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就活せずに卒業してから28歳で正社員になるまでの暗黒期をつづってみる vol.6

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【前回までのあらすじ】
「自分らしく生きたい」と思いながらも目標に向かって突き進めず、フリーターとしてヌルっとした生活を過ごしていたが、友人の誘いでスタートアップに入社する。
同僚の変態&天才社員が突如スーパーシステムを開発し、会社が電子書籍の受託制作に照準を絞って事業拡大を図り始める。

会社は絶好調で支社ができる

Cくんが開発した電子書籍制作システムのおかげで委託制作事業が絶好調になり、どんどん契約企業が増えていった。社長は今が勝負どころと踏んだようで、投資家から追加融資を受けてバイトも雇って量産体制を作っていった。

僕はその中で制作と制作管理を行っていたのだが、事務所が手狭になって第二拠点を遠隔の静岡に作ることになり、そこを任されることになったのを機に肩書きがまさかの「支社長」になった。ばかウケた。中央林間の部屋は彼女に任せ、静岡にある実家で暮らして自転車で通勤した。

※ ※ ※

当然、支社長とは名ばかりで、実際は静岡支社でバイトを雇用し制作管理を行うだけの簡単なお仕事だった。とはいえせっかく頂いた支社長という肩書きに恥じないために、僕はイメチェンを図ることにした

僕の心に残っている川柳のひとつに、
「テレビマン できるヤツほど 色黒だ」
という、ガキ使プロデューサーのガースーさんが作られた名句がある。

それにのっとり、海に通って日光浴をして色黒になり、また、見た目もでっぷりしていた方が良かろうと思って白米をモリモリ食べて10kg増量した

あと喋る声も威厳を出すためにちょっと低めにした

今になって思えば「なんて意味の無いことをしたんだろう」と言わざるを得ないのだが、当時は結構大まじめにそれをやっていた。そんな自分が愛おしい。

※ ※ ※

雇ったバイトの多くは専門学校生で、それ以外に20代半ばくらいもちょこっとという若い部隊だった。僕はとにかく「彼らにはブラックな働き方を強いたくない」ということを大前提にマネジメントをした。

社長は残業代をケチって「割増にはしない」と言うので、その旨をきちんとバイトに伝えて極力定時で帰るようにさせた

また、労働環境は明るい方が良かろうと思って、テレビゲームを持って来たり、バランスボールを置いたり、あと作業場内でかける音楽を当番制で好きなのが掛けられるようにした。飲み会もちょくちょくやったり、雑談を僕から積極的に振るようにしたり、CDやゲームの貸し借りも僕から積極的に仕掛けた。

結果的に社内の空気はとても良好だったと思う。ただ、残業をさせていなかったことから制作は普通に遅延しまくって赤字にはなっていた。そもそも会社への忠誠心はなかったので、「残業しないと黒字になれないモデルで運用している方が悪い」と特に気にしてはいなかった。(もちろん僕自身、残業なしでも黒字になるように日々業務改善は行っていたが)

ただそんなことをしている様では投資家の理解を得られるはずもなく、「支社は割に合わない」という判断になり半年くらいで撤退することになった。それも結構急に決まってすぐ撤退という決定で、「バイトは東京に来させるかすぐに辞めさせるように」と社長から指示が入って、僕はそれをストレスに感じてその日の帰り道に道端でゲロを吐いたのを覚えている。そしてそのタイミングで「もうこの会社は辞めよう」と決めた。

幾度目かの断薬失敗

社長にはすぐに退職の旨を伝えた。適当に「うつ病の再発」とかそれっぽい噓をついたような気がする。特に揉めることもなく辞めることが出来た。もちろん次の働き先は決めていなかった。

ちなみに、これまで書いてこなかったが、僕は前の仕事をやめて次の仕事を始めるまでの間で、だいたい断薬にチャレンジしている。というのも、僕は20歳のときにうつ病になってからずっと精神薬を飲んでいて、薬自体強くはないものの依存傾向だったので時間に余裕があるときに断薬を試みていたのだ。

でも毎回急に薬を飲まなくなるので、離脱症状として気分の落ち込みや頭痛やダルさなどに少しずつむしばまれていき、結局数週間後に薬をまた飲み始めるということを繰り返していた。R社を辞めた後も同じ道を辿った。

いま精神薬を飲んでいる方に強く伝えたいが、急な断薬は反動がエグいので本当にやめましょう。僕以外でも成功した例を聞いたことがないです。必ず医師と計画的に減らしていきましょう。また、そもそもなるべく依存が強まる前に生活を改善させて薬が不要になる努力をしておきましょう。

彼女と別れかけた話とプロポーズした話

ただ今までと違ったのは、その断薬を実家で行ったことだった。中央林間の家は先述の通り彼女に住んでもらっていた。

あ、彼女で思い出したが、静岡支社で働いていたとき、僕は彼女にプロポーズをした。大学3年の冬から付き合い始めた彼女とはずっと関係が良好で、中央林間では半同棲の生活もしていたので、結婚しても良いのかなと思っていた頃合いだった。

あ、いや、ずっと良好だったのではなく一度だけ危機があった。あれはいつだったか忘れたが、6畳1Kの部屋で半同棲生活をしていたある時、人生がうまく行かないことに僕が勝手に切羽つまって、で、彼女は出不精だからずっと家にいて僕一人の時間が作れないことにもストレスを感じて、それが臨界点を超えたときに僕は彼女に行先を告げることもせずに実家に帰った

彼女から安否確認のメールが来ても返信をせず、このままずるずるともつれ合って落ちていく関係は止めにした方がお互いのためなのではないかと一人で考え続けた。彼女のことが好きじゃなくなったとかそういうことではなく。

一週間ほど音信不通を貫いたまま実家で過ごし、僕の中で「この関係を終わらせよう」と決心がつき、近所にあった林の中で別れを告げるための電話をした。別れ話を切り出す前、電話がつながった時の彼女の第一声は「ずっと心配してたんだよぉ」という言葉でボロボロと大泣きをしていた。その声を聞いた途端「僕は何て馬鹿なことをしてしまったんだろう」と気づき、別れを告げることは頭から消え去ってしまった。あの時以降、僕は彼女と運命を共にすることを覚悟した

※ ※ ※

話をプロポーズに戻すと、そのような危機を回避したし、結婚適齢期になってきたし、「まぁ個人的に結婚に関心はないけど、遠距離生活をしているなら婚約していた方が彼女の気持ち的に不安が薄れるかな」と思ってプロポーズをすることにした。

やるならサプライズが良かろうと思って、とある平日に朝の彼女との電話で「今度会う時は婚約するときかな」とジャブを入れておきつつ、仕事が終わったら新幹線で急いで中央林間に向かい、家のインターホンを鳴らして恐る恐る出てきた彼女に「よし、結婚しよう!」と用意した婚約指輪を出しながら言った。彼女はただただ困惑して全然喜んではいなかったが、一応OKしてくれた

既成事実として確たるものにするために、向こうの両親への連絡も無理やりその日のうちにやらせた。家族同士の顔合わせ的なこともやったような気がする。でも結局その数ヶ月後に突発的に会社を辞めているのだから、僕という人間がいかに無責任かは言わずもがなであろう。結局そういう事情もあって結婚の話は流れて、婚約中のまま現在に至る。今となっては本当に彼女とそのご家族にはお詫びの気持ちしかない

《vol.7へ続く》

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