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物足りなさが残る本……『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』について

ウェブ媒体の仕事で『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社 以下『目の見えない白鳥さん』)の著者・川内有緒さんにインタビューすることになった。
彼女とは面識がある。
facebook メッセンジャーで取材の可否を尋ねたところ、僕がインタビューするということに懐疑的だったらしい。
「(私の本について)書きたいという発露があるのかどうか、というのをご確認いただくのがお互いのために良いのではないでしょうか」と返信された。

この時点ではまだ著作を読んでいなかったので、一通り読んでみた。

僕の評価を簡潔に書くと「ダメとは言わないが、刺激少なめで物足りなさの残る本」ということになる。

あるレベルをクリアしている本は多いが、それ以上となるとそうそうあるものではない。
野球選手の打率が4割に達しないように、出す本がすべて傑作という著者もいない。
だから「物足りない」と感じる読者がいても、恥じることはない。
実際この本にはカラー写真が多数掲載されている。カラー製版はお金が掛かるため、通常編集者は許可しない。またこの本はカバーの裏側に図版を印刷するという手の込んだこともしている。つまりそれだけ予算を掛けても回収出来る、売れる、と判断されているのだろう。だったらそれでいいのではないか?

ここに書き記すのは、へそ曲がりなライターが「なぜこの本に物足りなさを感じたのか?」を論じたものである。

……以下、川内さんに送った文面をコピペ(一部改変あり)するので、突然「ですます調」に変わります。


●個人的に似た経験をしてきてしまった

『目の見えない白鳥さん』のなかで書かれていることですが、たまたま僕が10代から20代のうちに通過したことを、川内さんは40代になってから経験したということが読み取れました。

白鳥さんをアテンドすることで、絵画のいままで見えなかった細部に気がついたり、自分とは異なったイメージを受け取る他者に驚いたり、という話が出てきます。

高校生のときに、友人らと美術展を廻ったときのことです。
僕らは作品のタイトルを見ずに、タイトル当てクイズをするという遊びを考案しました。

タイトルを当てるためには、かなり注意深く作品を観察する必要があります。
それこそ白鳥さんをアテンドするときのようにです。
アーチストの意図を汲み取ろうとし、目に見えない部分まで掘り下げて鑑賞します。
その上でお互いの考えたタイトルを開示し合うと、お互いの視点の違い、関心の違いなどが興味深く、作品鑑賞が何倍も面白くなります(もちろん最終的に作品のタイトルを確認し、アーチスト・ステイトメントなどがあれば読みます)。
この経験と白鳥さんを交えた鑑賞は、似ていると思いました。

タイトル当ては「俺にとってはみんなで見る、話すと言うプロセスの中で意味を探ったり、発見していくのが面白い」という白鳥さんの言葉そのままの体験でした。
まさに「一直線に正解にたどり着いてしまうとつまらない」(白鳥さん・談)のです。
しかしその点を大上段に振りかぶって言われても「それ、知ってます」となってしまい刺さりませんでした。


付記)

「ここのところ私は、ひとりで美術館やギャラリーに行くと、バーチャル・白鳥さんを想像するようになっていた。そこに『白鳥さんがいる』と想定するだけで、ひとりのときよりだいぶ丁寧に作品を観察し、深く考えられるような気がした」(P78)

川内さんはふだんブログに美術鑑賞に行ったときの感想などを書かないんだな、と思いました。
そういうことをしている人だったら、「ブログでどんな風に説明しようか」と考えながら鑑賞すると思うのです。

ブログに書くことを想定すれば、丁寧に観察したり、深く考察するのに他者は必要ありません(もちろんディスカッションの代用にはなりませんが)。


●障がい者と健常者を分けて考える事から抜け出せていない

障がい者と寄り添うこと、優生保護法や優生思想、歴史から消された在日朝鮮人の話などが出てきますね。

優生保護法や優生思想、そして障がい者の話をしたいと思います。
この本はアートを中心に扱っていますから、アートに関連する話が良いですね。

「タケオ ダウン症ドラマーの物語」という2011年に公開されたドキュメント映画を知っていますか?

