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第十話 とれたてのカルマはいらんかね?

 しばし続いた沈黙を破るように優華はデンモクを手に取り、慣れた手つきで送信した。
 ピピピッと電子音が流れた後、画面上にタイトルが現れた。

"時代おくれ 河島英五"

 昭和を代表するシンガーソングライター河島英五
 男の哀しさ、生き様を太い声で表現した名歌手だ。
 丸井は赤子の頃に父親から子守唄として聞かされていたため、この名曲には敏感に反応した。
「河島英五やんけ。子供の頃思い出すわ!バブーバブー!!」
 丸井は先ほどまでの沈黙が嘘のようにウキウキした気分に包まれていた。

一日二杯の 酒を飲み
さかなは特に こだわらず
マイクが来たなら 微笑んで
十八番を一つ歌うだけ
妻には涙を 見せないで
子供に愚痴を きかせずに
男の嘆きは ほろ酔いで
酒場の隅に置いて行く
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい

不器用だけれど しらけずに
純粋だけど 野暮じゃなく
上手なお酒を 飲みながら
一年一度 酔っぱらう
昔の友には やさしくて
変わらぬ友と 信じ込み
あれこれ仕事も あるくせに
自分のことは後にする
ねたまぬように あせらぬように
飾った世界に流されず
好きな誰かを思いつづける
時代おくれの男になりたい

目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめつづける
時代おくれの男になりたい


 優華の優しいビブラートと共に震えたのは丸井の心だった。
 丸井は思い出していた。
 父親に抱かれたあの時の心を。
 ふと漂う日本酒の香りを。
 子守唄として歌われたこの歌を。

 1日に記憶が飛ぶほどの酒を飲み、奇行で目立ち、飲み屋で罵詈雑言を垂れ流し、妻もいなければ子もいない真逆の生き様。
 時代は流れるが、丸井の生き方はムーンウォークをしながら後ろに下がって行く。
 この生き方が小学生の玉拾いの如く、あらゆる負のカルマを拾いまくってきたのだ。
 悪のカルマを背負っては報いを受ける。思えばその繰り返しの人生だった。背負ったカルマは「名古屋ドーム3つ分」と自称するように、あらゆるカルマを背負い散らかしてきた。

 歌い終わった優華に優しい拍手を送った後、いいちこで乾いた唇を潤した。
 灰皿からこぼれたハイライトの燃えかすが丸井和彦という生き方をきっちりと表現していた。
「丸ちゃん、そろそろ帰ろっか」
 マイクをそっと置いた優華はおもむろに呟いた。
「せやな。しみったれた歌のせいで酔い覚めてしもたわ。家帰ってストロングしばいて寝ーよっと」
 丸井は氷が溶けたいいちこを手に取った。水滴の冷たさを心で感じながら最後の一滴まで飲み干した。
 水で薄くなったいいちこ、ほんのり残った香りが今晩の出来事を消すまいと必死に抗うように鼻から抜けた。

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