矢野利裕

批評、DJ。文芸批評・音楽批評など。著書に、『学校するからだ』(晶文社)、『今日よりもマシな明日 文学芸能論』(講談社)、『コミックソングがJ-POPを作った』(P-VINE)など。 連絡先=toshihirock_da_house [at] yahoo.co.jp

矢野利裕

批評、DJ。文芸批評・音楽批評など。著書に、『学校するからだ』(晶文社)、『今日よりもマシな明日 文学芸能論』(講談社)、『コミックソングがJ-POPを作った』(P-VINE)など。 連絡先=toshihirock_da_house [at] yahoo.co.jp

最近の記事

村上春樹とアメリカ西海岸

 ノーベル文学賞の延長で村上春樹のことが話題になっており、SNSでは村上に関する思い入れや解釈が飛び交っている。『騎士団長殺し』あたりから村上春樹の小説はなんとなく追わなくなってしまったのだけど、このタイミングで村上春樹のことについて振り返っておきたい。  以前、論文として発表したのだけど(「村上春樹の西海岸文脈——全共闘運動から『アフターダーク』へ」『村上春樹と二十一世紀』おうふう、2016.9)、個人的には、村上春樹は片岡義男のように、アメリカ西海岸カルチャーの影響がさま

    • 1位:小沢健二『LIFE』

      ※小沢健二『LIFE』リリースから30年ということで、2016年に某誌に書いたレヴューをアップします。「90年代邦楽アルバムベスト100」を投票で決めるという企画で『LIFE』は1位となり、個人投票で『LIFE』を1位にしていた私がそのレヴューを担当しました。駆け出しに近い時期、90年代をまるごと背負ったような重圧を勝手に感じ、「個人の思い入れではなく、なるべく開かれた文章を」と努めたことを思い出します。武道館ライヴも楽しみです。

      • 長崎の平和祈念式典とオリンピックをめぐってメモ

        長崎の平和祈念式典をめぐって ・長崎の平和祈念式典をめぐる一連の動きが気になるのでメモ的に。 ・ジュリア・ロングボトム駐日イギリス大使が長崎の平和式典不参加を表明。理由は、イスラエルが招待されていないこと(広島ではイスラエルも招待されていた)。 ・これに次いで、ラーム・エマニュエル駐日アメリカ大使も式典欠席を表明。最終的に6ヶ国が不参加表明。 ・ロシアは侵略戦争を起こしているがイスラエルは自衛・防衛である、だからイスラエルがロシアやベラルーシと同じ扱いをされることは不本

        • 私が私であることを誇る――1990年代の渋谷と華原朋美

          1990年代の「アーティスト」  1983年生まれの僕が渋谷に行くようになるのは、高校生になって以降の2000年代であり、1990年代に渋谷で遊んでいたことはない。したがって、よく言われるようなナイキのエアマックスと援助交際に彩られた渋谷という街は、テレビのニュースで観るような、あるいは映画『ラブ&ポップ』などで観るような、画面越しのものでしかなかった。  もっとも、エアマックス狩りのようなことは自分の中学校でも起きていたし、偽造テレフォンカードもコギャルも身近に存在してい

          都知事選とコミュニケーションの問題

          ・都知事選が終わりました。いろいろ分析がされていますが、僕も思ったことをいくつかリアルタイムで残しておこうと思います。 ・まず、小池百合子当選という結果に驚きはなかったです。残念ながら予想通り大差で蓮舫が敗れてしまいました。小池の経歴詐称問題が盛り上がったら蓮舫にもチャンスがあるのかなと思っていましたが、盛り上がらなかったので、そうなると小池が負ける要素があまり思い浮かびませんでした。 ・個人的には、蓮舫が迫る様子を見たかったので残念です。 ・小池に関しては、コロナ禍における

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          イギリス滞在日記

           3月下旬、仕事の関係でイギリスに行く機会がありました。滞在していたのは、ウィリアム・モリスの出身地ということでも知られるイギリス東部のエセックスにあるチェルムスフォードという街。朝から夕方までは現地の学校を視察し、夜になったら街を歩く、という生活を続けていました。以下、そのダイアリーですが、いろいろと端折っているところがあります。 3/20(wed.)  朝8時にチェルムスフォード駅。電車で隣の駅に着いてから、20分ほど歩きスクールに到着。教室の場所を間違えるというハプ

          イギリス滞在日記

          パレスチナをめぐって――ガーシュインを聴きつつ

           今年度から教養講座としてアメリカの文化と地理についての講座を開いており、アメリカのルーツ的な音楽を聴き直しています。とりわけ、アイルランド系、ヨーロッパ系、アフリカ系がミックスしていく1920年代は細かく見ていくと複雑でまだまだ把握しきれませんが、とても刺激的です。ジャズクラブでは、フレッチャー・ヘンダーソン、デューク・エリントン、ファッツ・ウォーラーらが活躍し始め、他方、もう少しクラシック寄りのポピュラー音楽の立役者としては、アーヴィング・バーリン、ジェローム・カーン、そ

          パレスチナをめぐって――ガーシュインを聴きつつ

          文学フリマで『矢野利裕のLOST TAPES』をリリースします!

           ドストエフスキーと私の誕生日である、2023年11月11日(土)の文学フリマで個人誌『矢野利裕のLOST TAPES』(264頁/1000円)を販売します。  本書は、ブログを中心にここ15年くらい書き散らしていたものをまとめたものです。以前からこのような雑多な文章をまとめた単行本を出版したいと思っていたのですが、それ以外にも、コロナ禍でリアルタイムで考えていたことは紙で読めるかたちにしておくことがいいのではないかと考え、とりあえず自費で出すことにしました。掲載しきれなか

          文学フリマで『矢野利裕のLOST TAPES』をリリースします!

