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就活せずに卒業してから28歳で正社員になるまでの暗黒期をつづってみる vol.4

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【前回までのあらすじ】
イキって就活をせずに「自分らしく生きる道」を模索しようとするも甘えた日々を送り、帰省して公務員を目指し始めたかと思えばすぐ翻意してバンドのボーカルをやるために再上京。
馴染めないバイトや東日本大震災などを言い訳に音楽活動も水面下での活動しかしないまま一年半が経ってしまった。

日雇いバイトを経てテレアポ勤務

僕は毎度毎度のことなのだが、次の勤務先を見つけてから現職を辞めるということが出来ない。お笑いの事務を引継ぎして辞めた後も、次に動き出すまでにだいぶ時間がかかった。

バイトは探してみるものの「なんか違う」とか「やりたくないことをやらされるのは嫌だ」とか難癖をつけて、そのうち探すのが面倒になって延ばし延ばしにしてダラダラと家で過ごす。で、お金がなくなってどうしようもなくなった時点でようやく日雇いバイトで当日払いでお金をもらいつつ、妥協して次のバイトを決める

思い返してみれば、失敗することに対してすごく怯えがあって、それを意識しすぎて硬くなって当たり前のことが当たり前に出来ずにいた。そういう自分と向き合うのが嫌だから、なるべくバイトから避けようとしていたように思う。

ただ、日雇いバイトに関しては一期一会で済むから気が楽で、めちゃめちゃ自発的に動けていた。どの現場であっても「何も知らない人」としてスタートするから、率先してわからないことを聞いたり、指示されたタスクが終わったら次に何をすれば良いか想定しながら確認したりしていた。

だから単発バイトの時はだいたいどこでも高い評価を受けて、現場の上長から褒められることが多かった。一度ネジ工場の現場で一日中ネジを締めまくったときは、仕事への積極性と段取り力の高さに驚かれて「うちで働かないか」とスカウトされた。もちろん丁重にお断りしたが。

しかし日雇い労働の現場は、同じ現場に派遣されるスタッフたちの労働への意欲がずば抜けて低く、退廃的な空気感が充満していたのでそれは苦手だった。「ここに染まったらマジでやばい」という気持ちが、次のバイトを探す原動力になっていた。

※ ※ ※

そうして見つけた次のバイトは新宿でのテレアポの仕事。電話を受けて「この度は大変申し訳ございませんでした」から始まる焦げ臭さ満点のやつだったが、時給がまぁまぁ良かったという理由だけでそこに決めた。

大学時代にテレアポのバイトはしていたものの、「君は学歴が良いから講師をやってね」と新人が業務に就くために取得必須になる資格の講師役をずっとしていたので、実際のところ電話対応は全然得意ではなかった。何だったら幼いころから自宅にかかってきた電話は極力居留守を使って回避してきたので、むしろ苦手だったと言える。

ただ、そこでもスーパーラッキーが発動して、「君は若いからPC入力得意だよね」と、電話を受ける仕事はほとんどせずにコールスタッフが電話対応後に記入するレポートのチェックなどといった管理的な部門に回してもらうことができた。

人間関係も、ひとり僕のことを一方的に嫌って露骨に避けるし裏で陰口も叩いていた女を除けば概ね良好で、チームで飲みに行ったり個別でご飯に行ったりした。その中でアムウェイの勧誘にも遭ったがそこは軽やかにスルーした。

それなりに上手くやれていたバイトだったが、元々が短期の案件で徐々に規模が縮小してしまい、8ヶ月くらいで辞めることになった。

※ ※ ※

最終日にちょっとしたハプニングに見舞われて、通勤時に同僚と会話をしていたら急激な便意に襲われて、急いでトイレのある場所へ向かっていたが間に合わずにビチビチのウンコを全漏らししてしまった

慌ててコンビニで消臭スプレーなどを買い、トイレでパンツを替えてGパンも洗ってスプレーを振りかけまくった。それでも臭いは取れなかったのだが、遅刻して減給されるくらいなら「最終日だし迷惑かけても良いか」と開き直ってそのまま出勤した。