アフリカン・パーカッションのジャンベやアフリカンダンスが死ぬほど好きなダウン症の少年、タケオの話です(現在彼は既に成人していますが)。

僕はジャンベやアフリカンダンスを習っていた時期があり、タケオ君のことは映画になるずっと前からよく知っていました。彼はいわゆる知的障がい者ですが、ダンスや太鼓に対する情熱の持ち方が半端ではないのです。しかもものすごく上手い。彼の太鼓の音は澄んでいて素晴らしく、恥じらいがないため太鼓の音がすると反射的に踊り出し、あっという間に場を支配してしまいます。端的にいうと王様状態。スターです。

知的障がい者ゆえの目立つ容姿、情熱、パフォーマーとしての質の高さから、ドゥドゥ・ンジャエローズやママディ・ケイタといったアフリカのマエストロたちに可愛がられていました。ドゥドゥに至っては、セネガルにある自宅に長期間居候させていたほどです。

「はじまりの美術館」は僕も行ったことがありますが、タケオ君のような逸材を知っていましたから、アウトサイダーアートなどという特別な括りなど必要としない「表現者」(あえてカッコをつけます)がいることは今更感がありました。

ついでに言うと檀原家はカトリックです。
教会の関係で小学生の頃から障がい者施設に行く機会は多く、知的障がい者の存在に一般の人たちよりも触れる機会が多かったと思います。
川内さんは妊娠中、障害がある子供が生まれてくる可能性を医師から指摘されたという経験をしたのですね。
それが主に第7章に反映されているのだと思いますが、これを入れたことで内容が冗長になり、本の主題が分かりづらくなったと思います。

「障がい者と寄り添う」ということに寄せて別の体験談も書きますね。
大学時代に「アーストレック」という国際ボランディアの派遣団体に出入りしていた時期がありました。
選抜されるとモンゴルなどへ井戸掘りに行くのですが、この団体には視覚障がい者が何人か参加していました。

視覚障がい者がボランティアへ行く。
しかも海外に。
助けられる側ではなく助ける側になる。
衝撃的でした。

「アーストレック」のイベントで、目の不自由な彼らと丹沢へトレッキングに行ったことが数回あります。
最初は「視覚障がい者が山を歩く」ということに驚いていたのですが、実際に参加してもっと驚きました。
『目の見えない白鳥さん』の作中白鳥さんの足の速さに驚く場面がありますが、まったく同じです。
一応二人一組になり手を繋いだ状態で歩くのですが、彼らは健常者とまったく変わらない速度で歩くのです。町中ではありません。山ですから、滑る斜面があったり、木の根が出っ張っていたりします。しかしものともせずに付いてくるのです。
それがあまりにも自然で、ついつい障害があることを忘れてしまうほどでした。

実際、彼らの一人に水筒を取ってあげるとき「どの色の水筒?」と訊いてしまい、「色のことは言わないで」と言われても数秒間なにがいけないのか分からず、きょとんとしてしまったこともありました。

結局障がい者は予想よりもずっと「普通」でしたし、案外一緒にいられるものだと感じました。

逆に健常者同士であっても理解し合えない、見えているものが違う人たちも存在します。一緒にいられない人たちもいます。
共に時を過ごす友人同士であっても、かなり感受性が違うこともあります。

世界はただそういうもの。
私たちはそういう場所に生きています。

川内さんが意図しているのは相互理解とか共存にまつわる問題提起だと思いますが、その提起を僕は30年前に経験しました。

10代から20代にかけてこういった体験をして来ましたので、僕にとってこの本は「昔のことを思い起こさせる本」という感じですね。
正直言って目新しいものが見いだせず、刺激が足りません。それでも共感出来れば良かったのですが、たぶん汲み取ったなにかがちがうのだと思います。


●出版する前から既に落語に負けている

川内さんは落語を聴きますか?