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として4/4

          ※本記事は、2012年に執筆し、同人誌『F』第11号に掲載したものです。 〈擬装〉するパブリック・エナミー#1   さて、アメリカにおいて、ヒップホップの〈疑似共同体〉は少なからず、抑圧された黒人の歴史という意味を付与され、〈擬装〉された。大和田は、「とくに中産階級の白人によって黒人音楽が「政治的に」利用されてきた歴史」(注53)があると述べているが、ヒップホップ内部でヒップホップを「政治的に」利用した筆頭は、やはりパブリック・エナミーだろう。「利用」と書いたが、無論、そ

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として4/4

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として3/4

          ※本記事は、2012年に執筆し、同人誌『F』第11号に掲載したものです。 空虚で濃密なラップの主体  さて、このように、愚直に〈反復〉し、不断に〈変身〉する主体は、ヒップホップをめぐる自己目的的な主体である。というのも、KRSワンが言うところの「ヒップホップそのものになる」というのは、目的であると同時に手段でもあるからだ。主体は、〈あの身振り〉の〈反復〉を通して「ヒップホップそのものになる」のだが、同時に、その〈反復〉こそがヒップホップたる根拠でもある。ここには、〈変身〉

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として3/4

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として2/4

          ※本記事は2012年に執筆し、同人誌『F』第10号(特集:擬装・変身・キャラクター)に掲載したものです。 ジブラ的「責任」/メジャー・フォース的「無責任」  11年5月18日に、若手ラッパーの筆頭であるラウデフが、ツイッター上で、「せんせんふこく」というメッセージとともに、ジブラへのディスソングを発表した。僕の個人的な印象として、このビーフは非常に唐突なものに思えたし、ツイッターにおける不特定の感想を目にする限り、同じように唐突さを感じた人は少なからずいたようだった。ディ

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として2/4

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として1/4

          ※本記事は、2012年に執筆し、同人誌『F』第10号(特集:擬装・変身・キャラクター)に掲載したものです。 〈リアル/フェイク〉という問題系  ごくごく個人的な理由であまり好きな作品とは言えなかったが、それでも『デトロイト・メタル・シティ』は、僕に何事かを考えさせるものだった。よく知られたそのストーリーは、本当はネオアコなどのいわゆる渋谷系的な音楽が好きな主人公の根岸が、にも関わらず、実際はメタルバンドのカリスマとなってしまうというもので、そこでは根岸の内面とは無関係に強

          ヒップホップはいかにしてそうなるのか――空虚な主体による表現として1/4

          ここ最近のジャニーズをめぐるもろもろのことについて

           ジャニーズについていろいろと考えています。英BBCの放送以降、いろいろな動きがありました。最近ではやはり、松尾潔氏によるスマイルカンパニー契約解除の報告(告発?)と、それにともなう山下達郎氏の返答がもっぱらの話題です。このことについて、現状思っていることを書いておきたいと思います。  前提として表明しておくと、「小山田圭吾と文学の言葉」(『今日よりもマシな明日』講談社)を書いた者としては、ジャニーズに対するTwitterでの糾弾は、たとえそれがそれなりに練られた言葉だとし

          ここ最近のジャニーズをめぐるもろもろのことについて

          博報堂との件、その後の報告

           3月31日にアップした記事が正直予想以上の反響で、それだけ社会的な関心が高い内容だったのだと思いました。  ジャニー喜多川氏およびジャニーズ事務所に関しては、その後、岡本カウアン氏による記者会見もあり、引き続き、議論されるところでしょう。私も私なりに考えていきたいと思いますし、そのような場が与えられることがあれば、自分の考えを言わなければならないと思っています。  博報堂による雑誌『広告』をめぐる件ですが、その後のことを報告すべきだと思い、ここに書きたいと思います(先方

          博報堂との件、その後の報告

          博報堂の雑誌『広告』(2023年3月31日)におけるジャニーズをめぐる対談の「削除」について

          2023年3月31日、博報堂による雑誌『広告』が刊行されました。目次を通覧しただけでも、かなり読みごたえがありそうです。本雑誌で僕は、『アイドル・スタディーズ――研究のための視点、問い、方法』(明石書店、2022年9月)の著作がある社会学者の田島悠来さんとジャニーズをめぐって対談しました。60年代から続くジャニーズの歴史と現在を語ったものですので、よろしければ読んでみてください。 とはいえ、英BBCによるジャニー喜多川の性加害をテーマにしたドキュメント番組が放送されて以降、

          博報堂の雑誌『広告』(2023年3月31日)におけるジャニーズをめぐる対談の「削除」について

          『今日よりもマシな明日』書評その他をめぐって

           2023年3月5日の日曜日から書き始めています。少しだけ時間的余裕ができたので、書かなくてはいけないなと思っていたことを書きます。それは、文芸批評家の川口好美さんによる「小峰ひずみ論」および、それを受けて小峰ひずみさんが書いた文章「批評F運動」についてです。川口さんの文章を読んだ時点からなにかを書こうと思っていましたが、「批評F運動」が出てからは応答責任が発生している、と判断しました。ちなみに、ちょうどついさきほど、批評家の杉田俊介さんが小峰さんに向けた文章をアップしていま

          『今日よりもマシな明日』書評その他をめぐって