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【参加記】楽しい学会で「整う」―第25回NPO学会大会参加記

 京都という街は世界中に愛されているようだが、行くといつも不思議な感覚に襲われる。まるでガラスケースに収納された、作りこまれたジオラマの中に、自分がピンでつままれてポンと置かれてしまったかような、まわりの風景と自分自身の間の非連続性というか、一種の疎外感を覚えてしまう。整った佇まいの山々に囲まれているせいなのか、伝統と格調をさりげなく誇示するような街の雰囲気のせいなのか、少々近寄りがたさを感じさせる京都弁のせいなのか、理由は定かではないが、「よそもんでかつ田舎もん」としては、いつも着いた瞬間から逃げたくなる。
 でも、この週末の京都は、見事に楽しくて、帰るのが名残惜しいぐらいだった。京都の山中、京都産業大学で開かれたNPO学会の年次大会、久々の対面開催で数年ぶりに自分も研究発表をし、ここ数年間自分の中で凝り固まった何かがすっとほぐれて、ふっと軽くなっていった感覚に、心が小躍りした。
 学会の大会というのは、研究者にとってはお祭りのようなものだと思う。研究者だけではなく実践者も多く入るNPO学会の大会は、通常の学会よりずっと自由な空気が流れていて、より多彩な露店にたくさん出会える楽しいお祭りのようだ。初日にNPOの後継者問題に関するパネル部会に参加し、「創始者シンドローム」という言葉に思わず「あるある」と頷き、午後のシンポジウムは自分の関心でもあるローカリゼーションや市民的コモンズに重なる「市民の力がつくる地域の姿」というテーマなので終始ワクワクで、ミュニシパリズムという聞きなれない視点(どうしてもきゃりーぱみゅぱみゅと言ってしまうのはなぜ?)にほほーっと唸る。夜に典子先生に誘われたまま数名のメンバーによる飲み会についていったら、会長と入会1年目が長年の飲み友のように杯を交わし、上下も左右も関係なしにまっすぐでウィットに富んだ雑談話が飛び交った。いつもは1杯で目が回る私でも思わずその軽快さに乗せられ、気づくと2杯目を飲み干していた。
 二日目は「リビングラボが切り拓く新しい地域」のパネル部会に参加し、鎌倉リビングラボといわて町ラボの事例に圧倒される。お客様意識に侵され支配されている私たちが、政策の決定者、地域の行動者へと変わっていく上で、リビングラボが起爆剤となるのだろうか。おととしゼミで研究した「自分事化」がここでも議論の軸として取り上げられたのがうれしくて、妙な満足感。その後、自分が発表する部会ではなんとラッキーなことに(不謹慎?)発表予定者が一人急遽辞退したため、3人の時間枠を2人の発表者で存分に使えた。コロナ後、自分がやりたい研究の再考を続けてきてたどりついた「地域プロジェクトによる市民育ち」という今回のテーマに、どれほどの共感と関心があるのだろうとかなり不安だったが、頷きながら聞いてくれるたくさんの視線から高速充電されたかのように、体にパワーが満ちてくる感じがした。そのままの勢いで午後の部会でモデレーターをこなし、あわただしく乗った帰りの新幹線の中でもなお、余韻に浸っていた。
 すとんとお腹に入った言葉たち、あはっとひらめきを与えてくれた新しいアイデアたち、質疑応答で一つ一つの疑問が一歩進んだ理解に変わった時の快感、閉塞感の中をさまよいながらたどり着いた今の自分のテーマが認められ、受け入れられた時の感動と心強さ。これがサウナでいう「整う」かあ、と思った。お祭りは「整う」場所でないとさ。
 整っているうちにおなじみのメロディが。「まもなく終点、東京です」。車窓に映る私の街。巨大なガラスビルの横に電柱からの電線が乱雑に絡み合う裏通り。薄汚れた昭和情緒の飲み屋の隣にしゃれたカフェ。どこに目線を合わせても懐の大きさと深さが見えて飽きがこない。やっぱりこの街が愛おしくてたまらない。帰ったぞ~。
(Y)

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