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マカピーな日々 #0057 ガートで考えたこと

マカピーです。

インドやネパールのヒンドゥー教の世界では生死感が日本人と違う感じがします。それは輪廻転生を信じているからなのかと思うときもありますが、全く別の宗教観からそう思うのかどうも判じかねるところがありました。

インドの聖地であるバラナシへ行くとガンジスに身を浸す善男善女が沢山います。そしてその汚濁した水に浮かぶ遺体、さらにそれをつつくカラス。

「清濁併せ呑む」なんて言う言葉があるけれど、酸素要求量BODなんて言う指標もあるけれど、マカピーの前に広がるこの世界は一体何なんだ?

煙の上がっている場所はガート、つまり遺体焼き場が流れに突き出ています。沢山の遺体が順番待ちしているのであらかた焼けると、火を消して使える薪は取っておいて、あとはガンジスに放り込んで水で清めれば次の番がくるわけです。

カルカッタで「死を待つ人の家」Mission of charitiesに行きましたが、確かここにもあったはずです。人間は生まれてきたからには当然死ぬ。それは頭では分かっていても、現実と考えられないのが浮世の辛さ。

煩悩を抱えて生きているけれど、こうしたガートで繰り広げられる作業などを見るにつけ、悩み続けた自分の人生が、笑いたくなるほどバカバカしいと感じる。

ネパールでは空港に近いパシュパティナートに行くと荼毘の様子を見ることができます。その遺体に近いところで、喪主である息子が剃髪してこれから1年間喪に付して服している間は身にまとうのは白色のものだけ。

街中でも白い服装の人が沢山いるんですよ。マカピーは何のファッションなのかと思っていたんです。でも職場の運転手がある日普通のスーツで現れた時に「あれ?どうしたのあの白い服装は?」「私の父が亡くなってちょうど一年たったのでもとに戻ったんですよ」

マカピーの父が亡くなったのは1年前の今日でした。

何で、急にガートの事を書き始めたのか自分でも奇異に思っていたのですが、そうか、マカピーは今日喪が明けたんだ。

マカピーでした。


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