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民俗学からみたメリーさんと『白い孤影』

2020年の秋から始まった映画『ヨコハマメリー』リバイバル上映。年をまたいだ現在も全国各地で絶賛公開中のようです。
このタイミングで、いまもっとも知名度を誇るであろう民俗学者の畑中章宏さんに、メリーさんに関する原稿を依頼しました。

なぜ民俗学者だったのでしょうか。

拙著『白い孤影 ヨコハマメリー』を一読していただければ察しが付くでしょう。
僕は十代の頃、文化人類学者になりたいと思っていました。
文化人類学と民俗学はひじょうに近しい学問です。
畑中さんが指摘するように、拙著にはその痕跡が残っていると思います。

映画『ヨコハマメリー』は一種の人情ものとして、彼女を巡る物語をまとめました。
一方拙著は後出しです。真似をしても仕方ありません。取材を重ねるうちに生身の彼女を追うことよりも、むしろ彼女の伝説の生成過程の方に関心が移っていきました。
それはもし彼女の半生が明らかになった場合、どこかで聞いたような物語である可能性が高く、それを開陳した途端彼女の伝説は霧散してしまうと考えたからです。

そんな生産性のないことをするよりも、彼女が人の目耳を集める理由を探った方がずっと面白いに決まっています。
そしてそのツールになりそうなのが民俗学なのです。

『白い孤影』を読んで
  畑中章宏(民俗学者)

『白い孤影 ヨコハマメリー』という本を読んだ。民俗学を専門領域にするものとしては、著者がその生涯を追った、この女性の実在と非実在、その正体といったものには関心の目が向くより、ある人物が伝承の衣をまとい、ある個性を持ったキャラクターとして、ある空間、ある時代に、民俗的に存在したというありようのほうに興味を惹かれたのだった。
 
 ヨコハマメリーと呼ばれたひとりの女性の謎に満ちた生涯と、彼女をめぐる目撃談や噂の数々について、民俗学の立場からは、〈伝承〉というもののありようについて考えさせられる。〈伝承〉がどのように生まれ、どのように変化し、どのように受け止められていくかは、民俗学の重要なテーマである。また本書における著者の方法も、〈伝承〉に対する執着に貫かれているように私は感じた。
 
 ヨコハマメリーを民俗学者が取り上げたケースとして宮田登『民俗学への招待』(1996年)がある。宮田は1980年代から、それまで村落共同体をフィールドにしてきた民俗学に対する限界を感じ、フィールドを拡張する意味もあり「都市民俗学」を提唱するようになった。『民俗学への招待』でも、宮田は、〈都市のフォークロア〉や〈孤独な老人〉という文脈のなかにメリーさんを置いているのだ。
 
 宮田によると、メリーさんをめぐる言説のなかには、「戦争に行ったまま帰ってこない夫をいつまでも待っている」という説、「死んだ子どもに似た子が通るのを待っていて、もし似ている子がいたら連れて帰ってしまう」という説、彼女は「男性であり女装しているゲイ」だという説などがあったという。
 
 そんなメリーさんのイメージを、宮田は「戦後五十年近い間、ずーっと一人で大都会の一角に、いつまでもたたずんでいるという象徴的な姿」であり、「メリーさんが出現している場所は、大きな高層ビルの前のバス・ストップのほかに、JR の駅前というのもある。駅前やバス停の前のベンチという説明には、一つの境界性が示されている」と解釈するのである。
 
 宮田はさらに、「この老女が実在するのかどうかというと、うわさであるにしても、やはり現実に出会ったという体験も語られている。/これも大都会の孤独な老人がつむぎだすフォークロア」だと評価している。
 
  『白い孤影』の著者の関心も、やはり宮田が指摘するような〈境界性〉にあるのではないかと私は感じた。そしてメリーさんに対する私の興味もまた、その〈境界性〉に尽きると言ってもよい。
 
 メリーさんの〈境界性〉とは、とりもおさず、横浜(ヨコハマ)という中心と周縁を混在させたような都市の〈境界性〉であり、メリーさんが生きた戦前・戦中・戦争直後から、高度成長期にかけての日本社会の〈境界性〉を指すのである。メリーさんの正体、メリーさんをめぐる伝承は、こうした〈境界性〉そのものだと言い換えることもできそうである。
 
