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黒暗中国語③「伤害 shānghài」

「黒暗中国語」の第三回になります。
今回は「伤害 shānghài」を取り上げます。

黒暗中国語とは何かについては過去の記事を参照してください。

「伤害 shānghài」の意味

害する、傷つける、壊す。

例文

1. 他无意中害了我的自尊心。
Tā wúyì zhōng shānghài le wǒ de zìzūnxīn.
彼は意図せずに私の自尊心を傷つけた。

2. 我无法承受他的所作所为给来的害。
Wǒ wúfǎ chéngshòu tā de suǒzuòsuǒwéi gěi wǒ dàilái de shānghài.
私は彼の行為が私にもたらした傷に耐えることができない。

3. 你永都不会知道,自己无意的一句玩笑会带给别人多大的害。
Nǐ yǒngyuǎn dōu búhuì zhīdào zìjǐ wúyì jiān de yījù wánxiào huì dàigěi biérén duōdà de shānghài.
軽い気持ちで言ったジョークが他人をどれほど強く傷つけてしまうかは、決して知ることができない。

例文解説

1. 「无意中」は「無意識に;不注意で」の意で、意図せぬ言動を指す。意図せずに人の自尊心を傷つけてしまうことは多々ある。

2. 「无法」は「〜しようがない;〜できない」の意。「承受」は「耐える;受け止める」の意。「所作所为」は「することなすこと」というふうに行為の全体を指す。「带来」は「持ってくる」の意。「伤害」とは持ってくるようなものとしてイメージされ、「もたらす」の意になる。

3. 「无意间」は例文1の「无意中」とは同じ意味。「带给」は「给~带来」と近い意味で、「与える、もたらす」の意。「ジョークが意図せずに人を傷つけてしまう」というのは、例文1をより具体的な例にして言い直されたものだといえる。

コラム

「伤害/傷害」は日本語の語彙でもあるが、その意味する範囲はかなり異なっている。日本に「傷害罪」が存在しているように、もっぱら人の身体を害することを指している。しかし、上の3つの例文からもわかるように、中国語における「害」は身体に加えて、精神を害することを指す場合も多い

感情、積極性、人との関係性を害することに対して「伤害」を使うことができる。つまり、抽象的な物事に関して使われていることがわかる。そして、その場合は「带来」「带给」が使われていることからもわかるように、与えられたり、もたらされたりするものとしてイメージされる。つまり、それは動詞=行為だけでなく、モノに近い何かとしても想像できるのである。

モノとしての「害」。または障害物としての「害」。それはそこに存在していて、人々の感情の流れや関係性の構築を阻害している。

また、「伤害」をもたらすのはもっぱら言動であるのも重要だ。それは無意識に、意図せずに、モノとしての傷をもたらしてしまうのである。言い換えれば、自分の言動だからといって、それは私たちの意思によってコントロールできない、勝手に実体化してしまうものだ。

人の言動は言ってしまったら消えてなくなってしまうのではなく、モノとして、実体を獲得してそこに鎮座する。

このように「伤害」をイメージすることで何が変わるのか。

私たちは傷を癒やされるもの、治されるものだとイメージしがちである。場合によっては自然治癒することも考えてしまうだろう。このようなイメージは有効である場合もあるし、そうではない場合もある。

人の言動によって受けた傷は自然に癒されるようなものではなく、許そうと思ってもその言葉または行為を思い出しては心が痛む。その傷は執拗にそこに留まり、その横を通り抜けようとしても決してできない障害物のようなものとして存在する。そして、モノは堆積していくあの言葉もあの行為も全部心の中に、二人の間に溜まっていき、最終的には出口を完全に塞いでしまう

その場合、そのようなモノとしての傷に対して、癒したり治したりするのは妥当な対応だとはいえないだろう。モノは自然に消えたり、簡単に風化したりしないからだ。そうではなく、モノとしての「害」に対して必要なのは、まずそれらと向き合うこと、つまり自分の意思とは関係なくそれらが「害」としてちゃんとそこに存在していると認めることだ。自分が言った言葉はそういう意味ではなかったとか、それは誤解だとか、そういうふうに考えてはならない。害」は自分の主観とは関係のない、客観的に存在するモノだからだ。

そうした上で次に必要なのは、堆積していたモノを一つ一つ精査し、どけていくこと、すなわち「片付ける」ことだろう。私はあの時こういう言葉を発し、行為をし、それが私の意図とは関係なく「伤害」として実体化してしまった、それをなかったことにはできないかもしれないが、別の場所に収納すること、出口を塞がないところに移動させることはできるような気がする。重すぎるのならば、二人、三人と、多くの人に手伝ってもらうことも可能だ。

結局のところ、相手がモノならば人数が物を言うのだ。


過去記事


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