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デビュー作で50万文字の本を書き上げて掴んだこと


Web ライターと呼ばれる人の多くが、「文章を書くのが好き」とか「自由な働き方に憬れて」とか「憧れのライターさんみたいになりたくて」といった理由から書く仕事に足を踏み入れたと思う。あるいは「小さな子供がいて外で働けないから」という観点から始めた人もいるかも知れない。

僕の場合はまったくの偶然だった。

ときは2000年。いまから20年も前だ。まだブログは影も形もなく、Web媒体もクラウドソーシングも存在しなかった。マイクロソフトの「ホームページビルダー」で「ホームページ(当時の呼称は「ウェブサイト」ではなかった)」づくりが流行っていた頃だ。

僕は舞台活動をしていた。しかしすっかり行き詰まっていた。ちょうど劇団を辞めたタイミングで……その劇団は現在静岡県舞台芸術センター(SPAC)の専属劇団になり、国内よりも海外で評価されている……気晴らしのためにウェブサイトを作り始めた。現在とは異なり、当時はアマチュアが有名人や大資本が作るサイトとまったく同じ土俵で勝負が出来た。どうせやるならば、プロにも負けないものをつくりたいと思った。僕にとって、ウェブサイトの製作は舞台活動と同じ性質のものだったからだ。

書くことが特に好きだったわけではない。舞台という現実からの逃避行動だった。

自分のサイトをつくって1年くらい経った頃だったと思う。まったく面識のない編集者が会いに来てくれた。僕のサイトを気に入ったのだという。スカウトされたのだ。話を聞いてみると、たまたま僕のサイトと同じテーマの本を企画しており、書き手を探していたのだそうだ。

そんな訳で、自己流のホームページを作っていただけの人間が、とつぜん本を1冊書き下ろすことになった。


●基礎がなかったから最初は苦労したが……

企画書によると、予定ページ数は400ページとのことだった。1ページの文字数は版の組み方や口絵の有無にもよるが、1,200〜1,500文字くらいだと言われている。それが400ページだから48万文字〜60万文字という計算になる。

手元にある拙著の現物を確認したところ、

1行=27文字 × 20行 × 2段組 × 464ページ=50万1,120文字

という概算になった。
(*書き直した分を含めると、総量はこんなものではない)

念のためググってみたところ、一般的な本1冊の文字量は、だいたい8万〜12万文字程度らしい。前述の数字とだいぶ開きがあるが、ともかくずぶの素人にとって高すぎるハードルが課されたことは間違いない。

実際、書いている途中で何度も「発狂するんじゃないか」と思ったものだ。脳を限界まで使うと、脳細胞が疲弊して「かさかさになったスポンジ」のように感じられる。最初の本を書いているとき、この感覚はおなじみになった。

通常執筆に取り組むときは、資料集めや取材を済ませてから書くものだ。しかし準備が整うのを待っていたら、いつまで経っても書き始められない気がした。なにしろスケールの大きい本だった。資料の量が多すぎたのだ。だから足りない部分はスキップすることにして、書ける部分から書き始めた。

すぐ行き詰まった。まず文章のリズムが身についていない。一つ一つのセンテンスは悪くない。だが、センテンスが集まって段落になり、段落がまとまって文章になるとダメだった。ガタガタした砂利道を四輪駆動車が猛スピードで疾走しているような、読み進めづらいシロモノになった。

現在の若いライターがどうやって文章修行しているのかは分からない。先人たちが行っていたのは、「自分のものになるまで上手い文章を書き写す。それこそ写経するように」というものだった。

しかし僕の場合は既に出版が決まっていた。一から勉強している時間はない。付け焼き刃でも良いから、なにかしら即効性のある武器が必要だった。

仕方がないので、執筆の合間に mp3で落語を聴きまくった耳から名調子のリズムを取り入れるためだ。

落語には全く興味がなかったし、それ以前の問題として日本の古典芸能にも関心がなかった。しかし「短い時間でサクッと聴ける」「リズムの良い日本語が身につく」「内容が難しくない」という条件で、なおかつ安価に触れられるものと言ったら、この当時は落語しかなかった。

この勉強法は数年間続けたので、僕の文章の基礎は落語だと思っている(余談になるが、後年何回か落語会も主催した)。


●縦糸と横糸

Web、あるいは雑誌に書くような、1万文字程度の分量では発現しない現象がある。それこそ10万字くらいないと見えてこない世界だ。その入口を僕は「縦糸と横糸」と呼んでいる。

第1章の5番目の項目と、第4章の3番目の項目。
あるいは第3章の2番目の項目と、第6章の最初の項目中のある段落。

そんな具合に、第1章から順を追って流れていくストーリーとは別に、文章のなかの離れた点と点とが結びついている箇所が存在していることに、書いている途中で気がつくことがある。

目次を考える時点で既に気付いている場合もある。しかしそれは前者とはいささか異なる。

前者はこんな風だ。

書いている途中で、別個に存在している点と点とが有機的に結びついていることに、あなたは気がつく。埋もれていた横糸の存在を見抜いたのだ。さらには本のなかには出てこない別の何かをも、やはり点と点の関係で結びつけられることに、思い至るかも知れない。その結果、予想だにしなかった発想が生まれる。

これは本の内容を一気に深化させるチャンスだ。僕はこれを「本書きの魔法」と呼んでいる。

縦糸は順行する流れ。

横糸は地下水脈のように蛇行する、一見しただけでは気がつかない流れ。

書いている内に意識が研ぎ澄まされ、埋もれていた横糸に気がつく。これが「本書きの魔法」だ。この魔法によって、あなたの文章は飛躍を遂げる。

ハウツー本、特にブックライティングの本はしばしば「追加取材(あるいは追加インタビュー)は未熟な証拠」だと書いている。反省しなければいけないことのように言っている。僕に言わせると、まるっきり逆である

「本書きの魔法」が発現したら、思いもしなかった発想が出てくる。この魔法が発現することこそ、書く醍醐味である。
その結果として追加取材が必要となることが殆どだ。しかしそれがどうした? 大事なのは過程よりも結果である。

筆が進むなかで、まったく想定外の気づきが天から舞い降りる瞬間。

自分の力量を超えるような、半ば超自然的なインスピレーションが立ち現れる興奮。

こういう喜びがなかったとしたら、分厚い本を書くという作業は苦行でしかない。追加取材、結構じゃないか。むしろワクワクする。

Webライティングが一般的になってから書かれたライティングのハウツー本を何冊か飛ばし読みしたが、こういうことに触れている著者はいなかった。みんな「仕事」ないしは「作業」をこなす感覚で書いているだけなのだろうか? 僕には分からない。

僕がいまだに書くという行為を続けているのは、デビュー作を書く過程で「魔法」を体験したからだ。

Webライターがお金の話ばかりするのは、こういう世界を知らないからだと思う。


●まとめ

1万字のテキストは「短い」。

書籍1冊書くなかで、はじめて体験する世界がある。

それは点と点が結びつくことで、予想外の閃きが生まれ、本のレベルが一段上がるという経験だ。
これこそ書く楽しみだ。

ハウツー本は、こういう世界をガン無視している。

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