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ニューヨーク街歩き①~ロウワー・マンハッタン~



 4年かかった修士論文を提出し、3週間のアメリカ旅行に出ることにした。ニューヨークから入り、アトランタ、ニューオーリンズと南部を回ってその後ロサンゼルスへ飛び、サンフランシスコで終わる、なんだか忙しい旅。一つ一つの場所に時間を掛けたい派の私としてはすごく寂しい気がするものの、1ドル150円の世界では仕方がない。都市に対する関心も、地下鉄410円に打ち勝つのは厳しいのだから。


到着

9時間のフライトを終え、ニューヨークに到着。時間は早朝7時。美しい空が迎えてくれた。


ニューヨークは2度目だ。前回も2月だったため、冷たい空気がこの街の場所を意識する上での感覚になってしまっている。
空港トレインで既に感じるマリファナのにおい、スペイン語、ジャマイカ駅で鉄道を待つ際の空気・・・ニューヨークにやって来たんだ。

荷物の都合もあり、少し値段が張るものの高速鉄道でペンシルバニア駅Penn Staへ飛ばしてしまう。4年間、都市をテーマに勉強してきたこともあって、窓からの眺めも楽しい。住民層や再開発、ここは鉄道の車庫だ、ここはユダヤ系が多い地区だなどと喋っていたら、あっというまに到着した。

街へ出る

宿泊先はロウワー・マンハッタンのフルトン・ストリートFulton Street。チェックインまで時間があるので、荷物だけ預けて散歩に出かける。パリやロンドンの時もそうだが、世界都市に出るとどんなに過酷なフライトでも眠気は吹き飛んでしまう。

東に向かって少し歩き、高架になっているフランクリン・ルーズベルトFranklin D Roosevelt Dr通りを越えると、イーストリバーに出た。

イーストリバーはお世辞にも奇麗とは言えない

冬のニューヨークでは珍しい快晴。それだけならいいが、とにかく冷たい風が吹きつける。まあこれが冷たい。これが春先だったらいかに気持ちいだろうに!

風に逆らうように、まずはニューヨーク始まりの場所に向かうべく、川沿いを南に向かって歩く。こんな冷たい風が吹く中を走るランナーとすれ違う。オフィスビルが集まる地区とはいえ、ここは住民のランニングコースでもあるのだ。彼らはどこから来ているのだろう?マンハッタンというと、高層ビルが増えだした1916年に初のゾーニング法が出され、区域ごとの役割が決められた街だが、この辺に住宅があるようには見えないから、川沿いにずっと走ってきているのかもしれない。ブルックリンも近い。

ロウワー・マンハッタンのいいところの一つは、新旧が同居している点だろうか。火災や戦禍で「旧」が決して本当の「旧」ではない点も含め、なんだか東京や京都と似たものを感じる。
このセイント・エリザベス・アン・シートンSt. Elizabeth Ann Setonは1964年に建てられたカトリック教会だが、教区自体の設置は19世紀末に遡ることができる。また、教会の右には18世紀の上院議員ジェームズ・ワトソンが所有していた住宅が残っている。後ろに建つ高層ビルとのコントラストが何とも美しい。一つの空間にいくつもの時代が何層にも渡って折り重なっていて、それが目に見える状態なのだから!なんたる贅沢だろう!

ようやくマンハッタン最南部に位置するバッテリー公園The batteryに到着。遠くに自由の女神やエリス島が見える。

しばらく自由の女神を遠めに眺めたり、観光客家族の写真撮影を手伝ったりと気ままに過ごしたら、ブロードウェイBroadwayを北上することにした。ブロードウェイと言うと42丁目のタイムズスクエアあたりがイメージされるが、先住民に由来するこの通りはバッテリーパークから北は178丁目まで伸びるかなり長い道路なのである。


