサダーの渋面の前で、案内ボンズが廊下を曲がる。一瞬、孤児院の廊下に立っているのはアンバサダーのみとなった。彼はその場で飛び上がり、音もなくレンガ作りの壁面を蹴って天井シャンデリアに取り付く。埃一つないシャンデリアから、次の美麗シャンデリアへ跳躍、廊下の天井に教室へ向かって戻った。

「バカ! スゴイ・バカ!」
 SMASH! SMASH! SMASH!
 罵声と打擲音が近づく。
 教室前に辿り着いたアンバサダーは空気取りの小窓を静かに開く。そして見た……ドゲザさせられた三人の子ども、講義壇上に立つ奴隷監督官めく講師ボンズ、そして三人を取り巻き、短いボーで叩く子供たち!
 アンバサダーは三人の子供に注視。それは先ほどの講義見学の際、回答できなかった子どもたちであった。そして、よく見れば、彼らを打擲する子供たちは、回答はできたものの不正解であったものたち。正解した生徒たちはといえば、腕組みしニヤニヤとこれらの光景を眺めている。不快な笑顔!
「次!」ボンズは背後の黒板を叩き、その合図で不正解子供は別の不正解子供にボーを渡す。
 黒板には達筆なチョークで『不正解者は三度叩くで失点回復』とショドーされている。
 なんたる暗黒授業風景! 人間性を麻痺させるセンタ試験対策学習塾ですら体面をはばかって行わぬ、先史時代的『ニンジンとボー』制度が!
 アンバサダーの渋面は、さらに教室の窓に向けられる……閉じていたカーテンが開いている!
 先ほどとの差異に不信を覚えた彼は、音もなく降り立ち廊下を駆け、発見した通用口から建物裏手に出た。左右に松の木を従えたブッダ像を蹴って、二階建て孤児院の屋根に上る。
 鋼鉄カワラ屋根に伏したアンバサダーが、そっと中庭を見下ろせば、ボロをまとった子どもたちが目に入る。総勢約二ダースほどの子どもたちが、大量の洗濯物の入ったタルを二人一組で抱えて行進!
 さらに彼らを油断なく見守るのは、禿頭に眼帯の奴隷監督官めいたボンズ! 馬上鞭を振り上げ、無言の威嚇!
 なんたる暗黒内部事情! 孤児院の建物に四角く切り取られた中庭は、面した窓のカーテンを下ろせば、訪問者にその事実を気取られることはない。美しく清められた孤児院の内部と裏腹の、先史的奴隷待遇を隠していたのだ!
 この欺瞞的光景を眺めるアンバサダーのニンジャ観察力は、地下に続く青銅扉を発見。子どもたちはその青銅扉より、アリの行進めいてぞろぞろと現れる。
 ……アンバサダーはいったん中庭から目を離し、四方を観察。彼のニンジャ視力は、地上に、見咎められずに地下施設へ出入りする通用口を発見できなかった。ということは……建物内か?
 彼は先ほどのルートを逆戻りし孤児院建物内に戻った。
 だが……いざ廊下に立ってみて、アンバサダーは逡巡した。
 この孤児院の欺瞞を暴いて、それがいったい何になる? 確かに、彼には力がある。モータルを超えるニンジャの力が。それを用いて、この施設の真実を知ることは容易……だが、それを行う理由が彼にはない。今の彼にとって、この施設はどうでもいいものだ。
 そして、それはこのネオサイタマというメガロシティにしても同様。ここは彼の生きる場所ではない。戦う場所ではあっても、生きる場所ではない。彼が生きる場所は他にある。それはキョート……兄とともにある場所。彼はネオサイタマの異邦人、エンもギリもない、つかの間の滞在者なのだ。
 だが……。

 三十分後。
 ジジューチョと、欺瞞的態度の染みついた孤児たちに見送られ、アンバサダーとフェイタルを乗せたヤクザリムジンはマンナカ・テンプル孤児院を後にした。
 遠ざかる子どもたちの仮面めいた笑顔から目をそらし、アンバサダーは向かい席のフェイタルに抱かれた赤子に目をやる。
「いかがだ、アンバサダー=サン」フェイタルが訊ねた。
「あの施設は……」
「気づいたか」
「知っていたのか」
「当たり前だ」
「私には、解らなかった」
「さもあろう。……だが、あそこのガキどもがどうなろうと、我らの関知するところではない」
「そうだな」
「それは、この赤子も同じよ」
 アンバサダーは彼女の顔を見た。美しき女ニンジャはボディサットヴァめいたアルカイック・スマイルで来し方を眺めている。
「この子はネオサイタマの子。ここで生まれ、ここで死ぬさだめ。しょせんはあのガキどもや、この街の有象無象と同じモータルよ。どうなろうと我らに関わりなし」
「……そうだな」
 沈黙が車内に満ちる。
 窓外にバンブー林。
 フェイタルの豊満な胸に抱かれ、赤子はすやすや寝息を立てる。アンバサダーはその寝顔をまじまじと眺めた。
 つややかな唇が半開きになり、生え始めた前歯がのぞく。薄い眉の下のまぶたがひくひくと動く。小さな爪の生えた手がなにかを求めて開閉する。
 その唇にゴムの乳首を含ませたのは自分だ。
 まばらな頭髪の頭を洗ったのは自分だ。
 その小さな手を湯の中で握ったのは自分だ。
 その瞳に映ったのは自分だ。