正直バカ臭かったのだが、一人ひとりの席が広めだったことと、周辺の人がみんなマスクをしていたことなどが幸いして奇跡的にウンコを漏らしたことがバレずにその日を終えることが出来た

後日facebookでその件を投稿したところ、それを見た同僚から「だからあの日バカ臭かったのか!」というリプがきた。臭いには臭かったらしい。

先輩の副業の手伝い

テレアポのバイトと並行して、仲の良い先輩が運営するブログの手伝いも無償でやっていた。手伝っていた内容としては、いわゆるSEO対策のためのブログの改修がメインだった。

例えば文字色を変更したり、「パンくずリスト」を設置したり、ブログのレイアウトを2カラムから3カラムに変更したりといったものを、htmlとcssを駆使してググりながらあれこれとやっていた。

お金にはならなくても、単純に学習すること自体が好きでスキルを獲得するのは楽しかったし、もしかしたら今後に生きるかもしれないと思って手伝っていたように思う。

そのうち、新しいブログの立ち上げもやることになって、そこではゼロからブログを構築したし、毎日投稿で500字程度のコラムの執筆も行った。そのブログは半年くらいで何かがのきっかけで更新を終えてしまったが(なんでだったかは思い出せない)、それを経たことでブログ運営スキルが強化されたのは間違いない

大学時代にはmixiにドはまりして3日に一回くらいの異常なペースで長文日記を更新していたりもしたので、そういった何気ない経験が後のサウナブログに生きてきたりしたときに「点が線になるってこういうことか」と理解して報われた気持ちになった。

先輩を取るか、同級生を取るか

そんな風にフリーターの典型のように過ごしていた中で、少し変化が起こる。ブログ運営の手伝いをしていた先輩(以下:Aさん)から、会社立ち上げのメンバーとして声をかけられたのだ。

Aさんはだいぶクセの強い人で、大学のサークル活動でもメンバーと揉めることが多かった。典型的なワンマンタイプの人で個の力は非常に高いけど、その反面で求心力が欠けていた。だからこそ僕も無償で手伝うという距離感を保って関係を続けてきた。

立ち上げメンバーになるというのはそのバランスが崩れるのでだいぶ悩んだのだが、僕としてもくすぶっていた生活を逆転させるチャンスかもしれないと思って協力させてもらうことにした。

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奇しくもそれと時をほぼ同じくして(こちらの方がちょっと後だが)、高校時代の同級生(以下:Bくん)からも会社立ち上げメンバーとして誘いを受ける

Bくんは高校時代の同級生だけど、高校時代はほぼ接点がなく、成人式の実行委員会を務めたときに同じメンバーとして活動した。その当時の僕の印象では理想的なリーダータイプで、求心力と行動力を兼ね備えているように映っていた。

facebookかなんかで再開するきっかけがあり、飲みに行ってお互いの近況報告をしたときに、彼が会社を興そうとしていることを知り、僕がフリーターであることを伝えた。その際に「よかったらどう?」と誘われたのだ。

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当時の僕の年齢は26くらいで、学歴があってプラプラしているというのは会社を興そうとしている人から見たらとても丁度良い存在だったのだと思う。以前からの関係性もあって人柄もわかっていたことだし。

Aさんはお金を稼ぐために手段を選ばない人だったこともあり(実際にお金を稼ぐ力も備えていたけども)、やろうとしていた事業に僕は魅力を感じていなかった。Bくんの方はまだノープランだったが「これからイノベーティブなことを一緒に考えていこう」というスタンスだった。

何をやるかよりも誰とやるか。それを重視していた僕にとってはBくんの誘いに乗る方が楽しくなりそうなイメージがあった。だからAさんには協力を撤回する旨を伝え、Bくんと事業を作っていくことにした


《vol.5に続く》

もしめちゃめちゃ満足して頂けるようなことがあれば!