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ある日、天才さんに出会うの巻

天才さんとお話ししました。その人はメンサの会員だそうです。

天才さんの脳みその中に無限に広がる思考を言語化してくれました。それは凄まじいスピード感と情報量でした。病み上がりで花粉症の私は全身の神経を集中して話を聞きました。疲れましたが、非常に面白い体験でした。

その人の経歴や体験を聞いていると、冒険物語を聞いているようでした。生きづらい息苦しい社会を、水を得た魚のように自分の感性と思考に従い泳いでいるのです。もしかしたら自由である分、何か代償を払っているのかもしれません。

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天才を大海に放ち、思考を実現するために行動させてみます。行動してそこで見て聞いて体験することで、また新しい思考に辿り着きます。そしていつしか思考は枝を張り巡らせて巨木に育つ・・・それが新しい発明であり既存にはない思想かもしれません。そのようなイメージが浮かんできました。

逆に天才も箱の中に閉じ込めて画一的な教育を強要すれば、普通の人間になると思いました。つまりその才能を生かすも殺すも、親や家庭「環境」、誰に出会うか、何を学ぶか、何を見つけるか、すべて「運」だと思いました。天才にもどうしようもないことがあるのです。

とどのつまり一周回って運命論者か(笑)

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凡人は平均値な能力で、大多数の凡人が社会を構成しているので、ある意味生きやすいはずです。天才は得意不得意が極端だから凡人の世界では「変人」と識別されるのだと思います。「変人」は非凡な業績を収める可能性が高くなります。なぜならその感覚が凡人ではないからです。

天才も社会の大多数の凡人に合すあまりにその才能を失うこともあるでしょう。残念なことです。

私は間接的に小さな子どもの天才ちゃんの存在も知っています。その子の人生において、その才能が生かされるように密かに「幸運」を祈っています。


これらはあくまで私の個人的の感想です。


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