 ……いや、自分だけではない。
 もう一人。
 今は、どこかネオサイタマの曇天の下で、炎のごとく燃えているだろう、彼と同じ、異邦人。
 兄の側に控える無言のぬくもりとは違う、触れれば燃え落ちる凶暴な炎。
 だがその奥底には孤独な子供が泣いている。
『お父さん……』
 ウシミツ・アワーにまどろむうち、父を呼ぶか細い熾火の声。あやし疲れ、赤子とともにフートンに眠る、俯せた後頭部から発せられたその声に、どんな表情が伴うのか……二人の様子をうかがおうとフスマを開けたアンバサダーの位置からは確認できなかった。
 ……だが、それは彼の想像どおりであろう。
 それゆえに、彼は胸を痛めた……前夜も、そしてそれを思い出した今も。赤子のもたらした奇縁に導かれ、起居を共にするまで、アンバサダーは彼女のことを、なにも知らなかったのだ。
 無慈悲な夜に泣く孤児は、自分だけではないのだと、そんなことは考えもしなかったのだ。

「……イグナイト=サンに」
「ふむ?」フェイタルが振り返った。
「相談しなければならないな」
「確かに」フェイタルが微かに笑みをこぼす。「仲間に入れてやらねば、またぞろ荒れるだろうしな」
「……仲間か」
「違うのか?」
「……」
「オイ」振り返ったフェイタルがハンドルを握るクローンヤクザ運転手に呼びかける。「林を抜けたら南西に向かえ」
「ハイ」クローンヤクザ運転手が応じる。
「どこへ行くのだ?」アンバサダーは訊ねる。
「私が孤児院訪問をするには条件があるといったな」
「ああ。私が同行することが条件……ではなかったか」
「もう一つあるのだ。実は私にも目当てがあってな、そこを検討してみるといい。それがもう一つの条件よ」
「目当て?」
「この赤子の行く先、預け先だ」
「何?」
「貴方は気に入らんかもしれぬが、あそこはあそこでなかなかいいところだぞ。私は気に入っている」
「どこに……」
 その時!
「ホホイヤーッ!」
 KRAAASH! 走行中のヤクザリムジン運転席に叩き込まれる一本の白い腕!
 防弾窓ガラスが粉雪めいて車内に舞う!
 白い腕がクローンヤクザ運転手の首を折る!
 即死運転手はアクセルをベタ踏み急加速!
 ヤクザリムジンがバンブー林に突っ込む! 
 BOOOOOM!
 ヤクザリムジン大破! バンブーは硬いのだ!
 そして……

 KA‐BOOOOOOOOOOOOOM!

 爆発炎上!
「ホホ! ホホホホホホホ!」
 オバケじみた嬌声がバンブー林にこだまする!
 一瞬遅れて赤子を抱いたフェイタルとアンバサダーが砂利道に着地!
 そこへ伸びる一本の腕!
「ホホイヤーッ!」
 目標は……フェイタル!
 ロックオン察知したフェイタルは回避バックフリップ動作! だがその足がぐらつく!
「グワーッ!」
 フェイタルの美貌にアイアンクロー攻撃! さらに!「ホホイヤーッ!」
 腕が収縮!
 それに伴いバンブー林からストーンコールド出現! ワイヤーアクションめいて宙を舞う焼け焦げ装束が左右に翻り、……アンバサダーはその正体を看破!
 一瞬の隙! そこに叩き込まれるトビ・ゲリ!
「ホホイヤーッ!」
「グワーッ!」
 アンバサダーは顎を蹴られ吹っ飛ぶ! ボックスカラテのチンフックめいた一撃に脳震盪失神!
 さらに! フェイタルに肉薄したストーンコールドはワイヤーアクションめいた空中連続ケリ! 
「ンアーッ!」吹っ飛ぶフェイタル!
 しかし! キモノの裾からのぞく乳白色の太ももから赤い血を引きつつ背後のバンブー林に到達、バンブー弾性をリングロープめいて蹴った時には、その麗しい肢体は恐るべき野獣に転身している!
 ヘンゲヨーカイ・ジツ! ロップイヤー頭部に四つの禍々しい瞳を備えた白銀の美獣がストーンコールドに襲いかかる!
 だが、ストーンコールドはユーレイじみた地を滑るがごとき動きで後退! バンブー林に消える……赤子を抱いて!
「ホホ! アカチャン!」
「ウオオーッ!」
 女獣フェイタルは追撃! バイオバンブー林に突っ込む! 両腕を振り回し、何本かのバンブーをなぎ倒す! 
 だがしかし! 巨体が邪魔して通れぬ!
 対してストーンコールドはバンブーの隙間を縫うようにして後退。
「ホホ! アカチャン!……」
「ホギャー! ホギャー!……」
 嬌声と、目覚めた赤子の泣き声が遠ざかる……! 

 ……数分後。目覚めたアンバサダーはカラテを警戒するが、時すでに遅し。
「逃げられた」
 暮れなずむ曇天の下、炎上するヤクザリムジンを背後に、彼が数時間前に購入した最新モードの耐酸性コートを羽織った裸の美女が、傷ついた足をかばいながら悔しげにつぶやいた。
 ……その時!
 BEEP! BEEP! フェイタルの羽織るコートの懐で着信音。フェイタルは携帯IRC通信機を取り出して、美女はそれをアンバサダーに放る。
 アンバサダーはディスプレイを見る……イグナイトからの音声通信。
『……そっちはどうだッたよ?』
「……奪われた」
 アンバサダーは脱力感に襲われながら、やっとそれだけ答えた。

#6-1につづく


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"Ninjaslayer"
Written by Bradley Bond & Philip "Ninj@" Mozez
Translated by 本兌有 & 杉ライカ
Twitter:@NJSLYR
日本語版公式URL:https://diehardtales.com/m/m03ec1ae13650
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