 *
 
 この本を読んでいて思い出したのが、柳田国男に「和泉式部の足袋」(1931年)という文章である。
 
 論集としては、全国各地に伝わる説話(昔話)から、そこに込められた民族固有の信仰を見出そうとした『桃太郎の誕生』(1933年)に収録されているが、その前年に刊行された『女性と民間伝承』(1932年)とをつなぐ一編で、“遍歴する女性”、“伝承される(伝承する)女性”について考えをめぐらせた重要な論考である。
 
 和泉式部は平安時代中期の女性歌人で、和泉守・橘道貞と結婚して小式部内侍を生んだが、冷泉天皇のふたりの皇子と恋に落ちて出奔する。その後は、藤原彰子(一条天皇の中宮)に仕えて、道長の家臣、藤原保昌と再婚し、丹後に下った。歌人としては『百人一首』に、「あらざらむこの世のほかの思い出に/今ひとたびの逢ふこともがな」という恋歌が収められているが、民俗学的にはなによりも、東北地方から九州までの広い範囲に伝説が残っているのである。
 
 歴史的事実としては、式部は越前守・大江雅致と越中守・平保衡の娘のあいだに生まれたが、伝説では、肥前国杵島(きしま)の福泉寺で生まれたことになっている。子宝に恵まれなかった夫婦いて、この寺にお参りしたところ、子どもを授かった。ところがこの子は鹿の子で、指が5本しかなかったので、この子はひづめを隠すために親指とほかの指を分けた足袋をずっとはいていた。その子こそが和泉式部である……。
 
 柳田の式部に対する関心は、歴史と伝承で食い違う式部の正体を解明することではなく、あくまでも〈伝承(伝説)〉がどのように形づくれられたのか、なぜ式部がいろいろなところに現れて、その姿を語られきたのかという点にある。
 
「われわれの想像もしなかったくらい大昔の信仰が、たとえ間違いだらけにもせよ、今日まで伝わっていたというには、必ず相応の理由がなければならぬと思いますが、それには物語の女主人公と同一系統の職業婦人が永く地方を旅行していたことを想像すれば、容易に疑問は解けるのであります」。
 
 一概には言えないかもしれないが、ノンフィクションを執筆する場合、対象とする人物に対する共感や反感が、取材と執筆を推進する動機になっているのではないだろうか。しかし、民俗学においては、(生きている人に聞き書きする場合はともかく)、対象そのものよりも伝承のほうに強い関心が向く。伝承がどこで生まれ、どのように育って変化し、どこで衰えたのか。ヨコハマメリーの伝承に対する著者の向き合い方も、民俗学者のそうした姿勢に近いような気がする。
 
 著者のメリーさんに対する執拗な執着や拘泥は、先述したような〈境界性〉に対する関心、横浜(ヨコハマ)と戦後日本という、時間的・空間的境界への関心であり、こうした関心は民俗学にも通じるものだと思えるのである。
 
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 最後にもうひとつ、この本を読んで、個人的に気になった挿話について書いてみたい。
 
 前衛舞踏家の大野一雄の白塗りの化粧が、メリーさんの姿をどこかで反映しているのではないかと、その可能性を示唆されている。著者には、「大野一雄舞踏研究所」に1996年から98年にかけて通っていた経験があるという。また一雄の次男で、やはり舞踏家だった大野慶人とメリーさんのあいだに接点があり、さらには2006年に中村高寛監督の映画「ヨコハマメリー」にも出演していたことから、取材を試みているのである。
 
「実際に写真を見るまで、私の頭のなかにあったメリーさんのイメージは大野一雄さんの姿だったからだ。大野さんの代表作である『ラ・アルヘンチーナ頌』のハイライト『花』と『鳥』の場面で、大野さんは白塗りにドレス姿で女装して踊る。その印象が強烈で、そのままメリーさんのイメージとして自分のなかで出来上がっていた。もちろん実際は似ても似つかなかったわけだが、……」
 
 数少ない機会に過ぎないが、私もじつは大野一雄の舞台を観たことがあり、メリーさんの容貌と大野一雄の白塗りの女装を重ね合わせてみる誘惑に駆られるのである。メリーさんや大野一雄の記憶が薄れてしまった時代がきたとき、もしかすると、その影響がまことしやかに取り沙汰するような、新たな伝承が生まれてくるかもしれない。

トップ画像:紫式部(土佐光起・画)

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