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息を吐くように、毒を吐くぜ。

 障害者の親が天使のように優しいわけではないです。メディアに取り上げられる、一生懸命の障害者とその家族、特に頑張り屋の母親なんて、イメージを浮かべる人も多いのではないでしょうか。「24時間テレビ」内に多く取り上げられていると聞きますが、私は番組を見たことはありません。そもそも息子が生まれる前から「24時間テレビ」の障害者の時間は好きではなかったのです。

 障害者の子を持つ身になると「あなたは選ばれて障害者の親になったのよ。」とか言われましたし、「息子くんがいると、クラスのみんなが優しくなれる。」と面と向かって言われた時は、こんな人間が世の中に、本当に存在していたのだ・・・と卒倒しそうになりました。

 一応「ウチの子も、周りで優しくなれるクラスのお友達になりたかったわ。」と絞り出すように言いましたが、以後彼女に会うことはありませんでした。そんな面倒な奴と付き合う必要もありませんもの。

 このように障害者は無垢で優しい存在であり、その親は、天使のように優しいイメージが造られているような気がします。性格の悪い障害者もいますよ。意地悪で嘘つきで、暴力的な障害者もいますのよ!親は身を粉にして子どもに尽くして生きることを強要されているようで、吐き気を催すことも多々ありました。

 パラリンピックで障害者の活躍が・・・とかいうけど知的障害者は出場してますか?精神障害者はどうなの?所詮、頭のしっかりした身体障害者のスポーツの祭典だと、私は認識しております。もちろんパラリンピックは見たこともないです。

 知的障害者だというと、かなりの高確率で「絵は?芸術は?きっと何かの才能があるよ。」とか言われますが、「いやいやそんな特別な障害者はごく一握りなですよ〜」とコメントするにとどめています。一般人の方、そんなに才能に溢れていますか?私なんて、芸術の才能なんて、なーんもありませんもの。

 ある障害者のお母様が、「よく芸術は?音楽は?とか言われるけど、そこまで一生懸命に教えれるお母さんじゃなくて、本当に申し訳ないと思うわ」と話しておられましたが、全くの同感です。一般的な親が、障害を持つ子どもに、芸術やスポーツを仕込むだけの素養は持ち合わせていないのでやんす。何よりも私は「私」を失くすようなことはしたくありませんでした。

 だけどさ、世間はそういう感動的な障害者と一生懸命なお母さんのイメージが強いから、ほーんとに疲れるのです。「感動ポルノ」そのまんまよ!!

 私は、病院から帰宅後1時間半後に、再び矯正器具を破壊した息子に、キーキー怒りますし、嫌味も言うし、意地悪なこともします。喧嘩もします。息子も私に意地悪いことをしますし、偉そうにします。それが当たり前なのではないのですか。我々は特別ではなく、大したこともない「普通の人間」ですから。

 子どもと一蓮托生なんて思わない。私の人生は私のものです。だから大学や大学院にも進学した。でも家族だから協力し合うし、折り合って生きているのです。息子と一卵性親子なんて有り得ないです。ほんとのバカ息子ですから。

 というわけで、いろいろ溜まりに溜まったものを吐き出しました。また明日も病院と協議します。

感動ポルノ:この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。https://ja.wikipedia.org/wiki/感動ポルノ

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