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日々向学

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ひびこうがく。日々の暮らしの気づきから学びに向かい、喜びを味わう。そんな一瞬一瞬を大切にしていきます。
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紙吹雪をやめる日は来ないのだろうか

明日が大晦日。当然、紅白。気が付くと、わくわくよりも心配が先立つ自分がいる。今年も、派手な紙吹雪の演出がされるのだろうな。 プロジェクターでどんな舞台背景だって作れる時代になぜ、紙吹雪が依然として日本のステージであれほど多用され、愛用されているのか、理解に苦しむ。歌っている歌手の口に紙切れが入ってしまうのを何度も見ている。目にするたびに、歌手の方だって気になってパフォーマンスに影響が出てしまうのではないだろうかと心配になる。そして終わってから誰がこれを掃除するのだろうと。た

【参加記】楽しい学会で「整う」―第25回NPO学会大会参加記

 京都という街は世界中に愛されているようだが、行くといつも不思議な感覚に襲われる。まるでガラスケースに収納された、作りこまれたジオラマの中に、自分がピンでつままれてポンと置かれてしまったかような、まわりの風景と自分自身の間の非連続性というか、一種の疎外感を覚えてしまう。整った佇まいの山々に囲まれているせいなのか、伝統と格調をさりげなく誇示するような街の雰囲気のせいなのか、少々近寄りがたさを感じさせる京都弁のせいなのか、理由は定かではないが、「よそもんでかつ田舎もん」としては、

2023に、願いを込めて

大学院時代の恩師が、年を重ねていくと、時が過ぎ去るのも速くなってしまい、一年が感覚的に半年のように感じてしまうとおっしゃっていました。令和に入ったのがついこの間と思っていたら、何?令和5年ですと?! それでも年に一度だけ授けられるこの大切な節目というのは実にめでたい。もしこのような節目がなくなってしまったら、時というのがどれだけ単調でうす口で、伸び切ったゴムのように張り合いがなくなってしまうのだろう。そんなことを漠然と想像しながら、いつの間に来てしまった今年の新年に、手を合

【参加記】せたがや居場所サミットでもっとちゃんと語りたかった

いつからか自分の語りがとても「説明的」になってしまった気がする。教員の職業病?いやいや、他の教員に失礼だ。私自身が、「説明」の次の境地に辿り着いていないだけだと思う。まあ、これも説明的な言い方だな。 去年からゼミの子たちを大学の地元である世田谷に送り込んで質的調査研究をしている。駒大経済学部の松本ゼミのご紹介のおかげで、おやまちプロジェクトやふかさわの台所、用賀のneomuraともつながりができて、ようやく駒大生らしいゼミ活動ができるようになってきた。今日(7月2日)は多彩

【参加記】アロハフェスで踊ってみた

学びは教室の中よりも日々の暮らしにこそある。つくづくそう思う。 去年のこの頃だったのかな。種々の理由によって「日々の輝き」が感じられなくなり、沈み続けてなかなか浮上のきっかけがつかめず、息が苦しくてしょうがなかった自分が、なぜかフラダンスの教室に入ろうと思いついた。自分のイメージからすれば最も遠いもの、全く想像もできない感覚に出会いたくて、そうすればきらりと光る新たな何かが見出せるのではないかと、わらにもすがる思いがあったのかもしれない。 どう見ても場違いの自分が、週に1