落語の中にはたくさんの「障がい」を持つ人たちが出てきます。近世以前は障害を持つ人が身近にいたのでしょう。

『目の見えない白鳥さん』の作中、落語の「めくら提灯」と同じ展開が出てきますね。

「番頭さん。悪いが提灯を貸して下さらぬか」
「按摩さん、お前さん目が見えないんだから、提灯持ってどうするんだい?」
「足元を明るくしておかないと、向こうから『見える』という盲がぶつかってくる」

白鳥さんに「もし今から見えるようになれるとしたら?」と訊く下りは、やはり落語の「心眼」とよく似た流れですね。

ここで書いたことはあくまでも例でしかありません(すべてではありません)。
川内さんがやろうとしたことは、既に落語がやってしまっていると思います。

落語はコメディです。「真面目」な芸能ではありません。しかし「真面目な本」(*)であるはずの『目の見えない白鳥さん』の中で書かれていることの何割か(僕の実感としては半分以上)は、既に落語が成し遂げています。

*川内さんは、僕がこの本を「興味本位の本」だと考えていると決めつけていたようなので、切り返しました。なぜそう思われたのか理解に苦しむのですが。「タイトルがキャッチーだ」と言ったことが気に入らなかったのかも知れません。


●戦中の在日朝鮮人の悲劇は、遠征せずともあなたの地元で見つかる

ここで在日朝鮮人の話をしましょう(*作中、黒部ダム建設に朝鮮人労働者が関わった歴史が抹消されている、という話がある)。

現在住んでいる家の露地を隔てた隣のエリアは在日朝鮮人部落です。しかし規模が小さいことや店舗が1軒もないこと、全ての人が通名で生活していることなどから、その存在は見落とされています。

よく知られる通り、関東大震災があったとき大勢の朝鮮人が殺されました。しかし警察によって保護された人たちもいたのです。彼らの安全を期して呼び集められたのが、うちの隣の部落の始まりです。

隠された歴史は日常の中にあります。黒部までいく必要はありません。
それこそ、そこかしこで見つかるはずです。

僕が30歳のころつき合っていた彼女は在日三世でした。
祖母の代は広島の魚屋だったそうですが、戦時中に財産を没収され、戦後はパチンコ屋に転業したそうです。その手の話は珍しくありません。

旅先で語られずにいる歴史に出会うこともあります。
岡山の真庭に取材に行ったとき、戦時中木材を切り出すために連れてこられた朝鮮人の部落の話を聞きましたし、北海道の日高地方では「鉄道施設工事のタコ部屋から脱走した朝鮮人を匿った」という話をアイヌの人たちから聞きました。でもこの話、どこにも書かせてもらえないんですよね。

埋もれた歴史、見て見ぬ振りをされた過去は枚挙にいとまがありません。


●アートは自由な見方が出来る……は本当か?

P51に権威主義や知識偏向主義に対する抵抗という話が出てきますね。
僕は川内さんのいうところの知識偏向主義教育を受けています。アート制作とは「美術史の延長線上に新たなページを記すこと」という立場です。

もちろん民芸運動とか限界芸術、アウトサイダーアート、トマソンなどの流れも踏まえてはいます。しかし鑑賞にはリテラシーが必要です。
ご存じだと思いますが、現代美術の世界では作品そのものと同じくらい「アーチスト・ステイトメント」が重要です。

もし自由な鑑賞が重視されるのだとしたら、なぜ美術鑑賞の世界には「本屋大賞」に相当するものがないのでしょうか?
アカデミアではなく、鑑賞者の立場から評価する場があってしかるべき筈です。
しかし現実世界にはそれがない。
これが全てを物語っていませんか?

「アートマーケットがあるじゃないか」というかも知れませんが、マーケットの買い手である収集家やギャラリストたちはアカデミア側です。

もし自由な見方が可能で、アーチストの制作意図を無視出来るのだとしたら、作り手は浮かばれないでしょう。
もしあなたが読者から「著者の考えはどうでも良い。読者には自由に解釈する自由がある」と言われたらどうしますか?

アートも同じ筈です。

「どう見えるか」「なにが見えるか」から入るのは構いません。しかし人種差別反対を訴える作品に対して「形がおもしろい」「色が奇抜」で終わってしまったとしたら?
「この絵、笑えるね!」という反応で終わったとしたら?

ただし好き嫌いを表明する自由はあるでしょうね。


●白鳥さんにとって、川内さん自身もアート作品の一部では?