ロウワー・マンハッタンの高層ビル群と対を為すように建つのが、トリニティ教会である。ここでも先ほどの新旧並列が見える。このトリニティ教会は初代のものは焼けてしまったものの、9.11を乗り越え1846年のアメリカらしいゴシック・リヴァイヴァル様式が迎えてくれる。

ウォール街へ


ブロードウェイをしばらく北上し、トリニティ教会Trinity Churchに来ると、世界に名を轟かせる有名な通りに差し掛かる。ウォール街Wall St.だ。
この通りは、名前にあるように壁、つまり城壁に由来する。マンハッタンに入植が進んだ17世紀、ここが北限だったのだ。現代こそ巨大な都市圏としてマンハッタン島を中心に広がるニューヨークだが、このロウワー・マンハッタンこそニューヨーク発展の基礎であり、いわば「旧市街」なのである。都市史を歩きながら見出す旅というのはとても楽しいものだ。

証券取引所や初代大統領ワシントンの就任式が行われたフェデラル・ホールを見つつ、足元に目を向けるとここが城壁であったことを示す石碑が埋め込まれている。

ウォール・ストリート上からトリニティ教会方面。
石が埋め込まれている。


「ウォール・ストリートの柵」
ウォール・ストリートは城策として丸太で作られた防御壁である。
1653年、ニューアムステルダムの北側の境界として建設


ウォール・ストリートを満喫したら、連邦準備銀行を見つつブロードウェイ方面に戻る。
Maiden Lnを西に向かうと、高層ビルに囲まれて古い建築が4つ固まっている区画がある。20世紀初頭の摩天楼や現代のスタイリッシュなビルに特徴されるロウワー・マンハッタンにおいて、このタイプの建築は珍しい。

よく見ると、一番左の建物には1865と書かれている。1865年というと、ニューヨークが本格的な都市化に向かう19世紀を前にした時代だ。「古い」ニューヨークを示す貴重な建築なのかもしれない。

WTCや隣にあるショッピングセンターWestfieldで寒さをしのいだら、チェックイン時間も近づいてきたのでホテルに戻ることにした。ここは以前既に訪れているので飛ばしてしまった。

WTC周辺の街路樹にはリスが!この街は東京のカラスと同程度のリスが生息しているのかと思わせる。

落書きのない街?マンハッタン

ロウワー・マンハッタンを歩いていて感じるのが、パリのような落書きが少ないということだろうか(最も、ロウワー・イーストサイドやチャイナタウンあたりはそうではない)。ストリートアートやグラフィティの街、というとパリと並んでニューヨークが出てくるイメージがあったのであまりおもしろくなかった。ジュリアーニ市長の時代に消されてしまったのだろうか。保守派の政治家が申し合わせたかのように言う「安全・安心」な都市は楽しみ方が限られてしまうという点においてものすごくつまらない。

この考えについては、別項で書くつもりである。

ただ、地下鉄の入り口のように少し古さを感じさせる場所を覗くと、そこには常に落書きがあり少し安心感さえ感じさせる。

また、パレスチナに関する落書きが数件あった。いずれも油性マーカーでさっと書かれたもので、気を付けて見ていないと通り過ぎてしまう。



都市は生き物のようにその姿を逐次変えてしまう。落書きはその変化(成長ともいうのか?)を如実に示す"身長を刻んだ柱の傷"のようなものだと思っていて、ちょっとでもいいものを見つけるとすぐに撮影してしまう。特にパリやニューヨークのような世界都市となると世界中の移民が滞在していて、まるで都市空間が世界の動きを「表示」し続ける。このPalestine Freeはその一つだと思うし、見ていて興味が尽きないのだ。もちろん、私たちは「表示」されたものを見ているだけでは不十分なのだが・・。

そんなことを考えつつ、ホテルに戻る。世界都市の魅力もベッドには勝てず眠り込んでしまった。夜も少し外出して、マティスがいうところの「非物質的な世界」、夜景のロウワー・マンハッタンも満喫したわけだが、今日はこの辺で終わり。ニューヨーク街歩きはあと9日も続くのだから・・。




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