初心に返るーーGTOとECDとBDP

中学生時GTOに憧れて教員目指し、大学で教員免許を取ろうと思いました。文学少年だったわけでもないどころか本などろくすっぽ読んだことなく、たまたま得意科目が国語だっただけで、成績悪く教育学科に行けず国文学科に行きました。大学生の勉強途中で文学理論が面白すぎて、途中で大学の先生になろうかなと思いましたが、大学院の演習中ふと、教室での演習授業の狭いサークルの自己満感に嫌気が差しました。カルスタを頼りにしつつ、もっとこう自分の経験に根差したレアグルーヴとか地域とかクラブ文化とかコメディの感覚を勉強のほうに結べないかな、と考えていました。あと、20代後半くらいまではいっそのこと音楽を仕事にしようと思っていました。ようするに、DJで食っていこうと思いました(あと、VIVIDとカクバリズムにデモ音源を送ろうとしていました)。サウンドデモ華やかなりし時代、ギルロイ来日し、ネグリ来日頓挫した2000年代なかば~後半。

その頃はノー・フューチャーな感じで権力と資本主義を批判していましたが、身体的にも理論的にも無理していると思い(というか、反権力・反資本主義を生きることは自分にはとうていできないと思いました。だからこそ、徹底的に生きたECDが尊い)、教育についてふたたび考えることにしました。中高の教育現場はブラックなことは分かっていたので、ずっとは続けられないと思っており、教育現場の一端を酸いも甘いも経験するつもりで、いまの仕事を始めました。

経験することは大事なことで、中等教育がいかに重要か実感しました。あと、そのへんの評論家よりよほどオリジナルで知性のある同業者がたくさんいました。その頃には文筆業的な仕事も始まっていましたが、大学教員でないことによってナメられた経験がいくつかありました(同じ経験は同僚も味わったことがあるとのことです)。そういう人とはやはり関係性が続かないですね。あと、文学賞を取った以降、態度が変わったとは言わないけど、接し方を変更する人もいました。そういう人も関係性が続かないですね。

そのような経験を通じ、大学業界・文芸業界のソフトに権威的なありかたに少し疑問を持つようになりました。だって、みんな言っているけど、大学の正規教員が文芸誌で資本主義批判をしているのは、どう考えたっておかしいでしょう! 全然ノー・フューチャーじゃない。独立精神を貫くか資本主義批判を辞めるかどちらかでしょう。だから、大学と文芸から少し距離を取ったところ、すなわち中高の教育現場で大学人・文芸人と同じ水準かそれ以上の言論活動をすることに決めました。そして、その言論の先端状況をいまだ学問の喜びに気づかぬ10代前半に対して問うことに決めました。その経験自体を次なる言論に昇華することを目指します。ナメられないように言っておきますが笑、ありがたいことに今年度、大学講師の打診もあったのですが、いまは中等教育に力を注ぎたいので断りました。場所的な条件もきつかったし。感銘を受けたのは、一部の中高教員がすでに日々、粛々とそのようなことをしていた、ということです。僕がノー・フューチャーとか言っているあいだ、それ以前から長きにわたって。

中学生のときに最初に買ったヒップホップの作品である、ブギ・ダウン・プロダクションズの『EDUTAINMENT』というアルバムが急に意味を持ってきました。学問の喜び気づかぬ10代にとって、エンターテイメントすることがそのまま教育であること。教育がそのままエンターテイメント行為であること。初等・中等教育ではこれまでナチュラルに問われていたことですが、遠隔授業見据えざるをえない現在、ますます教員が問われるところですね。音楽やクラブ文化、コメディの感覚と勉強を重ねること。こう書くと、非専門的な悪いポピュリズムに映りそうですが、そしてそういう志向もたしかにあるのですが、と考えるとなおさら、ブギ・ダウン・プロダクションズがすさまじく前衛的だったことが希望に思えます。『Man And His Music』とか、いま聴いても破壊的で前衛的すぎる!

大学教員がときどき、数百人の生徒をまえに「このなかのひとりでも響けばいい」みたいなことを言うのを聞きますが、高潔さの表れと理解しつつも、軽薄なエンタメ志向の僕からしたらマジぬるいと思ってしまう。「ひとりしか響かない」って、どんだけスベった授業なんだよ! と。スベるのは仕方ないけど居直るな、と。敬愛する爆笑問題・太田光が日藝周辺の小劇団コミュニティに苛立って、ラ・ママの資本主義的なお笑いの世界に飛び込んだように。「アーティストだと思うな。水商売なのだからフロア沸かせることを第一義に考えよ」とは、DJはせはじむ先輩の教え。同時に「客に媚びるな」とも。

あんなに秩序破壊的な地点から周囲を巻き込んでいくことはまだまだできないけど、初心に返ってGTO鬼塚を目指そうと思います。それは、湘南純愛組的な反エリートを裏側に抱えつつ、ビーチボーイズから続く反町隆史的な軽薄な身体を見据えて、クラブカルチャーとの関係が密接だった関東連合はびこる1990年代後半の井の頭線周辺のストリート感覚を思い出すことに他なりません。いやあ、困難!

あとは、ECDさんに対する自分なりの追悼文も思い出しておきたいですね。


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