川内さんは自分を「見る人」(そして「書く人」) だと規定していて、「見られる」という立場に思い至らないまま最後まで1冊書き切ってしまったのだと感じました。

白鳥さんとの「視覚に障害がある人との鑑賞ツアー『セッション』」ですが、アーチストのティノ・セーガルあたりが作りそうなものです。
もしティノ・セーガルがこのプロジェクトを設計したら、見る/見られるという関係性にフォーカスするでしょう。

白鳥さんにとって作品は絵画だけではありません。
アテンドしてくれる人たちもまた作品の一部なのだと思います。

通常美術館やギャラリーで作品を鑑賞する際、鑑賞者は安全地帯にいます。
「鑑賞者」という立場を保証されているからです。
それは体験型の作品であっても変わりません。
(なんなら参加型の作品やコミュニティーアートにもそういう傾向があると思います。鑑賞者という名の外部が存在しない(内向きの)プロジェクトが多いからです)

しかし白鳥さんといっしょに鑑賞するとき、アテンドする川内さんやマイティさんたちは白鳥さんに「鑑賞される側」に立っています。白鳥さんから見たとき、あなたたちも作品の一部です。アテンドする立場の人たちがいないと、彼にとっての作品鑑賞が成立しない。ですからあなたたちも作品の一部です。そういう立場の逆転が『セッション』の性質だと、僕は思います。

そういう視点を欠いたまま、安全な「見る側」に立ったまま、1冊書き終えてしまったんだな、というのが率直な感想です。つまり川内さんは自分を「見る」という特権的な立場に置いている人だな、と(あくまで個人的な感じ方です)。

著者自身が(主観的視点から)見るということに囚われすぎているのではないでしょうか?
それは川内さんの「書く姿勢」と切り離すことが出来ない筈です。
「自らがどう見られているか」ということと「書く」ということを結びつける発想がない、そういうことを突き詰めて考えたことがないのではないか、と感じました。
たまには一人称ルポルタージュではなく、三人称で書いてみたら良いのでは……と読んでいる内に要らぬお節介を焼きたくなりました。

僕が『目の見えない白鳥さん』を書くとするならばティノ・セーガルがするであろう通り、見る/見られるという関係性を追求して書きます。
例えば「見る性としての男」と「見られる性としての女」という方向に発展させたりとか。
あるいはクレア・ビショップの「関係性の美学」を参照して考えるとか。

* * *

ここから「である」調に戻します。

本の感想からは離れるが、受託仕事(クライアントワーク)に対して「発露」という言葉を使う人に初めて会ったので、少々戸惑った。
彼女はインタビュアーや書評家に対して「私の本について書きたいという発露はありますか?」と毎回確認しているのだろうか?

まっとうなクリエイターやアーチストだったら、「発露」は同じテーマを違う切り口で表現する(その場合自ら白鳥さんを取材し直し、自分なりのスタイルで一次情報をとることになるだろう)なり、コラボするなり、トリビュート作品をつくるなり、二次創作するなりという形をとるだろう。少なくとも書評や取材という形は取らないと思う。

僕にとって「発露」というのは、生々しくて時として痛々しいものだ。
安全地帯から抜け出さないとできない行為でもある。
そしてそれは受託仕事とは相性が悪い。

……とまあこんな風なメッセージのやりとりがあり、僕たちは決裂。取材はキャンセルとなった。

最初にインタビュイー(取材相手)に否定から入られた場合、ライターが取るべき態度は二つあると思う。

1)相手に媚びる。低姿勢になっておもねる。
2)あえて率直に感想をぶつける。遠慮せず、痛いところも突く

僕は2)の立場を取った。それは次のような展開になると踏んだからだ。

1) →「素晴らしい本ですね。感銘を受けました」……取材は実現するかも知れないが、通り一遍の受け答えに始終してしまい、掘り下げたインタビューにならないのではないか?

2) →相手が反論してくるだろうから、そこを逆手にとって深い話を引き出せるのではないか?

インタビューはかなりこなしてきたが、始まる前から相手に否定的な態度を取られたのは2度目である。
(最初は都内の某有名私立大学の教授で、美術批評を専門とする男性。「美術が専門ではない人間に書かれると迷惑だ。忙しいので監修する時間もない」とのっけからケンカ腰で言われた。編集者と二人で顔を見合わせた覚えがある)

他の人だったらどんな風に対応するのだろうか?

こういう話をする人がいないので是非聞いてみたいものだ。

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